哲学
原義・古代的には全学術(の根底)であり、近代・現代的には文化系学術(主に美学、倫理学、認識論)
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哲学(てつがく、英:Philosophy)は、一般的で基本的な問いを立てながらおこなう知的実践である[1]。その厳密な定義については議論があるものの[2]、一般的には、理性的な探究の一形態であること、体系的であることを目指すこと、そしてそれ自体の方法と仮定を批判的に考える傾向があるとされる[3]。「哲学」という言葉自体は西周による西洋語由来の和製漢語であり、中国において用いられていた「希哲学」に淵源をたどることができる[4]。また、その翻訳元となった英語「フィロソフィー」などは、古典ギリシア語で「知を愛する」といった意味を持つ「フィロソフィア」に由来する[5][6]。
哲学史における主要な伝統には、西洋哲学、アラビア・ペルシャ哲学、インド哲学、中国哲学などがある[7]。西洋哲学の起源はギリシアにおけるソクラテス以前の自然哲学者に遡り[8]、古典期の哲学者が基礎を築いた[9]。中世には神学的課題が[10][11]、近世には哲学的・科学的知識がいかにして形成されるかが中心的課題のひとつとなった[12]。19世紀には、哲学を包括する体系を構築しようとする試みがなされたほか[13]、20世紀には形式論理の成立と言語論的転回、プラグマティズム・現象学・実存主義・ポスト構造主義の勃興といった出来事があった[14]。アラビア・ペルシャ哲学はイスラーム神学を背景としてギリシア哲学を取り込み[15]、古典期の哲学者は合理性と信仰の調和を目指した[16][17]。インド哲学はヴェーダ時代には成立し[18]、実在の本性の探究、知識へ到達する方法の考察、そしていかにして正覚に至るかという精神的問いを統合している点を特徴とする[19]。中国哲学は諸子百家の時代には成立し、正しい社会的行動、統治および自己修養を重視した[20]。
哲学的問題は、いくつかの下位分野に分類することができる。哲学の主要な分野としては、認識論・倫理学・論理学・形而上学が挙げられる[21]。認識論は知識について研究する分野であり、知識とは何か、どのようにして生まれるのか、その限界はどこにあるか、どのような価値を有するかについて論じる[22]。倫理学は、何が正しい行為を構成するかについて研究する分野である[23]。論理学は、正しい論理的推論について研究する分野である[24]。形而上学は実在のもっとも一般的な特徴、たとえば存在・対象およびその性質、部分と全体の関係、時間と空間、出来事および因果性について研究する分野である[25]。哲学にはその他にも多くの下位分野が存在する。こうしたもののなかで特に有力なものとして、美学・言語哲学・心の哲学・宗教哲学・科学哲学・政治哲学といったものがある[26]。
哲学のアプローチ手法は著しく多岐にわたる。これらの多くは、測定装置を通じて得られる実験データを用いないという点で、自然科学の方法論とは大きく異なる[27]。歴史的に見れば、個別科学の大部分は哲学から生じた[28]。哲学は他分野とも密接に関連しており、医学[29]、ビジネス[30]、法・ジャーナリズム[31]、数学・コンピューター科学[32]、宗教・神学[33]、あるいは心理学・社会学・言語学・教育学・芸術といった諸領域にも影響を及ぼしている[34]。
語源
「哲学」は英語で「philosophy(フィロソフィー)」といい、語源は古典ギリシア語の「φιλοσοφία(フィロソフィア)、古代ギリシア語ラテン翻字: philosophía」に由来する。直訳すれば「知を愛する」という意味である。「哲学」という日本語は、明治時代に西周がフィロソフィーに対してあてた訳語である[5][6]。
古代ギリシアにおける「フィロソフィア」
古典ギリシア語の「フィロソフィア(古希: φιλοσοφία、古代ギリシア語ラテン翻字: philosophía、ピロソピアー、フィロソフィア)」という語は、「愛(友愛)」を意味する名詞「フィロス(古希: φίλος)」の動詞形「フィレイン(古希: φιλεῖν)」と、「知」を意味する「ソフィア(古希: σοφία)」が合わさったものであり、その合成語である「フィロソフィア」は「知を愛する」「智を愛する」という意味がある[5][6]。この語はヘラクレイトスやヘロドトスによって形容詞や動詞の形でいくらか使われていたが[35]、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。
古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマのラテン語(羅: philosophia)にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパの修道院でもこの用法が存続したとされる[36]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(羅: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている[37]。
日本語における「哲学」
西周による「哲学」
日本で現在用いられている「哲学」という訳語は、大抵の場合、明治初期の知識人西周によって作られた造語(和製漢語)であると説明される[38][39][4][40][5][6]。少なくとも、西周の『百一新論』(1866年ごろ執筆、1874年公刊)に「哲学」という語が見られる[注 1][41]。そこに至る経緯としては、北宋の儒学者周敦頤の著書『通書』に「士希賢」(士は賢をこいねがう)という一節があり[42][41]、この一節は儒学の概説書『近思録』にも収録されていて有名だった[43]。この一節をもとに、中国の西学(日本の洋学にあたる)が「賢」を「哲」に改めて「希哲学」という語を作り、それをフィロソフィアの訳語とした[4]。この「希哲学」を西周が借用して、さらにここから「希」を省略して「哲学」を作ったとされる[4][注 2]。西周は明治政府における有力者でもあったため、「哲学」という訳語は文部省に採用され、1877年(明治10年)には東京大学の学科名に用いられ[6][38]、1881年(明治14年)には『哲学字彙』が出版され、以降一般に浸透した[41]。なお、西周は「哲学」以外にも様々な哲学用語の訳語を考案している[注 3]。
