IBM 701
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概要
歴史(開発史)
- ビジネス背景と時代背景
パンチカード関連装置の市場において、IBMは1930年代から1950年代にかけて8割から9割程度の市場占有率(シェア)を誇り、2番目の勢力だったのはレミントンランド社でシェアが15%から20%程度(ほかには数パーセント程度の小さなシェアの会社が2~3社)という状況だった。つまりIBMから見てレミントンランド社はパンチカード関連機器市場におけるライバル会社であった。IBMはパンチカードの規格の互換性などを参入障壁として利用し、ライバル会社のシェア伸長や新規会社の参入を阻んでいた。パンチカード関連装置の主な納入先は、大規模な集計作業を必要とする組織であり、アメリカ政府(米国国政調査庁、米国社会保障庁)のほか、鉄道会社、保険会社、銀行、郵便局、電力会社などであったが、大口の顧客である米国国政調査庁が実施した国勢調査で1940年代後半などにはすでに処理すべきデータが大量になりすぎ従来のパンチカード集計印字機だけでは処理が追いつかない傾向になり、より高速により大量のデータを自動で計算する汎用の機械が必要と考えられるようになっていた。その状況下、1950年、レミントンランド社は、EMCC社(ENIACやEDVACなどの技術に精通し汎用計算機開発の鍵となる技術を持つ会社)の買収に成功、親会社となったレミントンランドからの資金援助などさまざまな助力を得てEMCC社はUNIVAC Iを完成させ1951年3月31日に米国国勢調査庁に納入し、これは「世界初の商用汎用電子計算機」とされるようになった。つまりIBMから見ると、自社より劣位のライバル会社であるレミントンランドに汎用計算機で先を越されてしまい、その状況を放置していては汎用計算機を"足がかり"に使われ、国勢調査関連の他の装置のシェアまで次々とレミントンランド社にうばわれかねない、IBMの売上の7~8割を占め"屋台骨を支える"ビジネスをライバルに奪われかねない、と予感させる危機的な状況に置かれた[注釈 1]。IBMは、レミントンランド社同様に汎用計算機を開発・販売することでライバルの勢力拡大を阻止する必要があった。
第二次世界大戦は1945年に終了したが、戦後、ヨーロッパの戦後処理をめぐってアメリカとソ連の対立が顕在化、ソ連が東ヨーロッパ諸国を支配しアメリカ中心の西側諸国と対立、アメリカとソビエト連邦の間に相互不信が芽生え、アメリカが1947年のトルーマン・ドクトリン発表でギリシアとトルコへの援助を宣言すると米ソの対立が表面化し、両国は冷戦状態になった。そのような状況下で、アメリカ政府やアメリカ空軍は、軍事力強化のために科学技術計算の能力強化を求めた。これに応じる形でIBMは「Devense Calculator(防衛計算機)」というコードネームで開発を開始した。
- 設計開始
701の設計は1951年初頭に始まり[4][注釈 2]、150人を超える技術者チームが参加し、最初はポキプシーの倉庫が、次に廃業したスーパーマーケットの建物が701開発の第2の拠点となり、そこで設計作業が行われた[4]。IBMは通常、予算管理やスケジュールを重視する会社であった(そしてスケジュールがIBM社員の足を引っ張ったものだった)が、このプロジェクトに関してはアメリカ政府や競合他社からのプレッシャーがかかっていたので何よりスピードが重視されて、予算やスケジュールは度外視され、その結果、驚くほど速く仕事が進んだ[4]。
- 発表
仕事が速く進んだおかげで設計開始から約1年後の1952年4月にはワトソン会長[注釈 3]が株主に向けてこの新型マシンを発表[4]。
当時のプレスリリースには、完成したIBM 701は11台の小型で接続されたユニットと3種類の電子記憶装置を備えている、と書かれていた[4]。"3種類の電子記憶装置"とは、ウィリアムス管と呼ばれる静電記憶装置、磁気ドラム、磁気テープ装置である。これが当時の他の"データ処理機"に比べて著しい記憶量の進歩をもたらし[4]、静電記憶装置(ウィリアムス管)は2万桁分のデータを、磁気ドラムは最大82,920桁のデータを、磁気テープは1巻あたり800万桁ものデータを記憶可能にし、その結果701は1秒間に1万6000回以上の加減算、2000回以上の乗除算を実行できるようになり、非常に複雑な計算もわずか数分で実行可能となった[4]。
- 受注
プレスリリースの翌月にはアメリカ政府や防衛関係の10機関から受注し、さらに数か月後には受注数は20件近くに達した[4]。 生産が始まる前に、ワトソンは潜在的な顧客である20社を訪問したのだった。株主総会での彼の発言は、「5台の受注を予想していた旅の結果、18台の受注を持って帰ってきた。」だった[5]。つまりIBM会長が予想していたよりも、コンピュータの市場は大きかったのである。
