こゝろ

夏目漱石による日本の小説 From Wikipedia, the free encyclopedia

こゝろ』(新仮名: こころ)は、夏目漱石長編小説。漱石の代表作の一つ。1914年大正3年)4月20日から8月11日まで、『朝日新聞』で「心 先生の遺書」として連載され、同年9月20日岩波書店より漱石自身の装丁で刊行された[1][2]

訳題 Kokoro
日本の旗 日本
言語 日本語
概要 こゝろ, 訳題 ...
こゝろ
2001年に岩波書店から復刻されたもの
2001年に岩波書店から復刻されたもの
訳題 Kokoro
作者 夏目漱石
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 新聞連載
初出情報
初出朝日新聞
1914年4月20日 - 8月11日
初出時の題名心 先生の遺書
刊本情報
出版元 岩波書店
出版年月日 1914年9月20日
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概要

朝日新聞連載時は総ルビで、これは朝日新聞で連載された虞美人草から一貫した編集方針であった。新聞連載であったため全56話となっており、各話は1500~文字程度で執筆されている(最終話は1900文字程度)[3]

初版本の装丁は、背表紙が「こゝろ」、収める箱の背は「心」とタイトルされている[4][5]。初版の定価は1円50銭[6]。本扉に康熙字典の「心」部のファクシミリ画像、見返しにはArs longa, vita brevisの落款が付く。扉と奥付けの模様や、寝そべる[7]男が小篆の「心」を眺める絵は漱石の筆による[8]

なお初版は漱石による自費出版という形式ではあるが、この作品が岩波書店にとって出版社として本格的に発刊した最初の小説となった[9]。『彼岸過迄』『行人』に続く、後期3部作の最後の作品である。

連載開始からちょうど100年たった2014年4月20日に、『朝日新聞』上で再度連載が開始された[10]

新潮文庫版は、2016年時点で発行部数718万部を記録しており、同文庫の中でもっとも売れている。作品としても日本で一番に売れている本である[11]。文庫と全集を合わせると、1994年時点で2000万部を売り上げている[12]

背景

漱石が乃木希典殉死に影響を受け執筆した作品で、後期三部作とされる前作『彼岸過迄』『行人』と同様に、人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。

明治天皇崩御、乃木大将の殉死に象徴される時代の変化によって、「明治の精神」が批判されることを予測した漱石は、大正という新しい時代を生きるために「先生」を「明治の精神」に殉死させる。

元々、漱石はさまざまな短編を書き、それらを『心』という題で統一するつもりだった。しかし、第一話であるはずの短編「先生の遺書」が長引きそうになったため、その一編だけを三部構成にして出版することにし、題名は『心』と元のままにしておいたと、単行本の序文に記されている[注 1]

あらすじ

上 先生と私

語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰ったあとも「先生」の家に出入りするようになる。「先生」は奥さんと静かに暮らしていた。先生は毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。「先生」は「私」に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。「私」は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する(第二十一章から二十三章)。正月すぎに東京に戻った私は、「先生」に過去を打ち明けるように迫る。「先生」は来るべきときに過去を話すことを約束した(第三十一章)。大学を卒業した「私」は「先生」の家でご馳走になったあと、帰省する。

中 両親と私

語り手は「私」。腎臓病が重かった父親はますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、死線をさまよう父をよそに、東京行きの汽車に飛び乗った。

下 先生と遺書

「先生」の手紙。この手紙は、上第二十二章で言及されている。「先生」は両親を亡くし、遺産相続でもめたあと故郷と決別。東京で大学生活を送るため「奥さん」と「お嬢さん」の家に下宿する。友人の「K」が家族との不和で悩んでいるのを知った先生は、Kを同じ下宿に誘うが、これが大きな悲劇を生む。手紙は先生のある決意で締めくくられる。

登場人物

「上 先生と私」「中 両親と私」の語り手。田舎に両親を持つ学生。兄(九州にいる。上第二十二章)と妹(上第二十二章。既婚者)がいる。酒は飲める。喫煙者(上第二章)。父が腎臓の大病を患っている。将棋をする(上第二十三章)。カナメモチの葉で芝笛を作り吹き鳴らす(上第二十六章)。
先生
仕事に就かず、東京に妻とひっそり暮らしている。故郷は新潟(上第十二章)。「下 先生と遺書」で「私」として自分の生き方を語っている。酒は飲める。夫婦連れで音楽会や観劇などに行き、箱根日光へも旅行する(第九章)。語りの時点で、故人であることは上第四章で明かされる。喫煙者(上第三十一章)。
先生の妻 (お嬢さん)
名前は「静」(しず)(上第九章)。東京出身(上第十一章)、父は鳥取かどこかの出身(上第十二章)、母は江戸市ヶ谷の出身(上第十二章)。「下」の前半部分では「お嬢さん」と書かれている。
先生の妻の母
戦没軍人の妻で、物語ではすでに物故者。「下」の前半部分では「奥さん」と書かれている。「私」の父と同じ腎臓病で死去した(上第二十一章)。
語り手の父親。明治天皇を敬愛しており、腎臓に大病を患っている。当初は大病ながら元気にしていたが、明治天皇の崩御に伴い、生きる気力が次第になくなり、衰弱して行く。
先生の叔父
「下」に登場。先生の両親の死後、大学まで先生を養ってくれた人物。先生の母は心の底から信用していた人物であり、先生に叔父に任せなさい、と託した事から先生は心から信用する事となるが、次第に従姉妹との縁談を紹介するなど、両親の財産を目の前に態度を変えていくようになる。
K
「下」に登場。名前は先生の手紙における仮名であり、実際の名は作中で明かされない。先生とは同郷で、同じ大学に通っているが専攻は別。浄土真宗僧侶の次男。医者の家に養子に出される。養家は医者にするつもりで東京へ送り出したが、自身は医者になる気がなく、実家や養子先を激怒させ仕送りを止められ、困窮する。先生の他に親しい友人はいない。先生はKを「果断の富んだ性格」だと遺書の中で書いている。先生の提案で彼の下宿で一緒に生活することになる。

