RDS-1
ソ連で行なわれた核実験
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概要
この実験は現在のカザフスタンにあるセミパラチンスク核実験場で行なわれ、10ヶ月の準備期間の上で37メートルの鉄塔に仕掛けて爆発させた。爆発によって生じた放射性降下物は9月3日に三沢飛行場からアイルソン空軍基地まで飛行したアメリカの気象偵察機WB-29(B-29の偵察型)により検出され[1]、9月23日、アメリカのトルーマン大統領により核実験確認が公表された。翌日にはソ連もこれを認めた。アメリカはソ連の核保有は1953年と予測し、イギリスは1954年と予測していたため[2]、両国を含む西側諸国は衝撃を受けた。
この実験は爆縮型プルトニウム原子爆弾の爆発実験で、トリニティ実験で使われたガジェットや長崎市に投下されたファットマンと同型である(爆縮レンズの情報は、スパイおよびマンハッタン計画に参加した学者たちから提供された)。ファットマンとはその形状まで酷似しており、これはアメリカの3人の爆縮レンズ研究者によって情報が漏れ出したためである。スパイ活動に関与した当時18歳だったテッド・ホールは後に、アメリカが独占することに危機感を覚え各国が共有することで平和が保たれると判断したからだと語っている。また、ソ連は日本への原子爆弾投下に用いられたB-29戦略爆撃機とほぼ同型(リバースエンジニアリングによるコピー)の爆撃機Tu-4AをRDS-1の投下用に開発した[3]。
この実験による核出力は22キロトンのTNTの爆発と同規模だった。この実験の成功によってアメリカの核の独占は終わり、冷戦が本格化することとなった。そしてアメリカは水素爆弾の開発を急ぐこととなる。
