スーパーグラス

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スーパーグラス英語: Supergrass)は、イギリスオックスフォード出身のロックバンド

概要 スーパーグラス, 基本情報 ...
スーパーグラス
左からギャズ、ダニー、ミック。2008年撮影。
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド
オックスフォード
ジャンル オルタナティヴ・ロック
ブリットポップ
ポップ・ロック
活動期間 1993年 - 2010年
2019年 -
レーベル パーロフォン
キャピトル・レコード
共同作業者 ザ・ジェニファーズ
ダイアモンド・フー・ハ・メン
ザ・ホットラッツ
dBバンド
公式サイト SUPERGRASS.COM
メンバー ギャズ・クームス
ダニー・ゴフィー
ミック・クイン
ロブ・クームス
デヴィッド・ボウイ
ニール・ヤング
ザ・フー
ローリング・ストーンズ
キンクスなど
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概要

1993年結成。90年代半ばのブリットポップムーブメントから登場し、若さと勢い溢れるキャッチーなギターロックで瞬く間に人気を博した。

ポップでエネルギッシュな音楽性を基調としながら、グラムサイケソウルフォークロックなど様々なジャンルの要素を取り入れ、デビュー当初のポップ・パンク路線を大胆に変化させていった。発表したアルバムの全作(6枚)が全英チャート入りを果たした。ブリットポップ終焉後もイギリスを代表するバンドとして高い支持を集め、今日では多くのミュージシャンがその影響を受けたことを公言している。

アルバム制作中の2010年、音楽性の違いを理由に解散することを発表。[1]同年6月にフェアウェル公演を行い、[2]17年に及ぶキャリアに幕を下ろした。

2019年9月6日のサプライズ公演をきっかけに活動を再開し、同月に再結成ツアー等が告知された。[3]

メンバーと主な担当楽器

ギャズ・クームス(英語: Gaz Coombes1976年3月8日 - )
担当:ボーカルギター
デビュー当時は、メンバー最年少の18歳。その顔つきやトレードマークの長いもみあげ、少年っぽい顔立ちで、カルバン・クラインから下着モデルを依頼されたという逸話を持つ。2011年には、本国でトヨタ・ヤリスのCMに出演[4]。バンド解散後はソロ活動を行っている。
ダニー・ゴフィー(英語: Danny Goffey1974年2月7日 - )
担当:ドラムスボーカル
ザ・フーキース・ムーン直系の激しいドラムプレイで、2004年バンド・エイド20のドラムを担当するなど、その腕前は評価が高い。ザ・リバティーンズ周辺とも交流があり、一時期ベイビーシャンブルズにサポート加入していたこともある。2015年、「Vangoffey」としてソロデビューを果たす。
ミック・クイン(英語: Mick Quinn1969年12月17日 - )
担当:ベースボーカルコーラス
メンバー最年長。最初はミッキーと名乗っていたが、セカンド・アルバム発表時からはミックに改名した。ベースのほかにボーカルやコーラスも担当している。解散後は、自らのバンド「dBバンド」として活動するほか、スワーヴドライヴァーのサポートメンバーとしても活動している。
ロブ・クームス(英語: Rob Coombes1972年4月27日 - )
担当:キーボード
ギャズの兄。キーボード・プレイヤーとして活動初期からバンドに参加。セカンド・アルバムからは作曲者のクレジットに名前が記載されるなど準メンバー扱いだったが、2002年に正式メンバー入りしている。

サポート・メンバー

チャーリー・クームス(英語: Charly Coombes1980年12月27日 - )
担当:ギターコーラスタンバリン
ギャズとロブの弟。22-20sのキーボード・プレイヤーだったが、22-20s解散後の2005年、ライブのサポート・メンバーとして参加した。自らのバンド「チャーリー・クームス&ザ・ニュー・ブリード」を率いて活動していたが、近年はソロや映像作家としても活動している。

