アジャム
アラビア語が母語ではない人。ペルシャ化された地域の住民。
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アジャム(アラビア語: عجم, ラテン文字転写: ʿajam)は、前近代のアラビア語の文献において「非アラブ」を意味する言葉[1][2][3]。非アラブの中でも特にペルシア人を指す場合がある[1][2]。非アラブの人に対する蔑称として使われることがある。




原義は「理解することのできない言葉」を意味する(ギリシア語における「バルバロイ」とほぼ同義)。7世紀にクルアーン(コーラン)の記述に「アラブ人の言葉」「アラビア語」を意味するアラビー(‘arabī)に対して「異人の言葉」「外国語」を意味するアジャミー(‘ajamī)が用いられ、これ以降、アラビア語はアラブ人の話すクルアーンの言葉であり、それに対して異民族が話すアラビア語以外の言語という語義が定着した。
イスラム帝国がサーサーン朝を滅ぼすと、この地域の中世ペルシア語を話す人々を支配下に収めた。アラブ人にとって旧サーサーン朝治下の人民が支配地域で最大多数派の異族となり、アジャムとアジャミーはその人々の言葉、あるいは地域名として話者の住むイラン方面を指すようになった。イラン・イラクの周辺ではアラブの人々とアジャムの人々が接しあって暮らすうちに「アラブ」と「アジャム」の二項対立的な地域観が生まれ、セルジューク朝の時代にイラン・イラク一帯のうちメソポタミア方面を「イラーキ・アラブ」(アラブのイラク)、イラン高原西部を「イラーキ・アジャム」(アジャムのイラク)とする地域概念が一般化している。
こうしたイスラム時代にアラビア語でアジャムと呼ばれた人々は、この時代のイランの歴史を叙述する際に一般に「ペルシア人」と呼ばれた人々である。アジャムの人々すなわちペルシア人はマワーリー制度などを通じて徐々にイスラムに改宗し、文字や語彙にアラビア語を取り込んで近世ペルシア語を発達させていった。
イスラム教を取り入れ、アラビア語の言葉遣いを身につけたペルシア人たちの呼び名はアジャムに替わり、自らをイラン人(イーラーニー)、タジク人(タージーク)、ペルシア人(ファールスィー)などと称するように変わっていく。すなわち現在の中央アジアのタジク人や、イランのペルシア人がその末裔であるとみなされる人々である。
上記とは対照的に、アラビア語のアジャムの原義は「理解することのできない言葉を話す人」であり、「言葉を知らない」あるいは「馬鹿」などの見下す意味あいが与えられて時には侮蔑的にも使われるため、ペルシア人たちには好まれず、現在はほとんど使われることはなくなった。
アンダルスやマグリブ、イフリーキヤなどでは、アジャムという名称をアラブ化していないヨーロッパ人やベルベル人などに使われた。西アフリカの言語の中には、アラビア文字を用いて自言語を表記する体系を「アジャミー」と呼ぶ言語がある(たとえば、ウォロフ語、フルベ語、ハウサ語)[4]。