中国においても、西周による「哲学」が、逆輸入されて現在も使われている[39]。経緯としては、清末民初(1900年代前後)の知識人たちが、同じ漢字文化圏に属する日本の訳語を受容したことに由来する[44][45]。
「哲学」以外の訳語
「哲学」という訳語が採用される以前、日本や中国では様々な訳案が出されてきた[40]。とりわけ、儒学用語の「理」あるいは「格物窮理」にちなんで、「理学」と訳されることが多かった。
17世紀・明末の中国に訪れたイエズス会士ジュリオ・アレーニ(艾儒略)は、西洋の諸学を中国語で紹介する書物『西学凡』を著した。同書のなかでフィロソフィアは、「理学」または「理科」と訳されている[40][46]。
日本の場合、幕末から明治初期にかけて、洋学(西洋流の学問一般)とりわけ物理学(自然哲学)が、「窮理学」と呼称されていた[38]。例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。一方、中江兆民はフィロソフィアを「理学」と訳した[38][46]。具体的には、兆民の訳書『理学沿革史』(フイエ Histoire de la Philosophie の訳)や、著書の『理学鉤玄』(哲学概論)をはじめとして、主著の『三酔人経綸問答』でも「理学」が用いられている。ただし、いずれも文部省が「哲学」を採用した後のことだった[38]。なお、兆民は晩年の著書『一年有半』で「わが日本古より今に至るまで哲学なし」と述べたことでも知られる[47]。
上記の中国清末民初の知識人の間でも、「哲学」ではなく「理学」と訳したほうが適切ではないか、という見解が出されることもあった[48][49]。
「理学」が最終的に採用されず、「哲学」に敗れてしまった理由については諸説ある。上述のように「理」は既に物理学に使われていたため、あるいは「理学」という言葉が儒学の一派(朱子学・宋明理学)の同義語でもあり混同されるため、あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため、などとされる[38][49]。上記の西周や桑木厳翼も、本来は「理学」と訳すべきだが、そのような混同を避けるために「哲学」を用いる、という立場をとっていた[50][41]。
明治哲学界の中心人物の一人・三宅雪嶺は、晩年に回顧して曰く「もしも旧幕時代に明清の学問(宋明理学と考証学)がもっと入り込んでいたならば、哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう」「中国哲学・インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった」「理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する(漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった)」という旨を述べている[38][40]。
概念
一般的特徴
哲学の実践には、複数の一般的特徴、すなわち、理性的な探究の一形態であること、体系的であることを目指すこと、そしてそれ自体の方法と仮定を批判的に考える傾向があるとされる[3]。加えて、人間の条件の中心をなす、挑戦的で、厄介かつ、忍耐を必要とする問題に対する、注意深い熟考が求められる[51]。
知恵を追求する哲学的探究は、一般的で基本的な問いを立てることを伴う。このような営みは必ずしも単純な答えを導くわけではないが、特定の物事についての理解を深めたり、自らの人生を吟味したり、混乱を晴らしたり、自らを騙している先入観に基づく偏見を克服することの助けになる[1]。例えば、ソクラテスは「吟味されざる生に生きる価値なし」と言い、哲学的探究を個人の実存と結びつけた[52]。バートランド・ラッセルは「全く哲学に触れない者は、習慣的観念や生まれた時代、国家、そしてよく熟慮された自らの理性の協力と同意なしに自らの考えの中に根付いた信念からくる常識としての感覚から導き出される偏見の檻の中で人生を過ごすことになる」とした[53]。
日本語の「哲学」は、俗に、経験などから築き上げた人生観・世界観、また、全体を貫く基本的な考え方・思想などを意味することもある[54]。
学術的定義
哲学にさらに正確な定義を与えようとする試みには議論があり[55]、これらはメタ哲学で研究される[56]。全ての哲学において共有される本質的な特性の集合があると主張するアプローチも存在すれば、より弱い家族的類似性しか持たないか、単なる無意味な包括的単語であると主張されることもある[2]。明確な定義は、特定の学派に属する理論家によってのみ受け入れられる場合が多く、セーレン・オーヴァーガードらは、それらが正しいとすると哲学に属すと思われる多くの哲学の部分が「哲学」の名に値しなくなるという点で、修正主義的であるとしている[57]。
一部の定義では、哲学をその方法(例えば、純粋な推論など)との関係によって特徴づけたり、その主題(例えば、世界全体における最も大きなパターンを見出そうとすることだったり、大きな問いに答えようとするようなこと)に焦点を当てたりする[58]。このようなアプローチはイマヌエル・カントによって追究され、カントは、哲学の仕事を「私は何を知ることができるか?」「私は何をすべきか?」「私は何を望むか?」そして「人間とは何か?」の四つの問いを合わせたものであるとした[59]。ただし、これらのアプローチは、それらが哲学以外の分野を含んでしまうという意味であまりに広範であるという問題と、哲学における下位分野をいくらか除外してしまうという点で狭すぎるという問題がある[60]。
他の多くの定義では、哲学の科学との密接な関わりを強調する。このような見方では、哲学それ自体を正当な科学として理解することがある。W.V.O.クワインのような自然主義哲学者によれば、哲学は経験的だが抽象的な科学であり、特定の観測によるものではなく、広範な経験的パターンに関するものであるとされる[61]。科学を基礎とした定義は一般に、なぜ哲学がその長い歴史の中で、科学と同様に、同程度まで発展しなかったのかという問題に行き当たる[62]。この問題については、哲学は未成熟で暫定的な科学であり、一度発展した哲学の一分野はそれを以て哲学ではなくなるのだと考えることによって回避することができる[63]。この考え方により、哲学は「科学の助産師」であると言われることがある[64]。
