FCソウル
韓国のサッカークラブ
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概要
1983年12月22日、ラッキー金星グループ(現・LGグループ)傘下のサッカークラブ「ラッキー金星ファンソFC(럭키금성 황소 축구단)」として創立した[4]。2005年以降はLGグループから分離独立したGSグループの傘下となっている。
国際タイトルはない(2001年-2002年のアジアクラブ選手権と2013年のAFCチャンピオンズリーグでそれぞれ準優勝しているのみ)が、国内タイトルではKリーグ1を6回、韓国FAカップを2回、韓国リーグカップを2回、Kリーグ・スーパーカップを1回の優勝を果たしている。
歴史
1983年 - 2003年(クラブ草創期・第1次ソウル時代)

1983年8月18日、ラッキー金星グループがプロサッカークラブ創設を発表し[5][6][7]、12月22日にラッキー金星ファンソFC(럭키금성 황소 축구단)の名で正式に創設、国内5番目のプロサッカークラブとなった。ラッキー金星グループはプロクラブ創設に向けて1982年から準備を進めており、ソウル特別市をホームタウンとする計画であった[7]が、スーパーリーグ委員会はこれを認めず、忠清道地方全域(忠清北道・忠清南道)を割り当てた[8]。ただし、当時のリーグはホーム・アンド・アウェー方式ではなく全国ツアーのように各都市を巡回しながら集中開催する方式であったため、「ホームタウン」と言っても名ばかりのものであった。
1984年よりスーパーリーグに参入、初年度はリーグ7位に終わったが、翌1985年には、ピヤポン・ピウオンが得点王とアシスト王の2冠に輝く活躍を見せ、初のリーグ優勝を飾った。1986年はリーグ準優勝、1988年には韓国FAカップ初優勝を飾った。また1988年初頭、クラブ創設当初から望んでいたソウル特別市をホームタウンとする計画が浮上[9]、1990年の都市地域ホームタウン制の導入に伴い、ソウルへのホームタウン移転が実現した[10]。ソウル移転1年目にして韓国プロサッカー大会で優勝、史上初めて首都をホームタウンとするクラブとして優勝を飾った。
1991年、クラブ名をLGチータース(LG 치타스)に、クラブを運営する「ラッキー金星スポーツ」を「LGスポーツ」に改称した[11][12]。クラブはソウルへの地域密着の一環として、様々なファンサービスや[13]、クラブニュースレター「チータース・ファミリー」の発行[14]、当時同じくソウルをホームタウンとしていた一和天馬・油公FCとの共同マーケティング[15]、姉妹提携を結んだソウルのサッカー同好会を招いた「LGチータース杯サッカー大会」の開催などを行い[16]、1995年には、シーズン通算観客動員数で1位となった。
1966年 - 2003年(安養時代)
1996年、韓国プロサッカー連盟と大韓民国政府が2002 FIFAワールドカップ招致に向けて実施した「ソウル縁故空洞化政策」によりホームタウンをソウル近郊の京畿道安養市に移転[17][18]、クラブ名も安養LGチータース(안양 LG 치타스)に改称した[19]。ソウルにホームタウンを維持するには1995年末までにソウルに専用スタジアムを建設する計画を策定するという、実現困難な条件を掲げたこの政策にクラブは一度は合意した[20][21]。しかしその後、クラブ側が方針を翻した上、連盟はソウルにホームタウンを維持した場合はリーグから除名する方針を掲げた。更に大統領府からもホームタウン移転の指示があり、結局、強制的に移転が実行された[18]。クラブは、ソウルをホームタウンとする3クラブのうち最後までホームタウン移転に反発し[22]、ファンも反対デモを行うなどしたが奏功しなかった。当時の団長ハン・ウンスは、のちに「まるで追い出されるように安養へ移転した」と語った[23]。
安養移転後、リーグ戦では下位に沈むものの、1998年に韓国FAカップ優勝、1999年に韓国リーグカップで準優勝を飾る。2000年には、兵役から復帰した崔龍洙が12ゴールを挙げKリーグ最優秀選手賞を受賞、Kリーグベストイレブンにも選出されるなど活躍し、10年ぶり3回目のリーグ優勝を果たす。2001年はチーム通算200勝を達成、リーグでは城南一和天馬に勝点2及ばず準優勝に終わるも、Kリーグ・スーパーカップ優勝を果たす。2002年にはアジアクラブ選手権で準優勝した。
2004年 - 2008年(ソウル復帰)
