いて座
黄道十二星座の1つ
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いて座(いてざ、ラテン語: Sagittarius)は、現代の88星座の1つで黄道十二星座の1つ。2世紀頃にクラウディオス・プトレマイオスが選んだ「プトレマイオスの48星座」の1つ。半人半獣の姿をした弓の射手をモチーフとしている。この星座の領域の西端には天の川の最も濃い部分が広がっており[8]、へびつかい座とさそり座との境界線近くには天の川銀河の中心が位置している[8][9]。またこの星座の領域内には、全星座中最多となる15個のメシエ天体が位置している[6][8]。領域の北側を黄道が通っており、21世紀現在の冬至点はこの星座の領域内にある[8][9]。
| Sagittarius | |
|---|---|
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| |
| 属格形 | Sagittarii |
| 略符 | Sgr |
| 発音 |
[ˌsædʒ |
| 象徴 | 弓の射手[1][2] |
| 概略位置:赤経 | 17h 43m 12.0457s - 20h 28m 40.6308s[3] |
| 概略位置:赤緯 | −11°.6762342 - −45°.2775650[3] |
| 20時正中 | 9月上旬[4] |
| 広さ | 867.432平方度[5] (15位) |
| バイエル符号/ フラムスティード番号 を持つ恒星数 | 68 |
| 3.0等より明るい恒星数 | 7 |
| 最輝星 | ε Sgr(1.85等) |
| メシエ天体数 | 15[6] |
| 確定流星群 | 2[7] |
| 隣接する星座 |
わし座 たて座 へび座(尾部) へびつかい座 さそり座 みなみのかんむり座 ぼうえんきょう座 インディアン座(角で接する) けんびきょう座 やぎ座 |
特徴

北北東をわし座、北をたて座、北西をへび座の尾部、西をへびつかい座、南西をさそり座、南をみなみのかんむり座、南南東をぼうえんきょう座、東南東をけんびきょう座、東北東をやぎ座に囲まれ、南東の角ではインディアン座とも接している[9]。20時正中は9月上旬頃[4]で、北半球では夏の星座とされ[10]、晩冬から晩秋にかけて南の地平線近くに観ることができる[9]。天の赤道から少し南の赤緯−11°.7 を北端としているため、人類が居住しているほぼ全ての地域から星座の一部を観ることができる[9]。一方、南端は−45°.3 と天の南極に近いため、北緯44°以北の地域[注 1]からは星座の全体を観ることができない[9]。21世紀現在、太陽は12月中旬頃から1月中旬頃までこの星座の中に位置しており、黄道上で太陽が最も南を通る冬至点はこの星座の中にある[8][9]。
天の川銀河の中心方向は、いて座の西側の領域のへびつかい座とさそり座の境界線の近く、 17h 45m 39.60213s −29° 00′ 22.0000″ にある[9][11]。天の川が最も濃く明るく見える部分はこの東側にあり、「グレイトスタークラウド (英: Large Sagittarius Star Cloud)」と呼ばれている[12]。またグレイトスタークラウド内には、比較的星間塵が少なく銀河中心方向を観測するのに適したと考えられていた「バーデの窓」と呼ばれる領域がある[12][13]。

ζ-τ-σ-φ-λ-μの順に6つの星を繋いだ形を、枡を伏せた柄杓に見立てた姿は南斗六星として知られる[14]。英語圏ではこれらの星々を乳児にミルクなどを与えるために使う匙にたとえて ミルク・ディッパー (英: Milk Dipper) と呼ぶ[2][14]。英語圏では、γ-δ-λ-φ-σ-τ-ζ-εを繋いでできるアステリズムを、「ティーポット (英: Teapot)」と呼んでいる[2]。これと合わせて、ティーポットの北側にある ξ2-ο-π-ρ1が作る星の並びを「ティースプーン (英: Tea spoon)」と呼ぶこともある[15]。
由来と歴史
古代メソポタミア - 古代ギリシア・ローマ期