来歴

1990年代

1991年、スーパーグラスの前身バンド「ザ・ジェニファーズ」結成。メンバーは、当時15歳のギャレス・クームス(後にギャズと改名)と17歳のダニー・ゴフィーのほか、ダニーの兄ニック(後に映像作家に転身して、スーパーグラスやケミカル・ブラザーズオアシスなど多くのバンドのPVを手がけている)とベーシストのアンディ・デイヴィスの4人だった。1992年7月20日、スウェードを輩出したことで知られるヌード・レコードから、ジェニファーズ唯一のシングル「Just Got Back Today」をリリース。なお当時ギャズは16歳だったため、契約書には母親が代わりにサインしたという。しかし、翌年の1993年、セールス的にはそれほど成功しないまま、ジェニファーズは解散。ギャズとダニーは、解散後も共に活動を続けることを確認する。

同年2月、ギャズ(とダニー)は、アルバイト先で知り合ったミッキー・クイン(後にミックと改名)を誘い、「Theodore Supergrass」を結成。すぐにセオドアは取れて、バンド名は「スーパーグラス」になった。10月30日、オックスフォードでスーパーグラスとして初めてのライブを行う。1994年8月、オックスフォードのインディーレーベルから「コウト・バイ・ザ・ファズ」を限定リリース。これがきっかけとなり、EMI傘下のパーロフォンと10年間でアルバム6枚分という当時としては長期にあたる契約を結ぶ。9月21日、ライドオープニングアクトとして、メジャーデビュー前にしてロイヤル・アルバート・ホールでの演奏を果たす。その後も9月~10月にかけて、シェッド・セヴンのUKツアー全27公演に参加し、全英各地を回る。ツアー中の10月7日、ブラーロンドン公演にパルプらと並んでオープニングアクトとして出演。同月17日には、シングル「コウト・バイ・ザ・ファズ」でメジャー・デビュー。『NME』と『メロディ・メイカー』からシングル・オブ・ザ・ウィークに選ばれ、全英チャート43位を記録。

1995年2月6日、2ndシングル「マンサイズ・ルースター」をリリース。全英20位を記録。2月12日、レディオヘッドのオックスフォード公演にオープニングアクトとして出演。3月、サブ・ポップからシングル「ルーズ・イット」を2500枚限定でリリース。1日で即完売し、インディーチャートの1位を記録。4月、プロモーションのために初来日。しかし、ミックはガールフレンドの出産に立ち会うため急遽帰国。代役のベーシストを加えて、六本木のライブハウスで100人足らずの業界関係者を前にプロモーション・ライヴを行う。5月1日、先行シングル「レニー」が全英10位と、初のTOP 10入りを果たす。

5月15日、1stアルバム『アイ・シュド・ココ』発表。初登場3位を記録。後にその年のマーキュリー・プライズにもノミネートされた。7月3日、「オールライト」をシングルカット(「タイム」との両A面扱い)し、全英2位、1ヶ月以上トップ10入りする。バンドにとって最大級のヒットとなった。後にアイヴァー・ノヴェロ賞の最優秀コンテンポラリー・ソング部門を受賞する。同月29日、『アイ・シュド・ココ』が遂に全英1位を獲得、3週間トップの座を守った。発売から約2ヵ月後、当時のイギリス国内においてボン・ジョヴィマイケル・ジャクソンの作品を上回る売上推移を示した。アルバムはイギリスのみで50万枚以上、全世界で100万枚以上を売り上げた。同年9月~10月、正式に初来日し、東京・名古屋・大阪の全5公演を行う。まだ演奏する楽曲が少なかったこともあって、アンコール込みで50分という短いパフォーマンスだった。

ヴォーカリスト兼ギタリストのギャズ・クームス

1996年1月~2月、Qアワーズ、ブリット・アワード、NMEアワーズの新人賞を総受賞するという快挙を達成。2月26日には、シングル「ゴーイング・アウト」をリリース、チャート5位、10万枚以上を売り上げるヒットを記録した。同年4月、セカンド・アルバムの制作を開始。キーボードのロブ・クームスも全面的に参加し、また前作のエンジニアだったジョン・コーンフィールドの手を借りつつ、メンバー自らがプロデュースをしながらレコーディングが行われた。6月22日、ブラーの大規模なダブリン公演にゲスト出演。3万5千人の観客の前で新曲「リチャード三世」など14曲を披露した。11月、ザ・スミスのトリビュート・アルバム『ザ・スミス・イズ・デッド』に「サム・ガールズ」のカバーを提供。