1999年11月、ソウル縁故空洞化政策の廃止が仮決定されると[24]、クラブはソウルへの復帰を模索し始める[25][26]。一方で、大韓サッカー協会、韓国プロサッカー連盟、ソウル特別市の3者は「ソウルホームタウンプロサッカーチーム創設推進委員会」を結成、KTやハンファグループ、国民銀行などの大企業を誘致し、ソウルをホームタウンとする新たなクラブを創設することを目指していたが、いずれの企業もプロクラブ創設の意向を示さず、計画は失敗に終わった[27]。この時、既に日韓ワールドカップ終了から1年半が経過しており、このままでは同大会の会場として建設されたソウルワールドカップ競技場の有効活用が図れないため、今度はソウル単独で大企業を誘致を誘致しようとしたものの[28]、これも実を結ぶことはなく[29]、協会・連盟・市は方針を転換を余儀なくされた[30]。2004年1月29日、既存のクラブの中からホームタウン移転によりソウルに進出するクラブを募集[23][30][31]、全クラブにソウルへのホームタウン移転申請書を送付する。すると、その4日後の2月2日、クラブはソウルへの復帰を表明[32]、3月11日の連盟理事会でソウルへのホームタウン移転が承認された[33][34]。これに伴い、3月19日にクラブ名をFCソウル(FC 서울)へ改称[35]、3月29日にはソウル特別市とホームタウン協定を締結した[36]。このホームタウン移転はサッカー関係者やサッカーファンの間で議論の的となったほか、のちにKリーグに参入するFC安養創設の要因にもなった[37]。
また、この年はLGグループの分離・再編が進められており、クラブを運営するLGスポーツは、6月1日からLGグループから分離独立したGSグループへ移管され、社名も「GSスポーツ」に改められた。
2005年、高麗大学校在籍中の朴主永が加入すると観客動員数が飛躍的に増加、ホーム戦どころかアウェイで遠征したクラブ(釜山アイパークや光州尚武FC)の最多動員記録に貢献することになった。朴はルーキーイヤーながら通算32試合に出場し、18得点5アシストと活躍、Kリーグ若手選手賞を受賞した。2006年はリーグ総合3位、韓国リーグカップでは優勝を果たすと、翌2007年も韓国リーグカップで準優勝を飾り、4月8日に行われた水原三星ブルーウィングスをホームに迎えたKリーグ第5節では、国内プロスポーツ史上最多となる55,397人の観客が来場した。2008年はリーグ2位となり、AFCチャンピオンズリーグ初出場(前身のアジアクラブ選手権を含めると7年ぶりの出場)を決めた。
2009年 - 2011年(AFCチャンピオンズリーグ出場)
- 2009年
- リーグ5位、ピースカップコリア(カップ大会)ベスト4。
- この年のAFCチャンピオンズリーグでは、グループリーグでガンバ大阪(日本)、山東魯能泰山足球倶楽部(中国)、スリウィジャヤFC(インドネシア)のグループFを3勝1分2敗で2位通過して決勝トーナメントに進出した(1回戦でウム・サラルSC(カタール)に敗れ、ベスト8敗退)。
- 2010年
- 5月5日のホーム城南一和天馬戦で、60,747人がスタジアムに来場し、Kリーグにおける1試合の観客動員数を更新した。リーグ戦1位でプレーオフに進出し、チャンピオン決定戦で済州ユナイテッドFCに勝利し、ソウル復帰後初優勝を達成、Kリーグカップとの2冠となった。
- 2011年
- リーグ3位
- AFCチャンピオンズリーグ2011で2大会ぶりに出場するとグループリーグで名古屋グランパスエイト(日本)、アル・アインFC(UAE)、杭州緑城足球倶楽部(中国)のグループリーグFを3勝2分1敗で1位通過して決勝トーナメントに進出した(1回戦でアル・イテハド(サウジアラビア)に敗れ、ベスト8敗退)。
2012年 - 現在
- 2012年
- 崔龍洙が正式に監督に就任し、2年ぶりのKリーグ優勝を達成した。
- ACL2012のラウンド16で鹿島アントラーズ(日本)と対戦した。アウェイで2-2(PK戦5-4)で勝利し準々決勝に進出した。準々決勝でウム・サラルSC(カタール)と対戦した。アウェイの第1戦を2-3で敗れるとホームの第2戦では1-1で合計スコア3-4で準々決勝で敗退が決定した。
- 2016年

- 4年連続の6回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2016のグループリーグで山東魯能泰山足球倶楽部(中国)、サンフレッチェ広島F.C(日本)、ブリーラム・ユナイテッドFC(タイ)のグループFを4勝1分1敗で首位通過して決勝トーナメントに進出した。
- ACL2016のラウンド16で浦和レッドダイヤモンズ(日本)と対戦した。アウェイの第1戦を0-1で敗れたがホームの第2戦では3-2で勝利し、合計スコア3-3(PK戦7-6)で準々決勝に進出した。
- 6月21日、監督の崔龍洙が中国サッカー・スーパーリーグの江蘇蘇寧足球倶楽部の監督に就任することを発表。それに伴い黄善洪の監督就任を発表。
