250年代
十年紀
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できごと
中国
- 250年、呉の皇帝孫権の子である皇太子孫和と魯王孫覇の間で起きた後継者争い(二宮事件)が終結した。
- 251年、魏の太傅司馬懿が太尉王淩に謀反の疑いを掛け、自殺を命じた(王淩の乱)。
- 252年、呉の皇帝孫権が崩御し、それに乗じて魏の大将軍司馬師(司馬懿の子)が呉の東興に進軍したが、呉軍に大敗する(東興の戦い)。
- 253年、呉の丞相である諸葛恪が呉の皇族の孫峻に誅殺され、蜀でも大将軍費禕が魏からの降将郭脩に暗殺された。
- 254年、魏将の徐質が狄道で蜀の名将張嶷を討つが自軍もその倍以上の損害を出し討死した(狄道の戦い)。同年、魏の皇帝曹芳が司馬師に廃され、新たに曹髦が皇帝に即位した。
- 255年、魏将の王経が洮西で蜀の録尚書事姜維に敗退し、それに乗じて姜維は狄道を包囲したが、魏将の陳泰、鄧艾に敗北する(狄道の戦い)。同年、魏の司馬師が毌丘倹及び文欽の反乱を討伐するが、病状が悪化し死去した(毌丘倹・文欽の乱)。
- 256年、蜀の大将軍に昇進した姜維は、段谷及び祁山に侵攻したが、魏将の鄧艾らに敗退した(段谷の戦い)。同年、呉の孫綝(孫峻の従弟)が大将軍となった。
- 257年、魏将の諸葛誕が大将軍司馬昭に対して挙兵し、翌年まで戦いが続いた(諸葛誕の乱)。同年、蜀の姜維が秦川に侵攻するが、鄧艾らに防がれた。
- 258年、諸葛誕の反乱が討伐される。同年、呉の孫綝が皇帝孫亮を廃し、新たに孫休が皇帝となるが、逆に孫綝が孫休らに暗殺された。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
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