いて座は、古代メソポタミアのシュメールの戦争と狩猟の神「パビルサグ (Pabilsag)」を起源とすると考えられており[2][16][17][18]、紀元前2千年紀までには考案されていたとされる[16][19]。パビルサグは、半人半馬やサソリの体や尾を持つものなど様々なバリエーションで描かれたものが知られる弓を構えた半人半獣の神で、時代を下るとシュメールの最高神エンリルの息子ニヌルタと同一視されるようになった[16][18]。紀元前1100年頃のバビロニアのネブカドネザル1世時代のものとされるクドゥル(境界石)には翼を生やしたサソリの体を持つパビルサグが描かれていた[20]。紀元前1000年頃に編纂されたと見られる星表が記された古代メソポタミアの粘土板資料『ムル・アピン』でも、いて座の星々は MUL Pa-bil-sag として記されている[21]。この半人半獣の意匠が地中海世界に伝わった正確な時期は不明だが、『ムル・アピン』が作られた頃から程なくしてギリシアに伝わり受容されたと考えられている[19]。
紀元前3世紀前半のマケドニアの詩人アラートスは、詩篇『パイノメナ (古希: Φαινόμενα)』の中でこの星座について触れる際、「弓と弓を引き絞る人」のように「弓」を意味する Τόξον (Toxon) と「射手」を意味する Τοξότης (Toxotes) をまるで別の星座であるかのように分けて呼んでいた[2][22][23]。アラートスの『パイノメナ』や帝政ローマ期2世紀頃のクラウディオス・プトレマイオスの天文書『マテーマティケー・シュンタクシス (古希: Μαθηματικὴ σύνταξις)』、いわゆる『アルマゲスト』では、この星座の描像として4本脚の姿が想定されていた[2][22][24][25]。これに対して、紀元前3世紀後半の天文学者エラトステネースの天文書『カタステリスモイ (古希: Καταστερισμοί)』や1世紀初頭の古代ローマの著作家ヒュギーヌスの天文書『天文学について (羅: De Astronomica)』では、2本脚のサテュロスのような姿であるとされた[2][24][26]。この星座に属する星の数について、エラトステネースとヒュギーヌスは15個[24][26]、プトレマイオスは31個としていた[26][27]。『アルマゲスト』を元に10世紀頃のイラン・ブワイフ朝の天文学者アブドゥッ=ラフマーン・アッ=スーフィーが著した天文書『星座の書 (كتاب صور الكواكب الثابتة Kitāb ṣuwar al-kawākib aṯ-ṯābita / al-thābita)』では、「射手」を意味する al-Rāmi という名称が使われ、『アルマゲスト』と同じく31個とされた[28]。
近世 - 現代

16世紀ドイツの法律家ヨハン・バイエルは、1603年に刊行した星図『ウラノメトリア』の中で SAGITTARIVS というラテン語の星座名を記すとともに、いて座の星に対して α から ω までのギリシャ文字24個とラテン文字8個を用いて32個の星に符号を付した[29][30][31]。バイエルは、プトレマイオスの定めた31個の星に、それまでどこの星座にも属していなかった現在の κ星を加えて[32]、いて座の領域を東側に拡張した。
18世紀フランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユは、1756年に刊行されたフランス科学アカデミーの1752年版の紀要『Histoire de l'Académie royale des sciences』に掲載した星図の中で、望遠鏡の星座絵とフランス語で望遠鏡を意味する le Telescope という新星座を設けた[33][34]。これは、いて座の南側からさそり座、みなみのかんむり座の隙間の領域に設けられたもので、のちに現在のぼうえんきょう座 (羅: Telescopium) となるものであった[33]。ラカイユはこの際に、いて座からバイエルが η を付けた星をもぎ取って le Telescope のβ星とした[33]。このラカイユの所業は、19世紀イギリスの天文学者で王立天文台長のフランシス・ベイリーが編纂して1845年に刊行された『The catalogue of stars of the British Association for the Advancement of Science(BAC星表)』で差し戻され、ぼうえんきょう座β星はいて座η星に復された[33]。そのため現在、ぼうえんきょう座に β星は存在しない[33]。
1922年5月にローマで開催された国際天文学連合 (IAU) の設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Sagittarius、略称は Sgr と正式に定められた[35][36]。かつては「Sag」と「Sgr」の二通りがあったラテン語名の略称は現在は後者が正式なものとされているが、英語圏の銀河天文学の研究者の間で Sag を使う例が見られる。いて座矮小楕円銀河が "SagDEG" と略記されるのはその一例である[37]。