1997年3月26日、2ndアルバム『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を日本で先行発売。ちなみに発売直前に、タイトルにちなんでメンバーがバスキング(路上ライヴで小銭などを稼ぐこと)をしているジャケットに変更されることになったが、日本では差し替えが間に合わなかったためそのまま発売された。同月31日、先行シングル「リチャード三世」をリリース。それまでの明るいイメージを覆すヘヴィな曲ながら、チャート2位を記録。

4月21日、『イン・イット・フォー・ザ・マネー』を本国で発表。前作から急激な変化を見せた内容は、メディアから幅広く絶賛された。全英2位、プラチナム・セールスを記録し、全世界で100万枚以上を売り上げるなど、セールス面でも成功を収めた。6月9日、「サン・ヒッツ・ザ・スカイ」をシングルカット。10位を記録。アメリカでは「チープスケート」がシングルカットされた。7月、フー・ファイターズのアメリカ・カナダツアー13公演に参加。これ以後、フー・ファイターズとは何度も一緒にツアーを行っている。9月、2度目の来日公演。名古屋・福岡・大阪・東京にて全5公演。10月6日、「レイト・イン・ザ・デイ」をシングルカット。18位を記録。12月、オアシスウェンブリー・アリーナ3日連続公演にゲスト出演。1998年5月、3枚目のアルバムのレコーディングのために、前作と同じくセルフ・プロデュースでスタジオ入りする。ミキシングもメンバー自ら行ったため制作が長引き、結局アルバムが全て完成したのは翌年の夏頃となった。アルバムのレコーディング以外に、メンバーはそれぞれ課外活動を行っている。ギャズとミックは、ドクター・ジョンのレコーディングにゲスト参加。2人がギターとベースを演奏した「ヴォイシス・イン・マイ・ヘッド」という曲は、アルバム『アナザー・ゾーン』に収録された。一方、ダニーはガールフレンドのパール・ロウらと「ロジャー」というバンドを結成。唯一のアルバム『ウォーク・イン・ザ・パーク』を発表している。ちなみにどちらのアルバムも日本盤が発売されている。

8月、アメリカのコメディ映画『デッド・マン・オン・キャンパス』のサウンドトラックに「ウィ・スティル・ニード・モア」を提供。この曲は元々「レイト・イン・ザ・デイ」のカップリング曲だったが、サントラ用にダスト・ブラザーズのプロデュースで再録音されている。アメリカのみでシングルカットされ、ピラミッド状に積み上げられたテレビの山にメンバーが乗った車が突っ込むという派手なPVが制作された。1999年5月24日、3rdアルバムからの先行シングル「パンピン・オン・ユア・ステレオ」をリリース。ジム・ヘンソン・クリーチャー・ショップによるマペットを用いたユニークなPVが話題になり、チャート11位を記録した。9月6日、先行シングル第2弾「ムーヴィン」をリリース。9位を記録。

9月20日、3rdアルバム『スーパーグラス』発表。チャートでは3位、3作連続プラチナム・セールスを記録。メンバーが納得のいくタイトルを思いつかなかったために無題となったが、実質的にはバンド名を冠したセルフ・タイトル扱いされている。レントゲン写真をあしらったアルバムジャケットから、通称「Xレイ・アルバム」とも呼ばれる。11月22日、「メアリー」をシングルカット。この曲のPVはメンバー自ら脚本を手がけて制作した自信作だったが、ホラー映画風のショッキングな表現を問題視したBBCなどから放送禁止の処分を受けてしまった。そのため映像の一部をなぜかタマネギの写真に差し替えるという処置がとられたが、最終的にチャートでは最高位36位となった。

ドラマーのダニー・ゴフィー

2000年代

2000年1月、3度目の来日公演。東京・名古屋・大阪にて全4公演。同年7月、オアシスダブリン公演、またアラニス・モリセットイスラエル公演にそれぞれゲスト出演。10月~11月、パール・ジャムのアメリカ・カナダツアー18公演に参加。2001年2月、南フランスのリヴィエラでアルバム用の曲作りを開始。7月7日、レディオヘッドのオックスフォード公演にゲスト出演。