また、科学と哲学の対照性に焦点を当てる定義もある。そのような概念における一般的なテーマは、哲学は意味と理解、言語の明快化に関するものであるということである[65]。 ある視点によれば、哲学は概念分析であり、概念を適用するための必要十分条件を見つけることを含む[66]。ある定義では哲学は考えることについて考えることとし、その自己批判的で、反省的な性質を強調する[67]。また他の定義では、哲学を言語的治療であるとし、例えばルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学は混乱を招きやすい自然言語の構造によって人間が陥りやすい誤解を取り除くことを目的としているとしている[68]。
エトムント・フッサールのような現象学者によれば、哲学は本質を追究する「厳密科学」とされる[69]。現象学者は、現実についての理論的な仮定を根本的に停止して、「物事それ自体」つまり経験の中でもともと与えられていたものに立ち戻ることを実践する。また、このような経験における基本的な水準が、より高位の理論的知識のための土台を提供するものであり、より後に来るものを理解するにはより前にあるものを理解する必要があると主張する[70]。
古代ギリシアとローマ哲学における初期のアプローチには、個人の理性的キャパシティを育てる精神的な実践が哲学であるというものが見られる[71]。このような実践は哲学者の愛知の表現であり、思慮深い生活を送ることによって個人のウェルビーイングを向上させることが目的とされた[72]。例えば、ストア派は哲学を心の鍛錬の実践であるとし、それによりユーダイモニアを達成し、人生を繁華させることを目指した[73]。
歴史
学術分野としての哲学史は、哲学における概念および学説を体系的かつ系譜的に整理することを目的としている[74]。哲学史はインテレクチュアル・ヒストリーの一部とみなされることもあるが、哲学史は、過去の哲学者の理論が真であるか、そして今日においても哲学的に関連性を保っているかといった、インテレクチュアル・ヒストリーにおいては扱われない問いも探究する[75]。哲学史は主として、合理的探究と論証にもとづく諸理論を対象とするが、より広い意味で、神話、宗教的教え、そして格言的な知識なども含めて理解する歴史家もいる[76]。
哲学史における主要な伝統には、西洋哲学、アラビア・ペルシャ哲学、インド哲学、中国哲学などがある。そのほかにも、日本哲学、ラテンアメリカ哲学、アフリカ哲学などの伝統が存在する[7]。一方で、「東洋に哲学は無い」とする見解もある[77][78][79]。例えば、ジャック・デリダは2001年に訪中した際「哲学は西洋の伝統であり、中国に哲学はない」という旨の発言をしたとされる[77][78]。「東洋に哲学は有ったか」という問いは、哲学の定義とも関わるメタ哲学的な問いであり、一定の答えはない[77]。
「哲学」と「思想」を峻別するという哲学上の立場がある。永井均は、哲学は学問として「よい思考」をもたらす方法を考えるのに対し、思想はさまざまな物事が「かくあれかし」とする主張である、とする[80][81]。一方で小坂修平は別の立場をとり、「哲学と思想の間に明確な区別はない。思想は、一般にある程度まとまった世界なり人間の生についての考え方を指すのにたいし、哲学はそのなかでも共通の伝統や術語をもったより厳密な思考といった程度の違い」であるとする[82] 。
また、宗教と哲学の境界についても議論がある。中世哲学研究者の八木雄二は、「神について学問的分析をすることを『神学』と呼び、自然的な事柄全般についての学問的分析を『哲学』と呼[83]」ぶのが一般的風潮であると提言したうえで、それを翻して、「哲学とは理性が吟味を全体的に行うことと理解すれば、キリスト教信仰を前提にしたあらゆる理性的吟味は、キリスト教哲学ということもできるし神学と呼ぶこともできる[83]」と自説を主張している。つまり、哲学を理性的な吟味を行うことと定義し、その定義より神学は哲学に含まれると述べているのである。フランシス・マクドナルド・コーンフォードは著書『宗教から哲学へ―ヨーロッパ的思惟の起源の研究』で、「哲学は、神話・宗教を母体とし、これを理性化することによって生まれてきた[84]」といった哲学史観を示している。これは今日一般的な哲学観であり、中世哲学史家のエティエンヌ・ジルソン[84]、科学哲学者のカール・ポパー[85] もこれと同じ哲学観を持っている。
西洋

西洋哲学の歴史は紀元前6世紀の古代ギリシャにおける、ソクラテス以前の哲学者にまで遡ることができる。彼らは宇宙(コスモス)全体を対象として、その根本原理や構造を合理的に説明しようと試みた[8]。その後の哲学は、ソクラテス(紀元前469–399年)、プラトン(紀元前427–347年)、アリストテレス(紀元前384–322年)によって形成された。彼らは、探究の対象を拡大し、人間はいかに行為すべきか(倫理学)、いかにして知識に到達するか(認識論)、そして実在や心の本性とは何か(形而上学)といった問いに取り組んだ[9]。古代哲学においてはその後、エピクロス主義、ストア派、懐疑主義、新プラトン主義といった思想潮流が生まれた[87]。5世紀頃からはじまる中世哲学の時代においては宗教的主題が重視され、多くの思想家がキリスト教神学の説明・精緻化に古代哲学を用いた[10][11]。
14世紀からはじまったルネサンスの時代には古代哲学、特にプラトン主義に関する興味が改めて高まった。人文主義の勃興もこの時代である[88]。17世紀に始まる近世哲学の時代には、哲学的・科学的知識がいかにして形成されるかが中心的課題のひとつとなり、理性の役割と感覚的経験に注目が集まった[12]。この時代の革新は伝統的権威に挑戦する啓蒙運動における用具ともなった[12]。19世紀には、ドイツ観念論やマルクス主義といった哲学を包括する体系を構築しようとする試みがなされた[13]。20世紀の哲学における重要な展開としては、形式論理の成立と応用、言語の役割への注目(言語論的転回)、プラグマティズム、さらに現象学・実存主義・ポスト構造主義といった大陸哲学の諸運動が挙げられる[14]。同時に、学術機関における哲学研究と哲学者の数、そして哲学的出版物の量は急速に拡大した[89]。女性哲学者の数も顕著に増加したものの、依然として過小評価の状態にあった[90]。