- Kリーグクラシックでは、最終節で前年度王者の全北現代モータースを1-0で下し、4年ぶり6度目の優勝を果たした。
- 2017年
- 黄善洪体制を続けたが、5位にとどまった。
- 2018年
- シーズン開幕後の4月30日に監督の黄善洪が成績不振で辞任した。李乙容が後任となったが、成績不振で10月11日に辞任し、崔龍洙が2年4ヶ月ぶりに復帰した。リーグ戦は11位で釜山アイパークと昇格・降格プレーオフで対戦して勝利し、Kリーグ1に残留した。
- 2020年
- 許昌秀がGSグループおよびFCソウルの会長職を退任し、許兌秀が後任となった。
タイトル
過去の成績
| シーズン | ディビジョン | 韓国FAカップ | チャンピオンシップ | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | |||
| 1984 | Kリーグ | - | 前期5位 後期7位 | - | 資格なし | ||||||
| 1985 | Kリーグ | 優勝 | - | 大会なし | |||||||
| 1986 | Kリーグ | 前期2位 後期1位 | - | 準優勝 | |||||||
| 1987 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
| 1988 | Kリーグ | 4位 | 優勝 | 大会なし | |||||||
| 1989 | Kリーグ | 2位 | 準決勝敗退 | 大会なし | |||||||
| 1990 | Kリーグ | 優勝 | - | 大会なし | |||||||
| 1991 | Kリーグ | 6位 | - | 大会なし | |||||||
| 1992 | Kリーグ | 4位 | - | 大会なし | |||||||
| 1993 | Kリーグ | 2位 | - | 大会なし | |||||||
| 1994 | Kリーグ | 5位 | - | 大会なし | |||||||
| 1995 | Kリーグ | 前期8位 後期6位 | - | 資格なし | |||||||
| 1996 | Kリーグ | 前期8位 後期8位 | ベスト16 | 資格なし | |||||||
| 1997 | Kリーグ | 18 | 1 | 8 | 9 | 15 | 27 | 11 | 9位 | 準決勝敗退 | 大会なし |
| 1998 | Kリーグ | 18 | 6 | 2 | 9 | 28 | 28 | 23 | 8位 | 優勝 | 資格なし |
| 1999 | Kリーグ | 27 | 6 | 2 | 17 | 38 | 52 | 24 | 9位 | 準決勝敗退 | 資格なし |
| 2000 | Kリーグ | 27 | 17 | 2 | 8 | 46 | 25 | 53 | 優勝 | 準々決勝敗退 | 優勝 |
| 2001 | Kリーグ | 27 | 11 | 10 | 6 | 30 | 23 | 43 | 2位 | 準々決勝敗退 | 大会なし |
| 2002 | Kリーグ | 27 | 11 | 7 | 9 | 37 | 30 | 40 | 4位 | ベスト32 | 大会なし |
| 2003 | Kリーグ | 44 | 14 | 14 | 16 | 69 | 68 | 56 | 8位 | ベスト32 | 大会なし |
| 2004 | Kリーグ | 24 | 7 | 12 | 5 | 20 | 17 | 33 | 前期5位 後期5位 | ベスト16 | 資格なし |
| 2005 | Kリーグ | 24 | 8 | 8 | 8 | 37 | 32 | 32 | 前期5位 後期9位 | ベスト16 | 資格なし |
| 2006 | Kリーグ | 26 | 9 | 12 | 5 | 31 | 22 | 39 | 前期4位 後期3位 | 準々決勝敗退 | 4位 |
| 2007 | Kリーグ | 26 | 8 | 13 | 5 | 23 | 16 | 37 | 7位 | 準々決勝敗退 | 資格なし |
| 2008 | Kリーグ | 26 | 15 | 9 | 2 | 44 | 25 | 54 | 2位 | ベスト32 | 準優勝 |
| 2009 | Kリーグ | 28 | 16 | 5 | 7 | 47 | 27 | 53 | 5位 | ベスト16 | 5位 |
| 2010 | Kリーグ | 28 | 20 | 2 | 6 | 58 | 26 | 62 | 優勝 | ベスト16 | 優勝 |
| 2011 | Kリーグ | 30 | 16 | 7 | 7 | 56 | 38 | 55 | 5位 | 準々決勝敗退 | 1回戦敗退 |