- 納入
最初の701は、1952年12月にニューヨーク州にあるIBMのワールドヘッドクオーター(本社)に納入された。(そもそもIBM 701は、アメリカ政府や米国空軍が軍事力強化のためや兵器開発のために計算能力を高めたいとする要望に応えて開発されたマシンであり、当初の開発目的通り)その納入先の9割ほどは兵器開発関連企業・組織である。#納入先
8台は航空機製造会社(軍用機製造会社)に納入された。核兵器開発にも使われ、ローレンス・リバモア国立研究所に納入されたIBM 701は科学者が核爆発の計算をより速く実行するのに使われた。
- 料金設定
IBMはそれまでパンチカード関連装置をレンタルで提供する形でたくみなビジネスを行い、そのおかげで莫大な利益をあげていたので、この汎用計算機も同じビジネス手法を使い、売り切るのではなく、レンタル形式で顧客に納入した。
1953年5月11日付のAviation Weekによると、701のレンタル料は月額約12,000ドルで、American Aviationは1953年11月9日付で「40時間のシフトで月に15,000ドル。2回目の40時間シフトの場合、レンタル料は月額20,000ドルに引き上げる。」と書いている。政府や軍を主要顧客とし、ソフトウェアの豊富さや高額でのリースで、IBMが巨大企業に成長する一つの要因となった。
- 競合機
IBM 701は、レミントンランド社のUNIVAC I(世界初の商用の汎用計算機。1954年までに46台出荷されたマシン)に対する対抗策として 開発・製造した"世界で2番目の商用コンピュータ"ともされるが、基本的に"国防計算機"として設計され、一般商業用途を広く対象としたものではなかった。用途限定の設計がされたので、民間の一般の企業では採用が進まず、UNIVAC I(46台販売)のようには売れなかった。
さらに、レミントンランド社が(701発表の1952年4月の約10ヶ月後の)1953年2月にUNIVAC 1103を発表し、それが701の新たなるライバル機となった。
1954年初頭、合同数値気象予測プロジェクトに使用するために計算機も、当初考慮していたIBM 701に加えてUNIVAC 1103も候補にあがり、米国統合参謀本部の臨時委員会は、IBM 701とUNIVAC 1103を比較するように要請した。その結果、“The ERA 1103 and the IBM 701”という報告書では、2つのマシンの計算速度はほぼ互角とされたが、パンチカードの入出力速度は701のほうが優れているとし、701のほうを推薦する内容だったので、それが決定的要因となり臨時委員会は701を選び、導入されることになった[6]。この件ではかろうじて、701が採用された。
IBM1955年5月に機能を強化[注釈 4]したIBM 704の出荷を開始し、これを「701の後継機」とし、701の製造は年内を止めた。
結局、IBM 701の出荷は19台だけで終了することになった[7]。
仕様
"3種類の電子記憶装置"、すなわちウィリアムス管と呼ばれる静電記憶装置、磁気ドラム、磁気テープ装置が、当時の他の"データ処理機"に比べて著しい記憶量の進歩をもたらしており[4]、静電記憶装置(ウィリアムス管)は2万桁分のデータを、磁気ドラムは最大82,920桁のデータを、磁気テープは1巻あたり800万桁ものデータを記憶可能にし、その結果701は1秒間に1万6000回以上の加減算、2000回以上の乗除算を実行できる[4]。
ハードウェア構成


IBM 701システムは、以下のユニットで構成されていた[8]。
- IBM 701 - 分析制御ユニット (CPU)
- IBM 706 - 静電ストレージユニット (2048ワードのウィリアムズ管メモリ)
- IBM 711 - パンチカードリーダー (150枚/分)
- IBM 716 - プリンタ (150行/分)
- IBM 721 - パンチカードレコーダ (100枚/分)
- IBM 726 - 磁気テープリーダ/レコーダ (100ビット/インチ)
- IBM 727 - 磁気テープリーダ/レコーダ (200ビット/インチ)
- IBM 731 - 磁気ドラムリーダー/レコーダー
- IBM 736 - 電力フレーム #1
- IBM 737 - 磁気コアストレージユニット (4096ワードの12マイクロ秒コアメモリ)
- IBM 740 - 陰極線管出力レコーダー
- IBM 741 - 電力フレーム #2
- IBM 746 - 電力分配ユニット
