アバ県
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アバ県(アバけん)は、中華人民共和国四川省アバ・チベット族チャン族自治州に位置する県。県政府所在地は阿壩鎮にある。
| 中華人民共和国 四川省 阿壩県 | |
|---|---|
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| 中心座標 北緯32度54分 東経101度42分 | |
| 簡体字 | 阿坝 |
| 繁体字 | 阿壩 |
| 拼音 | Ābà |
| カタカナ転写 | アーバー |
| チベット語 | རྔ་བ་ |
| ワイリー方式 | Rnga ba |
| 蔵文拼音 | Ngawa |
| 国家 | |
| 省 | 四川 |
| 自治州 | 阿壩 |
| 行政級別 | 県 |
| 面積 | |
| 総面積 | 10,435 km² |
| 海抜 | 2936 - 5154 m |
| 人口 | |
| 総人口(2004) | 6 万人 |
| 経済 | |
| 電話番号 | 0837 |
| 郵便番号 | 624600 |
| 行政区画代碼 | 513231 |
| 公式ウェブサイト: http://www.abaxian.gov.cn/ | |
チベット語の発音に由来する「ガパ (rnga ba, ンガバ)」あるいは「ガワ(ngawa)」と表記されることもあり、これらは「収穫」の意味を持つチベット語である。中国語表記の「阿壩」はその音写であり、日本で主に使用されている「アバ」は漢字表記の日本語の音読みである。
地理
歴史
アバ地区に初めて行政区画が設置されたのは、唐初に剣南道に設置された168の羈穈州にさかのぼる。アバ地区は権州都督府の管轄とされた。638年(貞観12年)、吐蕃のソンツェン・ガンポが大軍を率いて松州に至り文成公主を迎えてからは、アバ地区は吐蕃の支配下に置かれている。元代になると土官制が採用され、地方官である土官は世襲されることとなった。明朝が成立すると潘州衛の管轄とされ、永楽年間には上中下阿壩が松潘衛の管轄となり三阿壩と称された。
清代になると康熙年間に松潘庁が設置され、アバ地区を管轄した。1912年(民国元年)、中華民国が成立すると松潘県の管轄とあり、11大部落、37小部落が形成され、阿壩の名称で称されるようになった。
1951年、国共内戦の結果中華人民共和国の行政権が及ぶようになると、12月に県級のアバ・チベット族自治区(阿壩蔵族自治区)人民政府が設置された。1954年1月、西南行政委員会は県の設置を認可、アバ県が成立した。
1952年にはアバ郵電局が、1988年10月には電話回線の敷設が行われている。
1987年10月にチベット仏教ゲルク派寺院であるキルティ寺にて大仏塔再建竣工式が開催された。 2008年3月に起こったチベット騒乱ではアバ市街でも大規模な抗議行動が発生[1]、23名の死亡が「確認」された(3・16アバ事件)[2][3]。2009年2月にはキルティ寺の僧が焼身自殺を行い[4]、2011年3月、2012年1月にも同じくキルティ寺の僧が焼身自殺を図った[5][6]。
行政区画
交通
経済
文化
教育
現在県内には下記教育機関が設置されている
- 完全中学 : 1校
- チベット初級中学 : 1校
- 小学校 : 66校
- 幼稚園 : 2箇所
健康・医療・衛生
- アバ県人民医院