アラビア・ペルシャ

アラビア・ペルシャの哲学は、9世紀初頭に伝統的なイスラーム神学における議論への応答として生じた。イスラーム哲学の古典期は12世紀まで続き、古代ギリシャ哲学の強い影響を受けていた。ギリシャ哲学は『クルアーン』の教えの解釈および精緻化に利用された[15]。
キンディー(801–873年)は、一般にこの伝統の最初の哲学者とみなされる。彼はアリストテレスや新プラトン主義者の著作を多く翻訳・解釈し、理性と信仰の間には調和が存在することを示そうと試みた[16]。イブン・スィーナー(980–1037年)も同様の目標を掲げ、科学・宗教・神秘主義を含む実在を理性的に理解するための包括的な哲学体系を構築した[17]。一方で、ガザーリー(1058–1111年)は、理性によって実在および神に対する正しい認識に到達することができるという考えを強く批判した。彼は『哲学者の自己矛盾』にて哲学を詳細に批判し、哲学をクルアーンの教えや神秘的直観の傍らに位置づける、より限定的な役割に押し込もうとした[91]。ガザーリー以降、そして古典期の終焉とともに、哲学的探究の影響力は減退した[92]。モッラー・サドラー(1571–1636年)はしばしば、その後の時代で最も影響力のある哲学者のひとりとされる[93]。19世紀から20世紀にかけて、西洋思想と制度の影響が強まると、イスラーム近代主義と呼ばれる知的運動が生まれ、伝統的なイスラーム信仰と近代性との関係を理解しようと試みた[94]。
インド

インド哲学における際立った特徴の一つは、実在の本性の探究、知識へ到達する方法の考察、そしていかにして正覚に至るかという精神的問いを統合している点にある[19]。その起源は紀元前900年頃、『ヴェーダ』が編纂された時期にさかのぼる。ヴェーダはヒンドゥー教の基礎をなす経典であり、自我(アートマン)と究極的実在(ブラフマン)の関係、さらに魂が過去の業に基づいてどのように転生するのかといった問題を考察している[18]。この時代には、仏教やジャイナ教といった、ヴェーダに拠らない思想も生じている[95]。仏教はガウタマ・シッダールタ(紀元前563–483年)によって創始された。仏教においてはヴェーダ的な常住論に異議が唱えられ、苦から解放されるための道が提示される[95]。マハーヴィーラ(紀元前599–527年)が創始したジャイナ教においては、非暴力とあらゆる生命への尊重が強調される[96]。
紀元前500年から紀元前200年ごろに始まるとされる古典期においては[96]、ヒンドゥー教に6種類の主流学派(六派哲学)が成立する。すなわち、ミーマーンサー学派・ヴェーダーンタ学派・サーンキヤ学派・ヨーガ学派・ニヤーヤ学派・ヴァイシェーシカ学派である[97]。また、この時代にはシャンカラ(c. 700–750年)により不二一元論が整備された。シャンカラは万物は一体であり、多くの個別的存在からなる宇宙は幻影にすぎないと主張した[98]。一方で、ラーマーヌジャ(1017–1137年、1077–1157年とも[99])による被限定者不二一元論においては、個別的存在についても全体の部分として実在していると主張された[100]。彼は神への絶対的帰依(バクティ)を説く神秘主義的運動であるところのバクティ運動を普及させ、この運動は17–18世紀まで続いた[101]。1800年ごろ、西洋思想との接触により生じた近代期においては[102]、さまざまな哲学的・宗教的思潮を調和させる包括的体系の構築が試みられた。たとえばヴィヴェーカーナンダ(1863–1902年)は、不二一元論の立場から、あらゆる宗教は統一的神聖に至るための道として開かれていると論じた[103]。
中国

中国哲学は正しい社会的行動、統治および自己修養を重視した。紀元前6世紀には当時の政治的混乱を解決すべく、諸子百家が現れた[20]。このなかでもっとも著名なのは儒家および道家である[104]。儒家思想は孔子(紀元前551–479年)により創始され、徳にもとづく社会的調和が探求された[105]。道家思想においては人間が道、すなわち宇宙の自然な秩序に従うことによって、自然と調和して生きる方法が探求される[106]。ほかに、利他的帰結主義の初期の形態である墨家[107]、強力な国家と法の重要性を説く法家などがある[108]。
仏教は1世紀に中国に導入され、新たな思想潮流を形作った[109]。3世紀より玄学が成立し、道家の著作(道典)が形而上学的に解釈された[109]。11世紀にはじまる宋明理学においては、儒典の体系化および儒教的倫理の形而上学的基礎づけが行われた[110]。20世紀には中国哲学は西洋哲学の影響を受け、階級闘争・社会主義・共産主義を重視するマルクス主義が政治に大きな変化をもたらした[111]。また、儒家思想と民主主義的理想や近代科学の両立を探求する新儒家が現れた[112]。
その他
日本においては土着的宗教として神道が存在し、その後6世紀から7世紀にかけて儒教および仏教が浸透した[113]。平安時代には密教が導入され、国家鎮護を願う顕教とともに両輪を担った。末法思想の膾炙にともない浄土教が発展したほか、神道の神を仏教の諸仏の現れ方のひとつとする本地垂迹思想がうまれた[18]。鎌倉時代には浄土宗・浄土真宗・時宗・日蓮宗といった新宗派がうまれたほか、臨済宗・曹洞宗といった禅宗が導入された[114]。神道では、神を中心として儒・仏・道の諸思想を習合する吉田神道がうまれ、近世にはほとんどの神職がその影響下に入った[115]。16世紀に勢力を増した朱子学は[116]、江戸期には幕藩体制の思想的基盤として採用された一方[18]、陽明学派や古学派などはこれを批判した[117]。日本古代を研究することにより日本独自の精神性を見出そうとする国学は、江戸時代中期ごろより発展した[118]。20世紀に生まれた京都学派は東洋的精神と西洋哲学の統合を目指した[119]。
