アソールト
アメリカの競走馬 (1943-1971)
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生涯
当歳時に杭を踏み抜くという事故に遭い、安楽死は何とか免れたものの、右足が変形しいつも足を引きずっていた。その姿からびっこ、足曲がりと呼ばれていた。だが、足が不自由にもかかわらず活躍し、1946年アメリカ三冠を達成、人々は賞讃の意を込め「Club-footed Comet」(足曲がりの彗星)と呼んだ。
種牡馬としてはほとんど産駒を残せず事実上の不妊。その後、1971年9月1日に生まれ故郷キング・ランチで死亡、28歳であった。産駒は僅か2頭(いずれもクォーターホース)だが、母方を通じて子孫は現存する。
1971年アメリカ競馬殿堂入り。ブラッド・ホース誌による20世紀のアメリカ名馬100選では33位に選出。
戦績
2歳時にベルモントパーク競馬場でデビューしたアソールトは初戦を12着と惨敗し。4戦目で勝ち上がるもののこの年は9戦2勝で終えた。2勝目のフラッシュステークスは11番人気の大穴だった。翌年はフリーハンデキャップでいきなり勝ち上がると、続くウッドメモリアルステークスも快勝した。ケンタッキーダービーでは、前走ダービートライアルステークスで4着に負けていたことから4番人気に過ぎなかった。だが、先行策から直線抜け出すと、前走負けたスパイソングに着差レコードとなる8馬身差を付け圧勝。さらにプリークネスステークスも快勝すると、ベルモントステークスではスタート直後に躓くというアクシデントがありながら3馬身差でアメリカ競馬史上7頭目の三冠を達成した。その後はなかなか勝てないレースが続くも、年末のピムリコスペシャルステークスではスタイミーを破り、さらにウェストチェスターハンデキャップにも優勝するとこの年の米年度代表馬に選ばれた。
翌年はいきなり5連勝するもアームドとのマッチレースで故障してしまい、以後は出走回数を減らしていく。その後も全盛期の力を取り戻すことなく、7歳時のハリウッドゴールドカップ7着を最後に引退した。
年度別競走成績
- 1945年(9戦2勝)
- 1946年(15戦8勝、米年度代表馬、最優秀3歳牡馬)
- ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス、ピムリコスペシャルステークス
- 1947年(7戦5勝)
- サバーバンハンデキャップ、ブルックリンハンデキャップ
- 1948年(2戦1勝)
- 1949年(5戦1勝)
- ブルックリンハンデキャップ
- 1950年(3戦1勝)
血統表
| アソールトの血統(スウィンフォード系/Commando4×5=9.4%) | (血統表の出典) | |||
父 Bold Venture 1933 栗毛 |
父の父 St.Germans1921 鹿毛 |
Swynford | John o'Gaunt | |
| Canterbury Pilgrim | ||||
| Hamoaze | Torpoint | |||
| Maid of the Mint | ||||
父の母 Possible1920 栗毛 |
Ultimus | Commando | ||
| Running Stream | ||||
| Lida Flush | Royal Flush | |||
| Lida H. | ||||
母 Igual 1937 栗毛 |
Equipoise 1928 栗毛 |
Pennant | Peter Pan I | |
| Royal Rose | ||||
| Swinging | Broomstick | |||
| Balancoire | ||||
母の母 Incandescens1931 栗毛 |
Chicle | Spearmint | ||
| Lady Hamburg | ||||
| Masda | Fair Play | |||
| Mahubah F-No.4-c | ||||
- 曽祖母Masdaの全弟にMan o' Warがいる。
- 甥のProve Outは1973年のジョッキークラブゴールドカップとウッドワードステークスの優勝馬で、ウッドワードステークスではSecretariat相手に勝利を収めている。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 JBISサーチ