テレベッルム

現在のいて座ω星には「テレベッルム (Terebellum)」という固有名が認証されているが、これは ω・60・59・62 の4つの星が成す凧形の四辺形のアステリズムの名称にちなんだものである[2][38]。18世紀後半から19世紀前半にかけてのドイツの天文学者ヨハン・エレルト・ボーデは、1801年刊行の星図『ウラノグラフィア』のいて座の星図上で、射手の臀部に当たる箇所で四辺形を成す4つの星、ω・a・b・c に対して、ラテン語で「四辺形」を意味する Terebellum という名称を記した[2]。これはボーデのオリジナルではなく、プトレマイオスの占星術書『テトラビブロス』の第1巻第9章のいて座に関する記述の中で「(尾の)四辺形」を意味する τετράπλευρον (tetrapleuron) と記述されていたことに由来する[2]。バイエルは、天文書『ウラノメトリア』で c と符号を付した星についての解説の中で、τετράπλευρον とそれをラテン語訳した Terebellum と記述しており[31]、それをボーデが自らの星図に記載したものであった[2][39]。この四辺形を成す4つの星は全て5等星と暗いため [40][41][42][43]、特に目立つものではなく、またこの四辺形に関係する伝承も特に存在しない。
アラビア
アラビアでは、γ-δ-ηの3星は、al-Naʽām al-Wārid、あるいは複数形の al-Naʽāim al-Wāridah と呼ばれ、天の川の水を飲みに来たダチョウまたはその一群と見られていた[44]。これに対し、χ-τ-σ-φの4星は al-Naʽām al-Ṣādirah、あるいは複数形の al-Naʽāim al-Ṣādirah と呼ばれ、天の川の水を飲んで帰っていくダチョウまたはその一群と見られていた[44]。
中国
ドイツ人宣教師イグナーツ・ケーグラー(戴進賢)らが編纂し、清朝乾隆帝治世の1752年に完成・奏進された星表『欽定儀象考成』では、いて座の星々は二十八宿の東方青龍七宿の第七宿「箕宿」と北方玄武七宿の第一宿「斗宿」に配されていた[45][46]。
『古今図書集成』に描かれた箕宿の星々。 |
『古今図書集成』に描かれた斗宿の星々。 |
神話

日本では、いて座は「半人半馬の賢人ケイローンが弓を引く姿とされ、ヘーラクレースが誤って放った毒矢が当たり、苦痛のためゼウスに死を願って聞き入れられ、彼の死を悼んで天に上げられて星座となった」とする話が伝えられる[14][48][49][50][51][52]。しかし、古代ギリシア・ローマ期に記された星座の由来と伝承を伝える文献では、ケイローンをモデルとする星座はケンタウルス座であるとされていた[2][24][26]。紀元前3世紀後半のエラトステネースは、著書 『カタステリスモイ』の中で「この星座はケンタウロスではない」と明言した[2][24][26]。エラトステネースはその根拠として「ケンタウロス族は弓を使わないこと」、そして「星座が4本の脚を持っているようには見えないこと」を挙げ、この星座はケンタウロスではなく、馬の足と尾を持つサテュロスのような人物であるとしている[2][24][26]。そしてエラトステネースは、アレキサンドリアの七詩聖のひとりソシテオスの伝える話として、この星座は弓を発明したクロートス(Κρότος, Krotus)であるとし、ケンタウロス説を強く否定した[24][26]。クロートスは、ムーサイの乳母エウペーメー(Eupheme)の息子で、ムーサイたちとともにヘリコン山で暮らしていた[24][26]。クロートスは彼女らのリズムのない歌に手拍子でリズムをつけて彼女らを讃えた[24][26]。喜んだムーサイたちからクロートスに栄誉を授けるように頼み込まれた彼女らの父である大神ゼウスは、クロートスが得意とする弓を携えた姿で彼を星々の間に置くこととした[24][26]。ヒュギーヌスもまたエラトステネースと同じく「いて座のモデルはクロートス」としており、著書『神話集 (Fabulae)』の中で「クロートスはパーン(Pan)とエウペーメーの息子である」として、彼がサテュロスのような出で立ちであることの理由付けをしている[53]。一方でヒュギーヌスは著書『天文学について (羅: De Astronomica)』の中で「いて座となったクロートスが馬の足とサテュロスの尾を持つ姿になったのは、彼が馬術を得意としたことを示すためと、豊穣神リーベルがサテュロスを喜ばせるのと同じくらいムーサイたちを喜ばせたことを示すためである」という異なる理由付けをしている[24][26]。
