アソールト
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当歳時に杭を踏み抜くという事故に遭い、安楽死は何とか免れたものの、右足が変形しいつも足を引きずっていた。その姿からびっこ、足曲がりと呼ばれていた。だが、足が不自由にもかかわらず活躍し、1946年アメリカ三冠を達成、人々は賞讃の意を込め「Club-footed Comet」(足曲がりの彗星)と呼んだ。
種牡馬としてはほとんど産駒を残せず事実上の不妊。その後、1971年9月1日に生まれ故郷キング・ランチで死亡、28歳であった。産駒は僅か2頭(いずれもクォーターホース)だが、母方を通じて子孫は現存する。
1971年アメリカ競馬殿堂入り。ブラッド・ホース誌による20世紀のアメリカ名馬100選では33位に選出。
戦績
2歳時にベルモントパーク競馬場でデビューしたアソールトは初戦を12着と惨敗し。4戦目で勝ち上がるもののこの年は9戦2勝で終えた。2勝目のフラッシュステークスは11番人気の大穴だった。翌年はフリーハンデキャップでいきなり勝ち上がると、続くウッドメモリアルステークスも快勝した。ケンタッキーダービーでは、前走ダービートライアルステークスで4着に負けていたことから4番人気に過ぎなかった。だが、先行策から直線抜け出すと、前走負けたスパイソングに着差レコードとなる8馬身差を付け圧勝。さらにプリークネスステークスも快勝すると、ベルモントステークスではスタート直後に躓くというアクシデントがありながら3馬身差でアメリカ競馬史上7頭目の三冠を達成した。その後はなかなか勝てないレースが続くも、年末のピムリコスペシャルステークスではスタイミーを破り、さらにウェストチェスターハンデキャップにも優勝するとこの年の米年度代表馬に選ばれた。
翌年はいきなり5連勝するもアームドとのマッチレースで故障してしまい、以後は出走回数を減らしていく。その後も全盛期の力を取り戻すことなく、7歳時のハリウッドゴールドカップ7着を最後に引退した。