先コロンブス期のラテンアメリカにおいては、実在の本性や人間の役割に関する問いが探求された[120]。これは、万物の相互関連性を説いた北アメリカ先住民哲学とも相似する[121]。1550年ごろよりはじまった植民地化以降、ラテンアメリカではスコラ学にもとづく宗教哲学が盛んになり、ポスト植民地期には実証主義、解放の哲学、アイデンティティと文化に関する探求などが影響力のある主題となっている[122]。
初期のアフリカ哲学は主として口承によって実践され、共同体、道徳、祖霊的観念に焦点を当てた。民間伝承、格言、宗教的思想、そしてウブントゥのような哲学的概念を含んでいた[123]。アフリカにおいて体系だった哲学が生じるのは20世紀のことであり、民族哲学、ネグリチュード、パン・アフリカ主義、マルクス主義、ポストコロニアル理論、相対主義、アフリカ認識論、ヨーロッパ中心主義批判などがその主題となっている[124]。
主題と分類
哲学的問題は、いくつかの下位分野に分類することができる。こうした分類は、哲学者が類似した主題の集まりに取り組み、同様の課題に関心をもつ他の研究者と交流することを可能にする。哲学の主要な分野としては、認識論・倫理学・論理学・形而上学が挙げられることがある[21]。しかし、それ以外にも多くの下位分野が存在し、それらは必ずしも網羅的・相互排他的なものではない。たとえば、政治哲学・倫理学・美学は、規範的または評価的な側面を探究するという共通性から、価値論の一部とみなされることがある[125]。さらに、哲学的探究は自然科学・社会学、あるいは宗教・数学といった他の学問領域と重なり合うこともある[126]。
貫成人は、哲学を「絶対的存在の想定」型、「主観と客観の対峙」型、「全体的なシステムの想定」型の三つに分類している[127]。第一のタイプは自然、イデア、神といったすべての存在を説明する絶対的原理の存在を前提するものであり、古代や中世の哲学が含まれる[127]。第二のタイプは認識の主体に焦点を当てて主観と客観の対立図式に関する考察を行うもので、近世や近代の哲学は主にこのタイプとされる[127]。第三のタイプは人間を含む全ての存在を生成するシステムをについて考えるもので、クロード・レヴィ=ストロースの構造やルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの言語ゲームがこれに該当する[127]。第一のタイプの絶対的存在が自身は常に同一にとどまりつつ他の物体に影響を与えるのに対し、第三のタイプの全体的なシステムは可変的であるという[127]。
認識論
認識論は知識について研究する分野である。知識とは何か、どのようにして生まれるのか、その限界はどこにあるか、どのような価値を有するかについて論じる。また、認識論においては真理・信念・正当化・合理性などの本性について探求される[22]。認識論者が扱う問いには、「どのようにして人は知識を獲得できるのか」「真理はいかにして確立されるのか」「因果関係は証明できるのか」といったものがある[128]。
認識論はおもに「ダイアナ妃は1997年に死去した」といった宣言的知識、あるいは事実に関する知識を重視するが、ほかに自転車の乗り方といった手続き的知識、個人的にある有名人を知っているといった見知りによる知識についても探求する[129]。
知識の分析は、認識論の一領域である。これは、宣言的知識がいくつかの要素から成り立っていると仮定し、その構成要素を明らかにしようとするものである。この分野で影響力のある理論の一つは、知識は「信念である」「正当化されている」「真である」という3つの構成要素から成り立っているというものである。この理論は議論を呼んでおり、これに関わる困難さはゲティア問題として知られている[130]。異なる見解として、知識は「偶然的でない」といった追加の構成要素が必要であるという立場、正当化ではなく認識論的徳の発現といった別の構成要素が必要であるという立場、そもそも知識を別の現象を用いて分析することを否定する立場などがある[131]。
別領域として、どのようにして人は知識を獲得するかというものがある。知識の起源としてしばしば試論の遡上にのぼるものとして、知覚・内観・記憶・推論・証言がある[132]。経験論の立場からは、すべての知識は何らかのかたちの経験に基づいているとされる。理性主義の立場においてはこの見解は退けられ、先天的知識のように、経験を通さずに得られる知識も存在することが主張される[133]。遡行問題(regress problem)は、知識の起源および理論の正当化を行う上で共通の問題となる。これらの議論の正当化は、信念には何らかの理由ないし根拠が必要であるという基礎にもとづいているものの、こうした正当化の理由づけそのものに対しても、別の正当化が必要かもしれない。このことにより、無限後退や循環論法が引き起こされる。基礎付け主義の立場においては、信念や知識の起源には、それ自体の正当化を必要とせず、かつ他者を正当化可能なものがあるとの主張により、この結論を回避しようとする[134]。真理の整合説の立場からは、信念が他の信念と整合しているならば、正当化は可能であるとされる[135]。
認識論に関する多くの議論は、哲学的懐疑主義とも接点を有している。これはある知識ないしすべての知識を懐疑するというもので、知識には絶対的確実性が必要であり、人間はそれを獲得できないという考えに基づいている[136]。
倫理学
倫理学は、何が正しい行為を構成するかについて研究する分野である。倫理学は、人格的特性や慣習などの倫理的価値の評価とも関連する。また、道徳の基準が何か、どのようにすると善く生きることができるかについても探求する[23]。倫理学が扱う基礎的問いとしては「道徳的義務は相対的なものなのか」「幸福と義務のどちらが優先されるのか」「人生に意味を与えるものは何か」といったものがある[137]。
倫理学の下位分野としてはメタ倫理学・規範倫理学・応用倫理学といったものがある[138]。メタ倫理学においては、道徳の本性およびその起源に関する抽象的議論が展開される。「正しい行為」や義務といった倫理的概念の意味の分析がなされるほか、倫理学の理論が抽象的意味においても真であるか、これらの知識がどのように獲得されるかといったことが探求される[139]。規範倫理学は、正しい行為と不正な行為がどのように区別されるかといった一般理論を包含する。規範倫理学は人の有する道徳的義務および権利について論じることで、倫理的決定の手助けを行う。応用倫理学は職場や医療といった特定の状況において、規範倫理から導かれる一般的理論がどのような帰結を招くかについて研究する[140]。