| 2012 | Kリーグ | 44 | 29 | 9 | 6 | 76 | 42 | 96 | 優勝 | ベスト16 | 大会なし |
| 2013 | Kクラシック | 38 | 17 | 11 | 10 | 59 | 46 | 62 | 4位 | 準々決勝敗退 | |
| 2014 | Kクラシック | 38 | 15 | 13 | 10 | 42 | 28 | 58 | 3位 | 準優勝 | |
| 2015 | Kクラシック | 38 | 17 | 11 | 10 | 52 | 44 | 62 | 4位 | 優勝 | |
| 2016 | Kクラシック | 38 | 21 | 7 | 10 | 67 | 46 | 70 | 優勝 | 準優勝 | |
| 2017 | Kクラシック | 38 | 16 | 13 | 9 | 56 | 42 | 61 | 5位 | ベスト16 | |
| 2018 | Kリーグ1 | 38 | 9 | 13 | 16 | 40 | 48 | 40 | 11位 | ベスト16 | |
| 2019 | Kリーグ1 | 38 | 15 | 11 | 12 | 53 | 49 | 56 | 3位 | ベスト32 | |
| 2020 | Kリーグ1 | 27 | 8 | 5 | 14 | 23 | 44 | 29 | 9位 | 準々決勝敗退 | |
| 2021 | Kリーグ1 | 38 | 12 | 11 | 15 | 46 | 46 | 47 | 7位 | 3回戦敗退 | |
| 2022 | Kリーグ1 | 38 | 11 | 13 | 14 | 43 | 47 | 46 | 9位 | ||
| 2023 | Kリーグ1 | 38 | 14 | 13 | 11 | 63 | 49 | 55 | 7位 | ||
| 2024 | Kリーグ1 | 38 | 16 | 10 | 12 | 55 | 42 | 58 | 4位 | ||
| 2025 | Kリーグ1 | 38 | 12 | 13 | 13 | 50 | 52 | 49 | 6位 | ||
現所属メンバー
- 2026年3月28日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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期限付き移籍
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
歴代監督
朴世鶴 1984-1987
高在旭 1988(代行)
高在旭 1989-1993
趙榮增 1994-1996.11
朴恒緒 1996.11-12
朴炳柱 1997-1999
趙廣來 1999-2004
李章洙 2005-2006
ギュネシュ 2007-2009
ヴィンガーダ 2010
皇甫官 2011-2011.4
崔龍洙 2011.4-12(代行)
崔龍洙 2012-2016.6
金聖宰 2016.6
黄善洪 2016.6-2018.4
李乙容 2018.4-2018.10(代行)
崔龍洙 2018.10-2020.7
金浩永 2020.8-9
朴赫淳 2020.9-11
李元準 2020.11-12
朴珍燮 2021-2021.9
安益秀 2021.9-2023.8
金珍圭 2023.8-12(代行)
金基東 2024-
歴代所属選手
GK
劉鉉 2016-2018
DF
MF
李乙容 2003-2004, 2006-2008
前園真聖 2003
金承龍 2004-2006, 2008-2009
奇誠庸 2006-2009
余孝珍 2006-2011
キキ・ムサンパ 2008
リカルド・エステヴェス 2010
セルヴェル・ジェパロフ 2010-2011
マウリシオ・モリーナ 2011-2015
髙萩洋次郎 2015-2016
小川慶治朗 2022.7-
FW
アカデミー
Kリーグにドラフト制度が復活した2006年、韓国プロサッカー連盟理事会は18歳以下の育成方策について、各クラブに縁故地域(ホームタウン)内の高校を1か所指定してクラブのアカデミーとしてサッカー部の運営を担当させ、その見返りとしてクラブに毎年ドラフトで当該高校の卒業予定選手4人を優先的に指名する権利を与えることにした。これを受けてFCソウルは同年末に東北高等学校と協約を締結し、翌2007年から同校サッカー部の運営を開始した[38]。その後、アカデミーを強化するため2012年8月28日に五山学園とサッカーチーム協約を締結[39]。東北高校サッカー部の運営契約は2012年限りで終了し、同年12月28日に五山中学校・五山高等学校サッカー部が創立。U-18、U-16、U-14に細分化して年齢に合ったプログラムを行うとした[40]。