テーマ

本作は筆者が得意とする写生文の筆致が存分に振るわれた作品であり、多くの主題と思われる文言が作品中に含意されているものの、初期作品には多く見られた筆者(漱石)が解説する機会は極端に少なく[13]、そのため読者や評論家によって多くの解釈と解説が提示される素材となっている。

一般に述べられる本作の主題は「明治という時代」の終わりと共に失われる「明治の精神」、近代化の中で人が直面する孤独やエゴイズム、他人からは決して理解され得ない「死」の問題、また同様に他人からは決して理解されない罪悪感の問題を取り上げていると指摘されている[14]。明治天皇の崩御に伴う乃木大将の殉死は原文で言及される重要なプロットであり、本作を評価する点で無視することは出来ない論点である。頻度分析によれば本作で最も使用される語は「私」[15]であり、「先生」[16]、「K」[17]、「奥さん」[18]、「父」[19]、「知」[20]、「母」[21]、「死」[22]、「病」[23]、「悪」[24]、「信」[25]、「兄」[26]、「見る」[27]、「返事」[28]、「情」「頼」[29]、「墓」「寝」[30]、「実際」[31]、「静」[32]、「恋」[33]、「止(よ)」す[34]、「医者」[35]、「正」[36]、「心配」[37]、「妹」[38]、「平生」[39]、「郷」[40]、「信用」[41]などに表象される「語」は本作を検討する上で特筆すべき観点であり、先生の遺書に対してさえ、重要な背景について告白していないのではないかとする観点(信頼できない語り手)が提示される事がある[42]

翻訳者のエドウィン・マクレランは、「心理的な罪悪感は、哲学的な孤独よりも重要ではない」と書いている。マクレランは、夏目の以前の作品である『』や『行人』を通して、孤独からの解放を求めるというテーマが本作における先生の自殺という解決に至るまでをたどっているという[43]

罪悪感が絡んでくるとはいえ、自分の行動や過ちに責任を持つことは、儒教や日本のイデオロギーにおいて最も重要なことであり、先生もそうした伝統を理解している。先生は明らかにKの自殺に責任を感じていて、それはKの墓参りのために雑司ヶ谷の墓地に何度も足を運ぶことや、自分は天罰を受けている(上第八章)、あるいは不幸と孤独に運命づけられているという信念(上第七章)、Kへの裏切りのせいで自分は決して幸せになってはならない、あるいは決して幸せになれない(上第十章)という信念に表れている。

ここから、先生の自殺は、日本文化においてしばしば見られるように、謝罪であり、懺悔を示す、あるいは自分の過ちについて何かをしようとする試みである(下第五十四章)。先生は何度か、自分が死ななければならないことは以前からわかっていたが、自殺する力はまだないと書いている。先生は弱さに縛られており、伝統的な日本の価値観も、明治時代を通じて急速に取って代わられた新しい近代的な西洋の価値観も、どちらも持ち続ける強さを持っていない。

江藤淳は漱石の作品における孤独への焦点は、彼自身がロンドン留学中に経験した哲学的危機によるものだとしている。西洋の個人主義的な考え方に接して、日本の伝統的で儒教的な学者・行政官モデルへの信頼を打ち砕かれたが、西洋の考え方を心から受け入れることができないほど伝統的な生い立ちを彼は残していた[44]。夏目の構想した「堕落した男」は、狂気か自殺によって逃れるか、生き続けて苦しみ続けるかしかなかったという。

土居健郎は本作について心理学的な側面が支配的で、先生の人生がまず狂気へ、次いで自殺へと転落していったと見る、対照的な解釈を示している。先生の叔父の詐欺に関する記述に矛盾があることを指摘した上で、叔父の行動に対する先生の認識は、先生自身の変化によって生じた統合失調症の妄想であると論じる[45]。 先生が、一緒に暮らすことになった家族によって、まず自分が迫害され、次に罠にはめられたと信じることや、Kの自殺の数年後に先生が語り手に自身の過去を語ったという声に、この評価をさらに裏付けるものを見出している(下第五十四章)。そして先生自身の最期は、「最愛の人に忠誠を誓って死についていく」というホモエロティックな行為であったと解釈している。

朴裕河によれば本作は「男の、男による、男のための」物語であり、本作の中で行われているのは「明治の精神」という実体のない精神の称揚であるという。この精神は男性にのみその占有が許されているものであり、彼ら自らが、自らの「死」をかけて守ろうとしていたものであって、「明治の精神」という価値が根源的に存在していて、そこに身を挺したというよりも、身を挺することで「明治の精神」という【主体】が生まれ出たのだという[46]

関連作品

映像化

漫画化

舞台化

脚注

外部リンク

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