現代規範倫理学においては、帰結主義・義務論・徳倫理学の3つの立場が有力である[141]。帰結主義においては、行為はその帰結にもとづいて判断される。その一例である功利主義は、行為は苦痛の最小化と幸福の最大化を目指すべきだと主張する。義務論においては、行為は嘘をつかない、殺人をしないといった道徳的義務にもとづいて判断される。この立場において重要であるのは、行為が義務と一致しているかどうかであり、その帰結ではない。徳倫理学の立場からは、行為はその主体の道徳的性格をどのように表しているかによって判断される。この立場によれば、行為は寛大さや誠実さといった徳を具現する理想的な人のふるまいに従って行われるべきである[142]。
論理学
論理学は、正しい論理的推論について研究する分野である。論理学においては、良い論証とそうでない論証をどのようにして区別するか理解することが目標とされる[24]。論理学は、形式論理学と非形式論理学に大別される。形式論理学は、明瞭な記号表現にもとづく形式言語を用いて、論証について研究する。正確な基準を追求し、議論の構造を検討することで、その真偽を判定する。非形式論理学は非形式的な基準にもとづき、論証の正しさを評価する。非形式論理学は内容や文脈といった要素にも依拠する[143]。
論理学は多様な論証について論じる。演繹的論証はおもに形式論理学によって研究される。演繹的に妥当な議論とは、その前提が真であるならば結論も必ず真となるような議論である。 演繹的に妥当な議論は、モーダスポネンスのような推論規則に従う。モーダスポネンスとは「Pである。もしPならQである。したがって、Qである」といった論理形式であり、たとえば「今日は日曜日である。もし日曜日なら、休日である。したがって、今日は休日である」といった論証によって例示される[144]。
非演繹的論証においても、前提は結論を支持するが、その支持は結論が真であることを保証するものではない[145]。非演繹的論証のひとつとして、帰納推論がある。帰納推論は、個別の事例から出発し、すべての事例に及ぶ普遍的法則への一般化を行う。たとえば、多数の黒いカラスを観察したことから「すべてのカラスは黒い」と結論する推論がそれである[146]。アブダクションは、ある観察にもとづき、その観察を最もよく説明する仮説が真であると結論する推論である。たとえば、医師が観察された症状にもとづいて病気を診断する場合がそれに当たる[147]。論理学は、誤った推論の型についても研究する。これらは誤謬と呼ばれ、その誤りの原因が論証の形式のみにあるか、それとも内容や文脈にも関係しているかによって、形式的誤謬と非形式的誤謬に分類される[148]。
形而上学
形而上学は実在のもっとも一般的な特徴、たとえば存在・対象およびその性質、部分と全体の関係、時間と空間、出来事および因果性について研究する分野である[25]。形而上学という用語の正確な定義には議論があり、また、その意味は時代とともに変化してきた[149]。形而上学における基礎的問いとしては「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」「実在は究極的には何から構成されているのか」「人は自由か」といったものがある[150]。
形而上学は、一般形而上学(general metaphysics)と特殊形而上学(special metaphysics)に区分されることがある。一般形而上学は存在(being)それ自体について探究し、あらゆる存在者に共通する特徴を考察する。特殊形而上学は、さまざまな種類の存在とその特徴、そしてそれらが互いにどのように異なるかに関心を向ける[151]。
形而上学における重要な領域の一つが存在論である。存在論は、一般形而上学と同一視されることもある。存在論は存在・生成・実在などを研究対象とし、存在のカテゴリ、さらにはもっとも基礎的な程度で存在するものとは何かについて論じる[152]。哲学的宇宙論も形而上学の下位分野であり、世界全体の本質に注目する。哲学的宇宙論では、宇宙に始まりや終わりがあるのか、宇宙は何者かによって創造されたのかといった問いが扱われる[153]。
形而上学の主要な論点の一つは、現実が物質やエネルギーといった物理的なものだけから構成されるのかどうかという問題である。これに対する代替的な見解としては、物理的なものとは別に、魂や経験といった心的存在者、あるいは数のような抽象的存在者も存在するという立場がある。また、形而上学においては同一性の問題も扱われる。ここでは、「ある存在者はどの程度まで変化しても、同じ存在者であり続けることができるのか」という問いが立てられる[154]。ひとつの見解として、存在者には本質的性質と付帯的性質がある。付帯的性質は変化しうるが、本質的性質を失えば、その存在者はもはや同一ではないとされる[155]。形而上学における中心的な区分として、個物と普遍がある。「赤色」といった普遍は、同時に異なる場所で存在しうるが、個々の人間や特定の対象といった個物はそうではない[156]。その他の形而上学的問いとしては、「過去は現在を完全に決定するのか」「このことは自由意志の存在にどのような含意をもたらすのか」といったものがある[157]。
その他の下位分野
哲学にはその他にも多くの下位分野が存在する。こうしたもののなかで特に有力なものとして、美学・言語哲学・心の哲学・宗教哲学・科学哲学・政治哲学といったものがある[26]。
哲学の下位分野としての美学は、美、あるいは崇高といった、その他の美的性質の本性と価値を研究する[158]。美学はしばしば芸術の哲学とともに扱われるが、美学は自然美のように、芸術的なものに限らない経験的側面を包含する、より広い領域を対象としている[159]。美学の中心的な問いの一つは、美が対象の客観的な特徴であるのか、それとも経験における主観的側面であるのかという問題である[160]。美学者はまた、美的経験や美的判断の本性についても探求する。さらに、美術工芸品の本質や、その創造過程なども美学の主題である[161]。