同年10月、4枚目のアルバムのレコーディングをスタート。前作について「自分たちでプロデュースしていなければ、もっと率直な音になったんじゃないか」という反省の元に、プロデューサーにはベックエールを手がけたトニー・ホッファーを起用[5]。2002年6月28日、デヴィッド・ボウイ主催のメルトダウン・フェスティバルに出演。4thアルバム収録の新曲を初披露。7月1日、4thアルバムからの先行シングル「ネヴァー・ダン・ナッシング・ライク・ザット・ビフォー」を7インチ盤・1500枚限定でリリース。9月16日、先行シングル第2弾「グレイス」をリリース、13位を記録した。9月27日、4thアルバム発売を記念したリリース・パーティを開催。レディオヘッドプロディジースウェードトラヴィスブラークーパー・テンプル・クロースのメンバーらが出席し、グレアム・コクソンはステージで「リチャード三世」のカバーを披露した[6]。9月30日、4thアルバム『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』発表。T・レックスばりのカラフルなグラム・ロック色の強い作品に仕上がり、チャートでは9位、ゴールド・ディスクを記録した。

同年10月、自らのUKツアー16公演のオープニングアクトに、デビューアルバムをリリースしたばかりのザ・リバティーンズを抜擢。12月、フー・ファイターズの欧州ツアー4公演に参加。12月9日のアムステルダム公演では、スーパーグラスの演奏中にテイラー・ホーキンスがドラムで飛び入り参加した[7]。2003年1月23日、「シーン・ザ・ライト」をシングルカット。カップリングにはニール・ヤングの「ローナー」のカバーを収録し、22位を記録。8月4日、「ラッシュ・アワー・ソウル」をシングルカット。この曲のPVではギャズが本物そっくりなホームレス役を演じたが、チャート入りは逃している。9月~10月、レディオヘッドの全米ツアー10公演に参加するも、メンバーの家族の病気によりツアー終盤での離脱を余儀なくされる[8]。12月、バンド結成10周年を記念するDVD制作のために、公式サイトを通じてファンから映像の募集を呼びかける。映像はメンバーが映っていればどんな内容でも構わず、コンサートで隠し撮りされたものであれ告発するつもりはないと保証した[9]

2004年4月、デビュー10周年を記念したUKツアーがスタート。オープニングアクトには、ギャズの弟のチャーリーが在籍していた22-20sを起用。5月24日、新曲「キス・オブ・ライフ」をリリース。23位を記録。6月7日、デビュー10周年を記念して、ベストアルバム『スーパーグラス・イズ・テン-ザ・ベスト・オブ 94-04』と、バンドの歴史を振り返る同名のDVDを発表。アルバムは4位、ゴールド・ディスクを記録。NMEのレビューでは10点満点を獲得している[10]。9月、ベストアルバム発表後のワールド・ツアーの一環で4度目の来日公演を行う。スケジュールの都合から東京のみ全2公演ながら、アコースティック・セットも織り交ぜたベスト・ヒットのライヴを披露した。10月、ヨーロッパ各国・日本・オーストラリア・アメリカなどを回るワールドツアーが無事終了し、フランスノルマンディーの納屋を改造して建設した自らのスタジオで5枚目のアルバムのレコーディングを開始[11]。しかし、ダニーがジュード・ロウ夫妻とのスワッピングが原因で家庭崩壊の危機にさらされていたため、2ヶ月ほどバンドを離脱するなど、レコーディングは難航を極める。2005年6月~7月、コールドプレイのスタジアムツアー3公演にゲスト出演[12]。8月8日、先行シングル「サンクト・ペテルブルク」をリリース。22位を記録。 8月15日、5thアルバム『ロード・トゥ・ルーアン』発表。フォークロック路線の内省的かつ実験的な内容ながら、メディアからの評価は総じて好意的だった。チャートでは9位を記録し、6作連続で全英トップテン入りを果たした。10月24日、「ロウC」をシングルカット。この曲のPVではメンバーがマーメイドと共演している[13]。12月18日、フー・ファイターズロンドンアールズ・コート公演にゲスト出演。2006年1月2日、「フィン」を7インチ盤とダウンロード限定でシングルカット。