これに対して、紀元前3世紀前半の詩人アラートスは、いて座を4本足の生き物として描写し、西暦2世紀頃のプトレマイオスもいて座は4本足としており、肩にマントを羽織っていると描写しているが、そのモデルについては一言も触れていない[2]。
星座の由来や神話・伝承に関するイギリスの研究家イアン・リドパスやアメリカのギリシャ・ローマ神話の研究家テオニー・コンドスは、エラトステネースやヒュギーヌスが提唱する説を採り、「いて座のモデルはクロートスである」としている[2][26]。
呼称と方言
日本語名の変遷
ラテン語の学名 Sagittarius に対応する日本語の学術用語としての星座名は「いて」と定められている[54]。現代の中国では人马座[55](人馬座)[56]と呼ばれている。
明治初期の1874年(明治7年)に文部省より出版された関藤成緒の天文書『星学捷径』では、「サヂッタリュース」という読みと「人馬宮」の但し書き、「弓ヲ射ル人」という説明で紹介された[57]。また、1879年(明治12年)にノーマン・ロッキャーの著書『Elements of Astronomy』を訳して刊行された『洛氏天文学』では、上巻で「サギタリュース」というラテン語と「アーチェル」という英語読み、「弓手」という但し書きが[58]、下巻で「人馬宿(サギタリュス)」という星座名が紹介されていた[59]。これらから30年ほど時代を下った明治後期には「射手」という呼称が使われていたことが日本天文学会の会報『天文月報』の第1巻3号掲載の「六月の天」と題した記事中の星図で確認できる[60]。その後、1910年(明治43年)2月に星座名が一部見直しされた際も「射手」がそのまま使用され[61]、東京天文台の編集により1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』でも「射手(いて)」として引き継がれた[62]。そして、戦後の1952年(昭和27年)7月に日本天文学会が「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[63]とした際に、ひらがなで「いて」と定められ[64]、以降この呼称が継続して用いられている[54]。
方言
日本では、大分・島根・広島・岡山・香川・奈良・和歌山・静岡等で、南斗六星の升の部分に当たるζ-τ-σ-φ星の4星を、籾をふるい分ける農具である「箕」に見立てた「ミボシ(箕星)」と呼んでいたことが伝わっている[65]。また、山口県吉敷郡佐山村須川(現・山口市)では、秋の夜に西方に見えるこの4星を「ナガサキミ(長崎箕)」と呼び、東方に見えるみずがめ座θ-γ-η-λの4星を「東京箕(トウキョウミ)」と呼んでいた[65]。また和歌山県日高郡中津村(現・日高川町)には竹で作った箕に見立てた「タカミボシ(竹箕星)」、広島県安佐郡には藤のつるで編んだ箕に見立てた「フジミボシ(藤箕星)」という呼び名が伝わっていた[65]。
主な天体
天の川銀河の中心方向に近いいて座の領域には、星雲や星団が数多く位置している[8]。
恒星
2025年7月末現在、国際天文学連合 (IAU) の恒星の命名に関するワーキンググループ (Working Group on Star Names, WGSN) によって17個の恒星に固有名が認証されている[38]。
- α星
- 太陽系から約180 光年の距離にある、見かけの明るさ3.943 等、スペクトル型 B8V のB型主系列星で、4等星[68]。アラビア語で「射手の膝」を意味する言葉に由来する[69]「ルクバト[9](Rukbat[38])」という固有名が認証されている。
- β1星
- 太陽系から約389 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.01 等、スペクトル型 B9V の B型主系列星で、4等星[70]。2020年の研究では、1日以上の比較的長い周期で変光する SPB (英: Slowly Pulsating B stars) であるとされている[71][72]。アラビア語で「射手のアキレス腱」を意味する言葉 ʿurqūb al-rāmī に由来する Arkab に、ラテン語で「前者」を意味する prior を付けた合成語[69]の「アルカブ・プリオル[9](Arkab prior[38])」という固有名が認証されている。