- IBM 753 - 磁気テープ制御ユニット (最大10台のIBM 727を制御)
総重量 (構成によって異なる)は約20,516ポンド (10.3ショートトン;9.3トン) だった。[9]
メモリ

このシステムには真空管論理回路と静電記憶装置が使われており、72本のウィリアムズ管 (各1024ビット) で構成され、合計2048ワード、各36ビットのメモリを提供した。72本のウィリアムズ管はそれぞれ直径3インチである。メモリは、72本のウィリアムズ管を2セット目に追加するか、(後で)メモリ全体を磁気コアメモリに置き換えることで、最大36ビットの4096ワードまで拡張することができた。ウィリアムズ管メモリとそれ以降のコアメモリは、それぞれ12マイクロ秒のメモリサイクルタイムを持っていた。ウィリアムズ管メモリは定期的なリフレッシュが必要で、701のタイミングにリフレッシュサイクルを挿入する必要があった。加算演算には5回の12マイクロ秒サイクルが必要で、そのうち2回はリフレッシュサイクルであり、乗算や除算には38サイクル (456マイクロ秒)が必要であった。また、2次記憶としては、磁気ドラムと磁気テープが採用された[10]。
命令セット
- 符号(1ビット) - ワード全体(-)またはハーフワード(+)オペランドアドレス
- オペコード(5ビット) - 32命令
- アドレス(12ビット) - 4096 ハーフワードアドレス
数値は36ビットか18ビット長で、符号付きの大きさの固定小数点であった。ワード全体は、約10進数で約10桁の精度を持っている。10進数の桁はまたは3.322ビットに相当する。
IBM 701には、プログラマがアクセス可能なレジスタが2つしかなかった。
- アキュムレータは38ビット長であった(2つのオーバーフロービットを追加)。
- 乗算/商は36ビット長であった。
周辺機器
磁気ドラムリーダー/レコーダーは、高速I/Oの必要性を減らすことができるというジョン・フォン・ノイマンの勧告で追加された[11][12][13]。
最初の磁気テープドライブはテープ・プロセシング・マシン (TPM) で使用され、その後701に搭載された[14]。
ソフトウェア
701は、アーサー・サミュエルのチェッカー・プレイング・プログラムで人工知能の可能性を示した最初のコンピュータであると主張される[15]。
カリフォルニア大学リバモア放射線研究所では、701のためにKOMPILERと呼ばれる言語コンパイルとランタイムシステムを開発した。FortranコンパイラはIBM 704までIBMからリリースされなかった。
納入先
IBM 701の納入先の組織名、所在地、納入時期
- IBMワールドヘッドクオーター(本社)、ニューヨーク州、N.Y. (1952)
- カリフォルニア大学、ロスアラモス研究所、ニューメキシコ(1953)
- ロッキード・エアクラフト社、グレンデール、カリフォルニア州 (1953)
- アメリカ国家安全保障局(NSA)、ワシントンD.C. (1953)
- ダグラス・エアクラフト・カンパニー、サンタモニカ、カリフォルニア州 (1953)
- ゼネラル・エレクトリック社、ロックランド、オハイオ州(1953)
- コンベアー、フォートワース、テキサス州 (1953)
- アメリカ海軍、イニョカーン、カリフォルニア州 (1953)
- ユナイテッド・エアクラフト、イースト・ハートフォード、コネチカット州 (1953)
- ノースアメリカンアビエーション、サンタモニカ、カリフォルニア州 (1953)
- ランド研究所、サンタモニカ、カリフォルニア州 (1953)
- ボーイング社、シアトル、ワシントン州 (1953)
- ダグラス・エアクラフト・カンパニー、エルセグンド、カリフォルニア州 (1954)
- 海軍航空補給廠、フィラデルフィア、ペンシルバニア州 (1954)
- カリフォルニア大学管理の、国立リバモア研究所、カリフォルニア州 (1954)
- ゼネラル・モーターズ・コーポレーション、デトロイト、ミシガン州 (1954)
- ロッキード・エアクラフト・カンパニー、グレンデール、カリフォルニア州 (1954)
- アメリカ気象局、ワシントンD.C. (1955)
- デュポン・セントラル・リサーチ(中央研究所)、ウィルミントン、デラウェア州 (1954)[16]
参照項目
- IBM 700/7000 series
- List of IBM products
- List of vacuum tube computers
- SHARE (computing)
- Strela computer, comparable Soviet design