1月、5度目の来日公演。東京では第1回のブリティッシュ・アンセムズヘッドライナーとして出演。また名古屋・大阪ではザ・デッド60s対バンライヴを行うなど、全3公演。スーパーグラスとしてはこれが最後の来日公演になった。9月10日、中国の野外ロックフェス「北京ポップ・フェスティバル」に出演。ちなみに、スーパーグラスは1997年チベットを支援するためのコンピレーション・アルバム『ロング・リヴ・チベット』に参加していたが、中国での出演が実現している。

ベーシストのミック・クイン

2007年、メンバーが大ファンのデヴィッド・ボウイが使用したことがあるからという理由で、ドイツベルリンハンザ・スタジオで6枚目のアルバムのレコーディングがスタート。プロデューサーには、パブリック・イメージ・リミテッドギャング・オブ・フォーなどを手がけたニック・ローネイを起用。6月~7月、アークティック・モンキーズダブリンマンチェスターツアー全4公演にゲスト参加。8月31日、ミックがフランストゥールーズの別荘にて、トイレに行くために寝ぼけて歩き回っているうちに、2階の窓から落下。脊椎を骨折し、全治数ヶ月の重傷を負うという事故が起きる。ギャズは「あのバカ者が早く良くなることを願ってる。奴は間違いなく全快する。タフな奴だからな」とコメント[14]。11月、ギャズとダニーは「ダイアモンド・フー・ハ・メン」というデュオを結成したことを発表。ミックが回復するまで2人でイギリス国内を回る小規模なツアーを行った。このツアーではスーパーグラスの楽曲に加えて、マイケル・ジャクソンの「ビート・イット」を披露。

2008年1月14日、6thアルバムからの先行シングル「ダイアモンド・フー・ハ・マン」を7インチ盤・1500枚限定でリリース。ミックの怪我により、PVにはスーパーグラスに代わってダイアモンド・フー・ハ・メンが出演した。2月26日、ダイアモンド・フー・ハ・メンの活動を収めた動画の一部をYouTube上で公開。それを見たトム・ヨークが面白がって自らのブログで紹介して話題になる[15]。3月17日、先行シングル第2弾「バッド・ブラッド」をリリース。73位にとどまる。3月24日、6thアルバム『ダイアモンド・フー・ハ』発表。内省的な前作の反動から、ストレートなロック・アルバムに仕上がっている。チャートではここ数年のロックの不振の影響もあり、最高位19位と初めてトップテン入りを逃した。6月30日、「レベル・イン・ユー」をシングルカット。EMIからシングルカットにかかる費用を出すことを拒否されたため、自主レーベル「スーパーグラス・レコーズ」からの唯一のリリースとなった。公式サイトを通じて7インチ盤・1500枚限定で発売され、最初の200枚にはもれなくメンバー全員のサインが付いていた。6月 - 7月、フー・ファイターズのウェンブリー・スタジアムでの2日連続公演、および全米ツアー11公演に参加。またザ・フーのトリビュート番組では、ギャズがフー・ファイターズと共演。「バーゲン」(アルバム『フーズ・ネクスト』収録曲)のカバーを披露した[16]。 8月4日、ダイアモンド・フー・ハ・メンのロキュメンタリーDVD『Glange Fever』が発売(日本未発売)。10月、「バッド・ブラッド」のPVが、UKミュージック・ビデオ・アワーズの最優秀ロック・ビデオ部門を受賞。

12月、デビュー時から所属していたEMIとの契約を更新しないことを正式に発表。後にダニーは「会社がいろいろ変わって、オレたちと契約した人もいなくなっちゃったから出ることにした」とコメント[17]