- β2星
- 太陽系から約140 光年の距離にある、見かけの明るさ 4.270 等、スペクトル型 F2/3V の F型主系列星で、4等星[73]。アラビア語で「射手のアキレス腱」を意味する言葉 ʿurqūb al-rāmī に由来する Arkab に、ラテン語で「後者」を意味する posterior を付けた合成語[69]の「アルカブ・ポステリオル[9](Arkab Posterior[38])」という固有名が認証されている。
- γ2星
- 太陽系から約101 光年の距離にある、見かけの明るさ2.99 等、スペクトル型 K0+III の黄色巨星で、3等星[74]。アラビア語で「矢の先端」を意味する言葉に由来する[69]「アルナスル[9](Alnasl[38])」という固有名が認証されている。
- δ星
- 太陽系から約416 光年の距離にある、見かけの明るさ2.668 等、スペクトル型 K2.5IIIaCN0.5 の赤色巨星で、3等星[75]。アラビア語で「弓」を意味する al-qaus に由来する Kaus に、ラテン語で「中央」を意味する media を付けた合成語[69]の「カウス・メディア[9](Kaus Media[38])」という固有名が認証されている。
- ε星
- 太陽系から約143 光年の距離にある[66][注 3]、見かけの明るさ1.81 等、スペクトル型 B9IVp の準巨星で、2等星[66]。いて座で最も明るく見える。約40″離れた位置に見える14等星のB とは見かけの二重星の関係にある[76]。アラビア語で「弓」を意味する al-qaus に由来する Kaus に、ラテン語の「南」を意味する australis を付けた合成語[69]の「カウス・アウストラリス[9](Kaus Australis[38])」という固有名が認証されている。
- ζ星
- 太陽系から約88 光年の距離にある[77][注 3]、見かけの明るさ2.59 等の連星系[77]。3.27 等の A と3.48 等の B が、互いの共通重心を約21.075 年の周期で公転している[78]。A星には、中世ラテン語で書かれた『アルマゲスト』でこの星についての記述で使われた、ラテン語で「腋の下」を意味する言葉に由来する[69]「アセッラ[9](Ascella[38])」という固有名が認証されている。
- λ星
- 太陽系から約76 光年の距離にある、見かけの明るさ2.81 等、スペクトル型 K1IIIb の赤色巨星で、3等星[79]。アラビア語で「弓」を意味する al-qaus に由来する Kaus に、ラテン語の「北」を意味する borealis を付けた合成語[69]の「カウス・ボレアリス[9](Kaus Borealis[38])」という固有名が認証されている。
- μ星
- 見かけの明るさ3.85 等の連星系[80]。スペクトル型 B8eqIa の青色超巨星 Aa とスペクトル型 B1.5V のB型主系列星 Ab が連星系を成す連星で、太陽系から見ると180.55 日の周期で互いに隠し合うことで3.80 等から3.88 等の範囲でその明るさを変えるアルゴル型の食変光星である[81]。また主星の Aa はそれ自体がはくちょう座α型変光星であると考えられている。Aa星にはコプト語で「仔馬」を意味する言葉に由来する[38]「ポリス[9](Polis[38])」という固有名が認証されている。
- ν1星
- 太陽系から約1774 光年の距離にある、見かけの明るさ4.845 等、スペクトル型 K1II の輝巨星で、5等星[82]。A星には、アラビア語で書かれた『アルマゲスト』でこの星についての記述に使われた「射手の目」を意味する言葉に由来する[38]「アインアルラーミー[9](Ainalrami[38])」という固有名が認証されている。
- π星
- 太陽系から約353 光年の距離にある、見かけの明るさ2.88 等、スペクトル型 F2II-III の巨星で、3等星[83]。A星には、アラビアの月宿で第21月宿とされる「アル・バルダ」に由来する[38]「アルバルダ[9](Albaldah[38])」という固有名が認証されている。
- σ星