言語哲学は、言語の本性と機能について研究する。意味・指示・真理といった概念が研究対象であり、言葉が事物とどのように関係するのか、また言語が人間の思考や理解にどのような影響を及ぼすのかを明らかにすることを目指す。言語哲学は、論理学や言語学とも密接な関係をもつ[162]。言語哲学は、ゴットロープ・フレーゲやバートランド・ラッセルによって、特に20世紀初頭における分析哲学において重要な立ち位置を占めた。分析哲学の中心的主題のひとつとして、文がどのようにして意味を獲得するかというものがある。この主題には大きく2つの理論的立場があり、ひとつは文の真理条件を重視するもの、もうひとつはある文を用いるうえで適切な状況について探求するものである。後者は言語行為論と関係する[163]。
心の哲学は、心的現象の本性およびそれが物的世界とどのように関連するかについて研究する[164]。心の哲学は、信念・欲求・直観・感情・感覚・自由意志といった、意識的・無意識的な多様な心的状態を理解することを目指す[165]。心の哲学における影響力のある洞察のひとつとして、対象の内的経験と、その対象の外部世界における存在のあいだには区分があるというものがある。心身問題は、心と物がどのように関連しているかを問う問題である。唯物論の立場においては物がより基礎的であるとされ、観念論の立場からは、心がより基礎的であるとされる。実体二元論の立場からは、心と物は別個の存在者であるとされる。現代哲学におけるほかの一般的見解としては機能主義があり、心的状態をその機能や因果的役割によって理解する[166]。心身問題は意識のハード・プロブレムとも密接に関連する。これは、脳という物質がいかにして質的な主観経験(クオリア)を生み出すかという問題である[167]。
宗教哲学は、宗教に関する基本的な概念・前提・議論を研究する。宗教とは何か、神性をどのように定義すべきか、神は唯一か複数か、そもそも存在するのかといった問題を批判的に検討する。また、宗教的教義を拒否する世界観も検討される[168]。宗教哲学が扱うさらなる問いには、たとえば「宗教的言語に文字通りの意味がないとしたら、どのように解釈すべきか」[169]、「神の全知は自由意志と両立するか」[170]、「世界の宗教の相互に矛盾するように見える多様な教義は、何らかの意味で調和しうるのか」[171]などがある。宗教哲学は、哲学におけるほぼすべての主題と関係をもちうる[172]。神学的論争が通常一つの宗教伝統の内部で行われるのに対し、宗教哲学の議論は特定の神学的前提を超えて展開される[173]。
科学哲学は、科学に関する基本的な概念・前提・問題を研究対象としており、科学とは何であり、擬似科学とどのように区別されるのかを考察する。また、科学者が用いる方法と、それがどのようにして知識をもたらすのかについて、その方法がどのような前提に基づくのかを検討する。また、科学の目的やその含意についても考察する[174]。科学哲学が扱う問いには、「どのようなものが適切な説明として重要視されるのか」[175]、「科学法則は単なる規則性の記述以上のものなのか」[176]、「個別科学はより一般的な科学によって全面的に説明されうるのか」[177]といったものがある。科学哲学の扱う対象は広範であり、自然科学の哲学と社会科学の哲学に大別され、それぞれさらに個別科学ごとの下位分野に分かれる。これらの諸分野が互いにどのような関係にあるかも、科学哲学におけるひとつの問題である。科学哲学の扱う問題の多くは、形而上学や認識論の問題とも重なり合う[178]。
政治哲学は、政治的制度や社会を支配する基本原理や理念を哲学的に探究する。政治における基本的概念・前提・議論を検討し、政府の本性と目的について研究するとともに、その諸形態を比較する[179]。さらに政治哲学は、どのような状況下において政治的権力の行使が単なる暴力ではなく、正当性を有するかにいても論じる[180]。こうした観点から、政治的権力および社会的・物質的財産の分配、法的権利なども政治哲学の問題となる[181]。ほかの重要な主題には、正義・自由・平等・主権・ナショナリズムなどがある[182]。政治哲学は規範的問題についての一般的探求を行う点において、存在する国家について経験的に記述することを目的とする政治学と異なる[183]。政治哲学はしばしば倫理学の一部とみなされる[184]。政治哲学における有力な思想潮流として、自由主義・保守主義・社会主義・アナキズムがある[185]。
方法論
哲学における手法には、哲学的知識に到達し、主張を正当化する技術、あるいは競合する理論を選び取る際の原則といったものが含まれる[186]。歴史的に採用されてきた哲学のアプローチ手法は著しく多岐にわたる。これらの多くは、測定装置を通じて得られる実験データを用いないという点で、自然科学の方法論とは大きく異なる[27]。アプローチ手法の選択は、哲学理論の構築の仕方や、それを支持または批判する根拠に対して重要な影響を及ぼす[187]。この選択は、何が「哲学的証拠」とみなされるかという認識論的な観点によって導かれることが多い[188]。
方法論の不一致は諸理論、あるいは哲学的問いに対する答えをめぐる論争を生み出す。新しい手法の発見はしばしば、哲学者の研究の進め方や、擁護する主張の内容に大きな影響を与えてきた[189]。ある特定の手法を用いて理論を構築する哲学者がいる一方、広範な手法から問題解決に適切なものを選び取る哲学者もいる[190]。
概念分析は分析哲学において一般的な手法であり、概念の意味を構成要素に分解することで明瞭にしようとする[191]。同じく分析哲学においてよく用いられる手法は、常識を基礎とするものである。これは、一般に認められた信念を起点として予期しない結論を導き出そうとするものである。この手法は、しばしば一般通念から乖離した哲学的概念を批判するため、否定的に用いられる[192]。一般的な言語の使用をもとに哲学的問題にアプローチしようとする日常言語学派の手法は、これと類似している[193]。
哲学の多くの手法は、とりわけ直観を重視する。直観とは、ある主張や一般原理が正しいかどうかについて、推論を経ずに抱く印象のことである。直観は特に思考実験において重要な役割を果たす。思考実験では、反事実的思考を想定し、その結果生じるであろう帰結を評価することによって、哲学理論を支持したり反論したりする[194]。反照的均衡においても直観が用いられる。これは、ある問題について整合的立場を形成することを目指し、関係するあらゆる信念や直観を検討する。整合的観点を得るためには、しばしば一部の信念や直観を弱めたり、再解釈したりする必要が生じる[195]。