キーボーディストのロブ・クームス

2009年、ダイアモンド・フー・ハ・メンのライヴを見たナイジェル・ゴッドリッチから誘いを受けて、ギャズとダニーはナイジェルと一緒にカバー曲のレコーディングを行う。6月、ギャズとダニーがカバーバンド「ザ・ホットラッツ」を結成したことを発表。12月18日、オックスフォードで「サンタグラス」と銘打ったスーパーグラスのクリスマスライヴを開催。新曲「Hip Replacement」も初披露されたが、これが地元オックスフォードで行われた最後のライヴになった。12月23日、ホットラッツのカバーアルバム『ターン・オンズ』が日本先行発売(その他の国では翌年1月に発表)。セックス・ピストルズデヴィッド・ボウイビースティー・ボーイズザ・キュアーピンク・フロイドザ・ドアーズヴェルヴェット・アンダーグラウンドロキシー・ミュージックザ・キンクスエルヴィス・コステロスクイーズらのカバー曲が収録された。

2010年代

2010年1月8日、東京渋谷DUO MUSIC EXCHANGEにてホットラッツの初来日公演が行われる。その後、ニューヨークロサンゼルスメキシコロンドンパリを回るワールド・クラブツアーを敢行。1月、スーパーグラスの7枚目のアルバム『Release the Drones』の詳細が明らかに。アルバムはほぼ完成間近で、5月にクッキング・ヴァイナルから発表予定。内容は、クラウト・ロックドローン・ミュージックの影響を受けていると明かされた[18]。 3月、『Release the Drones』の発売延期を発表。この頃、ギャズがスーパーグラスの解散をメンバーに提案する[19]。後にミックは「メンバーがアルバムで違ったサウンドを求めるようになって、それがバンドを解散する理由のひとつとなった」と説明した[20]

4月12日、突如「十七年目の浮気」と題された解散声明を発表した。

「長年、俺たちをサポートしてくれたみんな、ありがとう。俺たち、まだお互いを愛し合っている。でも、よくある話だが、音楽的な違いにより別の道を歩むことになった。もちろん、俺たちはお互いの将来の成功を祈っている」[21]

6月、フェアウェル・ツアーがスタート。グラスゴー(8日)、マンチェスター(9日)、ロンドン(10日)、フランスパリ(11日)の全4公演。サポートアクトにはギャズの弟のバンド、チャーリー・クームス&ザ・ニュー・ブリードを起用。また、スーパーグラスと交流があったザ・コーラルがマンチェスター公演に、テイラー・ホーキンス&ザ・コートテイル・ライダーズがロンドン公演にそれぞれゲスト出演している。
このさよならツアーのセットリストは、『ダイアモンド・フー・ハ』から『アイ・シュド・ココ』までの各アルバムの代表曲を逆時系列に演奏していくという構成。アンコールでは、近年ほとんど演奏されることのなかった「オールライト」とデビュー曲「コウト・バイ・ザ・ファズ」を演奏して締めくくった[22]。6月、ダニーがベイビーシャンブルズのヨーロッパツアーに参加(正式加入には至らず)。2012年5月、ギャズがソロとしての1stアルバム『ヒア・カムズ・ザ・ボム』発表。スーパーグラスの『アイ・シュド・ココ』のプロデューサー、サム・ウィリアムスとの共同プロデュースで、ほぼすべての楽器を自ら演奏している。6月23日、日本での所属レーベルであるホステス・エンタテインメントが主催するHostess Club Weekenderにギャズが出演(ソロとしての初来日)。2014年5月、ジョン・ルイスのテレビCM用に、ギャズによるキンクスのカバー「This Time Tomorrow」が起用される。2015年1月、ギャズが2ndアルバム『マタドール』発表。全英トップ20入りする成功を収めるとともに、その年のマーキュリー・プライズにもノミネートされた(スーパーグラスの『アイ・シュド・ココ』以来20年ぶりのこと)。3月18日、ギャズがビルボードライブ東京でのソロ公演のため来日(1日2回公演)。演奏曲はほとんどがソロ曲で構成されていたが、セカンドステージでは、スーパーグラスの「Moving」も披露された。3月、ミックがスワーヴドライヴァーにサポートメンバーとして加入。10月、ダニーがソロプロジェクト「Vangoffey」のデビューアルバム『Take Your Jacket Off & Get Into It』発表。11月、1stアルバム『アイ・シュド・ココ』が発売20周年記念のデラックス盤として再発。アルバム本編のリマスターに加え、B面曲やデモ、ライヴ音源などを追加した三枚組。