- 太陽系から約228 光年の距離にある[67][注 3]、見かけの明るさ 2.067 等、スペクトル型 B2.5V の多重星。南斗六星の星の中で最も明るく、いて座全体でも2番目に明るく見える[84]。A星から約6′離れて見えるB星は見かけの二重星だが、ともに2.8 等のAa と Ab はほとんど重なって見え、連星か見かけの二重星かは不明である[85]。Aa星には、シュメールの表意文字で書かれたバビロニアの言葉 NUNki に由来する[69]「ヌンキ[9](Nunki[38])」という固有名が認証されている。

- ω星
- 太陽系から約76 光年の距離にある、見かけの明るさ4.70 等、スペクトル型 G5IV の準巨星で、5等星[40]。A星には、クラウディオス・プトレマイオスの占星術書『テトラビブロス』で、いて座の東側にあるこの星と 59・60・62 の4つの星を繋いだ四辺形が「平行四辺形」を意味する τετράπλευρον (tetrapleuron) と呼ばれていたことに由来する[2][86]「テレベッルム[9](Terebellum[38])」という固有名が認証されている。
- HD 164604
- 太陽系から約131 光年の距離にある、見かけの明るさ 9.83 等、スペクトル型 K3.5Vk の K型主系列星で、10等星[87]。2010年に主星から1.331±0.0029 au(天文単位)離れた軌道を641.47±10.13 日の周期で公転する14.3±0.05 MJ(木星質量)の太陽系外惑星が発見された[88]。2019年に開催されたIAUの100周年記念行事「IAU100 NameExoWorlds」でチリに命名権が与えられ、主星は Pincoya、太陽系外惑星は Caleuche と命名された[89]。
- HD 179949
- 太陽系から約90 光年の距離にある、見かけの明るさ 6.237 等、スペクトル型 F8V の F型主系列星で、6等星[90]。2000年に主星から0.045±0.001 au離れた軌道を3.0925±0.00003 日の周期で公転する0.92 MJの太陽系外惑星が発見された[91]。「IAU100 NameExoworlds」でブルネイに命名権が与えられ、主星は Gumala、太陽系外惑星は Mastika と命名された[89]。
- HD 181342
- 太陽系から約393 光年の距離にある、見かけの明るさ 7.55 等、スペクトル型 K0III の赤色巨星で、8等星[92]。2010年に主星から1.592±0.091 au離れた軌道を564.1±4.1 日の周期で公転する2.54±0.19 MJの太陽系外惑星が発見された[93]。「IAU100 NameExoworlds」でセネガルに命名権が与えられ、主星は Belel、太陽系外惑星は Dopere と命名された[89]。
- HD 181720
- 太陽系から約196 光年の距離にある、見かけの明るさ 7.86 等、スペクトル型 G1V のG型主系列星で、8等星[94]。2009年に主星から1.78 au離れた軌道を 956.0±14.0 日の周期で公転する太陽系外惑星が発見された[95]。国際天文学連合の100周年記念行事「IAU100 NameExoworlds」でガーナに命名権が与えられ、主星は Sika、太陽系外惑星は Toge と命名された[89]。
この他、以下の星が知られている。
- R星
- 太陽系から約2900 光年の距離にあるミラ型変光星[96]。アメリカ変光星観測者協会 (AAVSO) の「観測しやすい星」のリストにも挙げられており[97]、平均269.84 日の周期で、6.70 等から12.83 等の範囲でその明るさを変える[98]。
- RY星
- 太陽系から約5550 光年の距離にあるかんむり座R型変光星[99]。AAVSO の「観測しやすい星」のリストにも挙げられている[97]。平常時は約39 日の周期で振幅0.5 等のセファイドのような変光を見せる6等星として観測されるが、不定期に14等級まで急激に減光し、数ヶ月で元の明るさに回復する[100]。この大きな減光は、恒星の周囲に塵やすすの雲が形成されることに起因すると考えられている[100]。恒星大気中の水素が乏しく、逆に炭素やヘリウムが豊富に含まれていることから、既に中心核での水素の燃焼を終えているとされる[100]。
- ロス154
- 太陽系から9.706 光年の距離に位置する、見かけの明るさ10.43 等、スペクトル型 M3.5Ve の赤色矮星で、10等星[101]。変光星としては、回転変光星のりゅう座BY型変光星 (BY) と爆発型変光星の「閃光星(くじら座UV型変光星、UV)」に分類されている[102]。

- ピストル星