プラグマティズムは、ある哲学的理論が真であるか判断するうえでは、具体的な実践的帰結が重要であると強調する[196]。チャールズ・サンダース・パースのプラグマティズムの格率によれば、ある人がある対象について持つ観念とは、その対象が導きうる実践的な帰結の総体にほかならない。プラグマティストはこの格率をもととして、哲学における見解の不一致は言語的な問題に過ぎず、帰結のうえでは差異らしいものが生じないことを示そうとしてきた[197]。
現象学は、現前する世界および人間の経験の構造に関する知識を探求する。現象学者はあらゆる経験の主観的性格を強調し、外部の世界に関する理論的判断を留保する。この現象学的還元の手法は括弧入れないしエポケーとして知られている。現象学の目的は、ものの現前のありかたについて純粋な記述を行うことである[198]。
方法論的自然主義においては、自然科学における実験データとそこから導き出される理論を重視する。この立場は推論や内省にもとづく方法論と対照的である[199]。
他分野との関連

哲学は他分野とも密接に関連している。哲学は、各領域の基本概念、背景的前提、方法を批判的に検討するため、他分野の性質とその限界を明確化するメタ分野であると理解されることもある。この点で、哲学は学際的視点を提供するうえで重要な役割を果たす。哲学は、諸学問が共有する概念や問題を分析することによって、それらのあいだの隔たりを架橋する。それによって諸分野がどのように重なり合うかを示すと同時に、それぞれの射程を画定する[31]。歴史的に見れば、個別科学の大部分は哲学から生じた[28]。
哲学の影響は、実践的に困難な判断を要する複数の領域においても感じられる。医学においては、生命倫理学に関わる哲学的考察が、たとえば胚は人格を有するかどうか、妊娠中絶はどのような条件であれば道徳的に許容されうるかといった問題に影響を及ぼす。これらと関連する哲学的問題として、人間は他の動物をどのように扱うべきか、たとえば非人間動物を食料や研究目的で用いることが許されるかどうかといったものも挙げられる[29]。また、ビジネスや職業生活においても、哲学は倫理学的枠組みの制定に寄与する。いかなる企業行動が道徳的に容認されるかに関する指針や、企業の社会的責任の問題などがこの範疇に含まれる[30]。
哲学的探究は、何を信じるべきか、また信念の根拠をいかにして獲得するかという問題に関わる多くの分野と関連している。これは科学の中心的問題である。なぜなら、科学の主要な目的のひとつは科学的知識の生成だからである。科学的知識は経験的証拠にもとづくが、経験的観察が中立的であるのか、それともすでに理論的前提を含んでいる(cf. 観察の理論負荷性)のかはしばしば明らかではない。これと密接に関連する問題として、既知の利用可能な証拠が対立する理論のどちらを採用すべきかを判断するのに十分であるかどうかというものがある(cf. 決定不全)[200]。法に関連する認識論的問題には、何が証拠と見なされるか、またある人物が有罪であると判断するのにどれだけの証拠が必要とされるかが含まれる。ジャーナリズムにおいては、出来事の報道に際して真実と客観性をいかに確保するかが関連する問題となる[31]。
神学および宗教の領域においては、神の存在と本性に関する多くの教義や、正しい行動を規定する規則が存在する。合理的な人間がこれらの教義を信じるべきかどうかは重要な問題であり、たとえば聖典における啓示や、神性に関わる神秘体験が、これらの信念の根拠として十分であるかどうかが問われる[33]。
哲学のうち論理学の形態をとるものは、数学およびコンピューター科学に影響を与えた[32]。さらに、哲学は心理学・社会学・言語学・教育学・芸術といった諸領域にも影響を及ぼしている[34]。現代における哲学と他分野との密接な関係は、多くの哲学専攻者が哲学そのものではなく、関連する領域で活動しているという事実にも反映されている[201]。
一方で、リチャード・ファインマンが「科学哲学は鳥類学者が鳥の役に立つ程度にしか科学者の役に立たない」と述べるように哲学と自然科学はある分野では分離しており[202]、物理学者の須藤靖は物理学に対する科学哲学の有効性は限定的なものでないかと評価している[203]。また、トルケル・フランセーンの論じるように、哲学者はしばしばゲーデルの不完全性定理のような数学的概念を不正確なかたちで援用している[204]。ポール・ディラックは、ウィトゲンシュタインといった哲学者が量子波動関数や不確定性原理について不正確な主張をすることに嫌悪感を抱いていた[205]。
政治の領域において、哲学は政府が公正であるかどうかをどのようにして評価するかといった問題を扱う。哲学的理念は、さまざまな政治的展開を準備し、形成してきた。たとえば、啓蒙思想において定式化された理念は、立憲民主主義の基礎を築き、アメリカ独立革命およびフランス革命に寄与した[206]。マルクス主義思想およびそれによる共産主義の議論は、ロシア革命および中国共産革命の一因となった[207]。インドにおいては、マハトマ・ガンジーの非暴力の哲学がインド独立運動を形成した[208]。また、第三帝国ナチス・ドイツは様々な形で哲学者たちと相互協力しており[209]、アドルフ・ヒトラー自身も「哲人総統」[210]、「哲人指導者」を自認して活動していた[211]。
哲学は、メアリ・ウルストンクラフト、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、ジュディス・バトラーといった哲学者を介してフェミニズム運動に影響を与えた。ジェンダーの意味と生物学的性との関連、個人のアイデンティティの形成への影響といった、フェミニズムの中心的理念は、哲学を通して形成された。また、哲学者は正義と平等の概念、それが男性中心社会における女性の差別的扱いにどのように関連するかについても探求した[212]。
哲学が生活や社会の多くの側面において有用であるという考えは、ときとして退けられることもある。いわく、哲学の目的は哲学そのものにあり、それは既存の実践や外部の目的に対して大きく寄与するものではない[213]。