ミュージシャンズとしての評価

ブリットポップの象徴とライバルからの信頼

スーパーグラスはブリットポップを象徴するロックバンドのひとつであり、同業のミュージシャンからの評価も高い。オアシスリアム・ギャラガー[23]や、スウェードブレット・アンダーソンキュアーのロバート・スミス[24]ブルートーンズマーク・モリス[25]などの、ブリットポップを彩ったミュージシャンをはじめ、元ジェリーフィッシュジェイソン・フォークナー[26]や、ゲイ・ダッドのクリフ・ジョーンズ[27]ザ・ヴァインズクレイグ・ニコルズ[28]などもスーパーグラスに好意的な評価を下しており、その音楽性は幅広い世代のミュージシャンから愛された。

彼らはその音楽性だけではなく演奏技術への信頼も高く、ブラーデーモン・アルバーンオアシスらは自らの公演のサポートメンバーに彼らを抜擢し、ブレイクを後押しした。 また、フー・ファイターズレディオヘッドコールドプレイアークティック・モンキーズ[29]といった後輩からのサポートメンバーのオファーも受けており、2000年代以降のバンドからも信頼が置かれていることが窺える。

後世への影響

2000年代のロックンロール・リバイバル以降のバンドはスーパーグラスからの影響を指摘されることが多く、マイ・ケミカル・ロマンスジェラルド・ウェイ[30]や、フラテリスカイザー・チーフスクークスリバティーンズらがその代表例である。

日本のアーティストへの浸透

日本においても、スーパーグラスへの評価は高い。
くるりの岸田繁は、そのプレイスタイルや歌声に「先輩に憧れるような気持ち」を抱き[31]、自身の楽曲「everybody feels the same」の歌詞に彼らの名前を登場させている。ストレイテナーのホリエアツシも好意的な評価を寄せている[32]ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文と喜多建介は、フェイヴァリット・バンドとしてスーパーグラスの名前を挙げた。

その他のエピソード

  • メンバーのルックス(とくにギャズ)からサルにたとえられることが多い。
  • デビュー当時はアイドル的な人気もあり、雑誌オリーブの表紙を市川実日子と一緒に飾ったり、「オールライト」のPVを見たスティーヴン・スピルバーグから「『ザ・モンキーズ・ショー』のようなテレビ番組を作らないか」と打診されたことがあった[33]
  • 同時代にオアシスやブラーなど強力なバンドがひしめき合っていたこともあり、「Everyone's Second Favorite Band(みんなが2番目に好きなバンド)」とも自称していた。
  • バンド名の「Supergrass」は、「(警察への)密告者」もしくは「強力なマリファナ」を指すスラングからとられている。
  • 『死ぬまでに聴きたいアルバム1001枚』("1001 Albums You Must Hear Before You Die")には、『アイ・シュド・ココ』と『イン・イット・フォー・ザ・マネー』の2枚が選出されている。
  • 本国イギリスではロック・フェスティバルの常連バンドだったが、日本のフジロックフェスティバルサマーソニックには一度も出演したことはない。

ディスコグラフィ

2005年、バーミンガム公演

スタジオ・アルバム

  • 『アイ・シュド・ココ』 - I Should Coco (1995年) ※全英1位
  • 『イン・イット・フォー・ザ・マネー』 - In It for the Money (1997年) ※全英2位
  • 『スーパーグラス』 - Supergrass (1999年) ※全英3位
  • 『ライフ・オン・アザー・プラネッツ』 - Life on Other Planets (2002年) ※全英9位
  • 『ロード・トゥ・ルーアン』 - Road to Rouen (2005年) ※全英9位
  • 『ダイアモンド・フー・ハ』 - Diamond Hoo Ha (2008年) ※全英19位

コンピレーション・アルバム

  • 『スーパーグラス・イズ・テン-ザ・ベスト・オブ 94-04』 - Supergrass Is 10 (2004年) ※全英4位

脚注

外部リンク

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