- 天の川銀河の中心方向に位置する高光度青色変光星[103]。1997年10月に発見が公表された当時、既知の恒星で最も明るい星であるとされた[104]。ピストルのような形状の星雲に囲まれていることから「ピストル星 (Pistol Star)」と呼ばれている[103][104]。
- いて座A
- 天の川銀河中心に存在する電波源[105]。その中に超大質量ブラックホール「いて座A*」が存在する。
- いて座A*(いてざえーすたー)
- いて座Aの中にある超大質量天体で、その正体は太陽の約430万倍の質量を持つ超大質量ブラックホールと考えられている[106]。2022年5月にイベントホライズンテレスコープによる撮像が公表された[107]。
星団・星雲・銀河
18世紀フランスの天文学者シャルル・メシエが編纂した『メシエカタログ』に挙げられた15個の星団・星雲が位置している[6]。また、パトリック・ムーアがアマチュア天文家の観測対象に相応しい星団・星雲・銀河を選んだ「コールドウェルカタログ」に不規則銀河が1つ選ばれている[110]。
- M8 (輝線星雲NGC 6523と散開星団NGC 6530の複合体[111])
- 太陽系から約4150 光年の距離にある輝線星雲と散開星団の複合体[111][112]。1654年以前にシチリア島の天文学者ジョヴァンニ・バッティスタ・オディエルナによって発見されていたが、これは世に知られるに至らなかった[112]。その後、1680年にイギリスの天文学者ジョン・フラムスティードが独立発見し、長らく彼が発見者だと考えられていた[112][113]。1890年にイギリスの女性天文学者で著述家のアグネス・クラークが星雲中に見える黒い筋を lagoon と表現したことから「干潟星雲(英: Lagoon Nebula[111][112])」の別名でも知られる[114]。星雲の最も明るい部分は、その形状から「砂時計星雲[114](英: Hourglass Nebula[111][112])」とも呼ばれる。星雲の東側に位置する散開星団NGC 6530は、最も明るい7等星のHD 164906 を始め25個あまりの星が輝いて見える[8]。
- M17 (NGC 6618[115])
- 太陽系から約5920 光年の距離にある輝線星雲と散開星団の複合体[115][116]。1745年から1746年にかけてスイスの天文学者ジャン=フィリップ・ロワ・ド・シェゾーが発見してフランス科学アカデミーに報告したが広く世に知られず忘れ去られていた。その後、1764年6月3日にメシエが独立発見した。双眼鏡ではくさび形に、望遠鏡ではギリシア文字の Ω のような馬蹄形のアーチ状に見えるその形状から「オメガ星雲 (Omega Nebula[115])」や「馬蹄形星雲 (Horseshoe Nebula)」、「白鳥星雲[117](Swan Nebula)[115]」などの通称で知られる[8]。
- M18 (NGC 6613[118])
- 太陽系から約4820 光年の距離にある散開星団[118][119]。1764年6月3日にメシエが発見した[119]。
- M20 (NGC 6514[120])
- 太陽系から約2680 光年の距離にある散開星団と星形成領域の複合体[120][121]。1764年6月5日にメシエが発見した[121]。M8 の北西約2°に位置しており、広視野撮影のターゲットとされている[121]。
- M21 (NGC 6531[122])
- 太陽系から約4090 光年の距離にある散開星団[122]。1764年6月5日にメシエが発見した[123]。
- M22 (NGC 6656[124])
- 太陽系から約1万760 光年の距離にある球状星団[124]。1665年8月26日に土星を観測中のドイツのアマチュア天文家ヨハン・アブラハム・イーレが発見した[125]。見かけの明るさは5.1 等とヘルクレス球状星団を凌ぐ明るさで、条件が良ければ肉眼でも確認できる[125]。球状星団としては南天のオメガ星団、きょしちょう座47に次いで全天で3番目に明るく見える[125]。また、黄道から1°未満の位置にあるため、惑星との合が頻繁に見られる[125]。
- M23 (NGC 6494[126])
- 太陽系から約2150 光年の距離にある散開星団[126]。1764年6月20日にメシエが発見した[127]。μ星から北に2°.5、西に3°.5 の位置にあり、小望遠鏡や双眼鏡でも観察できる[127]。天の川銀河のオリオン腕といて・りゅうこつ腕の間に位置しており[128]、生まれてから約3億3000万年と推定されている[129]。
