アダチ龍光
日本の奇術師
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経歴
新潟県蒲原郡両鹿瀬村の曹洞宗の寺院に生まれた[1]。18歳で上京し、岩倉鉄道学校中退後、新派の役者修業をしていたが[1]、映画の活動弁士を志し、1920年(大正9年)、大阪へ渡って木村紅葉(本名:木村荘六。木村荘平の六男)に入門し、アダチ荘一を名乗った。ところが紅葉が奇術師に転向し、木村マリニー(木村マリーニ)と改名したため、マリニー、マリニーの妻、荘一の3人で一座を組み、奇術の巡業を開始することとなった[2]。
1922年(大正11年)、アダチ龍光に改名した。東京・大阪の寄席に出つつ、初代江戸家猫八の一座に帯同し、声帯模写を学ぶ[2]。この時期に「擬声漫談」と称する一人話芸も行なっており、SPレコード2枚(擬声漫談「四季の風景(上)(下)」)を録音している[3]。1930年代に吉本興業の専属になる。
戦後は故郷の新潟に戻っていたが、営業でやって来た芸人仲間と再会して復帰を誘われ、みたび上京。落語協会に所属する。1966年(昭和41年)に芸術祭奨励賞受賞[1]。同年から日本奇術協会会長を務めた[1]。1971年(昭和46年)には昭和天皇の古希祝いとして、皇居で奇術を披露している[1][2]。
1979年(昭和54年)、脳内出血で倒れるが、1年後には復帰。『花王名人劇場』(関西テレビ)に出演した。1982年(昭和57年)10月13日に急性心不全のため86歳で没した[1]。戒名は龍光一道信士[2]。
芸風
弟子
- アダチ龍一
- アサダ二世
著書
- 『誰れでも出来る『手品と奇術』(米倉健編・龍光監修 、八千代書院 1956年)
- 『マジック入門』(鶴書房 1972年・1977年)