ナイル・ロジャース

アメリカの音楽プロデューサー、ギタリスト (1952-) From Wikipedia, the free encyclopedia

ナイル・ロジャースNile Rodgers1952年9月19日 - )は、アメリカ音楽プロデューサーギタリストである。ニューヨーク州出身。音楽IP投資・曲管理会社Hipgnosis Songs Fund(英国)の共同設立者。

出生名 Nile Gregory Rodgers
生誕 (1952-09-19) 1952年9月19日(73歳)
概要 ナイル・ロジャースNile Rodgers, 基本情報 ...
ナイル・ロジャース
Nile Rodgers
ナイル・ロジャース(2012年)
基本情報
出生名 Nile Gregory Rodgers
生誕 (1952-09-19) 1952年9月19日(73歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ニューヨーク
ジャンル ファンク
ソウル
R&B
ディスコ
職業 音楽プロデューサー
コンポーザー
アレンジャー
ミュージシャン
ギタリスト
担当楽器 エレクトリック・ギター
活動期間 1970年 -
レーベル Sumthing Else Music Works
共同作業者 シック、シスター・スレッジ、LE SSERAFIM、ニューヨーク・シティ、ケイン、ダイアナ・ロスロビー・デュプリーデヴィッド・ボウイミック・ジャガーマドンナグレース・ジョーンズ、INXS
公式サイト Official Website
Official MySpace
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略歴

ナイルは、14歳のシングル・マザーの私生児として生まれた。母親はビートニクのボビー・グランツロックと結婚し、グリニッジ・ビレッジの自宅にはリチャード・プライアー、セロニアス・モンク、レニー・ブルースらも訪ねてきたという。幼少の頃より楽器に親しみ、グリニッジ・ビレッジを拠点に音楽活動を開始する。ナイルもバーナード・エドワーズも、もともとはR&Bジャズ畑の音楽家だった。[1]。彼は小学生のころからに差別に遭った経験から、16歳でブラックパンサー党に入党し、ハーレム地区の責任者となり、貧しい黒人の子供達に朝食を配る活動に携わっていた。[2]バーナード・エドワーズとは1970年に出会っている。1970年にラスト・ポエッツのケイン(ギラン・ケイン)のソロ・アルバムに参加している。 19歳でミュージシャンとしてデビューし、彼はセサミ・ストリートのバンドに所属した後、R&Bのニューヨーク・シティのバック・バンドとして活動した。1973年にはジャクソン5のツアーで、ギタリストとして一部参加することができた。アポロ・シアターでのR&B歌手のバッキングを経て、1977年に音楽仲間であったベーシスト、バーナード・エドワーズと共に、ファンクバンド、シック(Chic)を結成。シックは洗練されたサウンドと斬新なリズムで、ディスコ・ブームに乗り、大ヒットを連発する人気バンドとなった。

1980年代からは、バーナードとコンビを組み、デボラ・ハリーブロンディ)をはじめとして、プロデューサーとしての活動を開始。メイン・プロデューサーを務めたマドンナのアルバム『ライク・ア・ヴァージン』、デヴィッド・ボウイのアルバム『レッツ・ダンス』がそれぞれ世界中で大ヒットを記録し、以降、ダイアナ・ロスデュラン・デュランミック・ジャガー等、数々の大物アーティストを手がけ、1980年代の音楽シーンを席巻する名プロデューサーとなった。

1992年には、シックの新作を発表。1996年には、日本で「スーパーサウンド」のプロデューサーを務め、公演も実施したが[3]、大阪と東京で2日間のステージを終えた後、風邪気味で腹痛と高熱の症状があったバーナード・エドワーズが、帰国予定の同月18日、ホテルの部屋で亡くなっているのを、ナイルが発見した[3]。43歳の早すぎる死だった[3]

映画・ゲームのサウンドトラックや自社レーベルの立ち上げなどを中心に、活動を続ける。2000年代にはグラミー賞の音楽監督を務めた。その後、バーナードの熱烈なファンであるジェリー・バーンズの説得により、旧友のオマー・ハキムを従え、シックを再結成。[4]各地でツアーを行うなど、精力的に活動している。

2011年1月、ウェブサイトで癌の手術を受けたことを公表した。2012年、ダフト・パンクのギー・マニュエルとトーマがナイルの自宅に現れ新作アルバムへの協力を依頼。ナイルは快諾した。2013年にリリースされたダフト・パンクの8年ぶりのアルバム『ランダム・アクセス・メモリーズ』内の3曲にギタリストとして参加、先行してシングルカットされた「ゲット・ラッキー」はナイルのカッティング・リフが最大の特徴で30か国以上でチャート1位を記録する世界的なヒットとなり「ルーズ・ユアセルフ・トゥ・ダンス英語版」のミュージック・ビデオにも出演、ナイルを衝撃的な勢いで世界的なミュージック・シーンの表舞台に引き戻すきっかけになった。

2018年に音楽の知的財産権を所有管理する投資会社「Hipgnosis Songs Fund」を Merck Mercuriadisとともに設立した。同社は世界各地で1位を獲ったヒット曲約2000を含む1万3000以上の曲の著作権を所有している。

2024年、ボーイ・ジョージアリアナ・デボーズとコラボレートした曲「エレクトリック・エナジー」を映画『ARGYLLE/アーガイル』に提供[5]

正確で歯切れのよいリズム・カッティングを得意とし、多様なフレージングも持っている。ジャズの知識を活かし、3本や4本など少ない弦を使い、曲調に多彩さを加えるコード進行は、様々なジャンルのミュージシャンに影響を与えている。メインのギターはストラトキャスター[6]。このギターはその昔、当時のフェンダー社の修理工員が自宅に持ち帰り組み上げたもので1959年製のネックと少し黄身がかかった白にリフィニッシュした1960年製のボディのコンポーネント仕様。その後幾多のパーツ等がリプレイスメントされボディは傷だらけだが第一線で活躍中である。一時期はESPなど、日本製のギターを使用していたことでも知られる。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

  • 『アドヴェンチャーズ・イン・ザ・ランド・オブ・ザ・グッド・グルーヴ』 - Adventures in the Land of the Good Groove (1983年)
  • 『B-ムーヴィー・マティネー』 - B-Movie Matinee (1985年)
  • 『アウト・ラウド』 - Out Loud (1987年) ※アウトラウド (Outloud)名義
  • 『シック・フリーク』 - Chic Freak and More Treats (1996年)
  • 『グレイテスト・ヒッツ~アップ・オール・ナイト』 - Up All Night (2013年) ※The Chic Organization名義。コンピレーション

サウンドトラック

シック

  • 『ダンス・ダンス・ダンス』 - Chic (1977年)
  • エレガンス・シック』 - C'est Chic (1978年)
  • 『危険な関係』 - Risqué (1979年)
  • 『リアル・ピープル』 - Real People (1980年)
  • 『テイク・イット・オフ』 - Take It Off (1981年)
  • 『タング・イン・シック』 - Tongue in Chic (1982年)
  • 『ビリーヴァー』 - Believer (1983年)
  • 『シック・イズム』 - Chic-ism (1992年)
  • 『イッツ・アバウト・タイム』 - It's About Time (2018年) ※ナイル・ロジャース&シック名義

主なプロデュース作品

脚注

外部リンク

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