- M24
- Large Sgr Star Cloud と呼ばれるグレイトスタークラウドに対して Small Sgr Star Cloud と呼ばれる星の集団[130][131]。1764年6月20日にメシエが発見した[132]。天の川銀河のいて・りゅうこつ腕にある星々が、暗黒星雲の隙間の比較的星間減光の少ない120′×90′ほどの領域に輝いて見えているものである[130][131]。
- M25 (IC 4725[133])
- 太陽系から約2160 光年の距離にある散開星団[133]。1745年から1746年にかけてスイスの天文学者ジャン=フィリップ・ロワ・ド・シェゾーが発見した[134]。小望遠鏡や双眼鏡でも目立つ星団だが、ジョン・ハーシェルがジェネラルカタログに含めなかったため、GC や NGC 番号が付されていない[134]。
- M28 (NGC 6626[135])
- 太陽系から1万7500 光年の距離にある球状星団[135]。1764年7月27日にメシエが発見した[136]。集中度は 4 と強く、近くに見えるM 22に比べると中央に星が集まって見え、視直径も3分の1程度しかない[136]。
- M54 (NGC 6715[137])
- 太陽系から約8万5700 光年の距離にある球状星団[137]。1778年7月24日にメシエがパリの自宅で発見した[138]。南斗六星最南端のζ星から南0°.5、西1°.5 の位置にあり、容易に見つけることができる[138]。メシエが「非常に暗い」と評していた[138]ように他の球状星団に比べて遠くにあるため、口径40cmの望遠鏡でも星を分離するのは困難である[139]。元は天の川銀河に属する球状星団であると考えられていたが、1994年に発見された天の川銀河の伴銀河「いて座矮小楕円体銀河」に属することが判明し、これによって史上初めて発見された「銀河系外の球状星団」となった[138]。
- M55 (NGC 6809[140])
- 太陽系から約1万7400 光年の距離にある球状星団[140]。1752年6月16日にフランスの天文学者ニコラ=ルイ・ド・ラカイユが発見した[141]。集中度が11と弱く、メンバーの星も暗いため、取り立てて特徴のない星団である[139]。集中度が低い分、双眼鏡でも粒感があり星団として見ることができる[141]。
- M69 (NGC 6637[142])
- 太陽系から約2万9000 光年の距離にある球状星団[142]。1780年8月31日にメシエが発見した[143]。メシエは、ラカイユが星表に Lac I.11 と記載した星雲状の天体を探していた際にこの球状星団を発見し、Lac I.11 を再発見したと思い込んでいたが、これは彼の誤謬であったと考えられている[143]。
- M70 (NGC 6681[144])
- 太陽系から約3万500 光年の距離にある球状星団[144]。M 69と同じ1780年8月31日にメシエが発見した[145]。天の川銀河の球状星団の約20%に見られる「コア崩壊」と呼ばれる過程を経ており、平均的な球状星団に比べて中心部により強く星が密集している[146]。
- M75 (NGC 6864[147])
- 太陽系から約6万6900 光年の距離にある球状星団[147]。1780年8月27日から8月28日にかけての夜にフランスの天文学者ピエール・メシャンが発見した[148]。
- NGC 6822
- 天の川銀河から約160 万光年の距離にある不規則銀河[149]。コールドウェルカタログの57番に選ばれている[110]。1884年8月17日にアメリカの天文学者エドワード・エマーソン・バーナードが発見した[150]。発見者の名前を取って「バーナードの銀河[151](Barnard's Galaxy[149])」とも呼ばれる。
- いて座矮小楕円体銀河
- 太陽系から約8万4800 光年の距離にある矮小楕円体銀河[152]。1994年に発見が報告された[153]。天の川銀河の最も近くに位置する銀河の1つで、過去に繰り返し天の川銀河と衝突しており、そのたびに天の川銀河内に盛んな星形成を引き起こしていたと見られている[154][155]。
- アメリカ航空宇宙局 (NASA) とドイツ航空宇宙センター (DLR) 共同による空中天文台SOFIAとヨーロッパ宇宙機関 (ESA) のハーシェル宇宙天文台、NASAのスピッツァー宇宙望遠鏡による赤外線波長観測データから合成されたM 17オメガ星雲の画像[157]。