アラン・トランメル

アメリカの野球選手、監督 (1958 - ) From Wikipedia, the free encyclopedia

アラン・スチュアート・トランメルAlan Stuart Trammell, 1958年2月21日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ガーデングローブ出身の元プロ野球選手遊撃手)、監督。右投右打。

生年月日 (1958-02-21) 1958年2月21日(68歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
概要 基本情報, 国籍 ...
アラン・トランメル
Alan Trammell
シカゴ・カブスコーチ当時のトランメル
(2010年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ガーデングローブ
生年月日 (1958-02-21) 1958年2月21日(68歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1976年 ドラフト2巡目
初出場 1977年9月9日
最終出場 1996年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
殿堂表彰者
選出年 2018年
得票率 81.25%
選出方法 ベテランズ委員会選出
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MLBデトロイト・タイガースで活躍した。背番号3はタイガースの永久欠番。タイガース退団後はシカゴ・カブスアリゾナ・ダイヤモンドバックスでベンチコーチ(NPBのヘッドコーチに相当)を務めた。「トラメル」とも表記される。

経歴

現役時代

デトロイト・タイガースに入団し、マイナーでのプレイの後、1977年9月9日にフェンウェイ・パークでのボストン・レッドソックスとのダブルヘッダー第2試合でメジャーデビュー。 長年にわたって二遊間の「キーストン・コンビ」を組むことになるルー・ウィテカーも同じ試合でデビューを果たした。フルシーズン一年目の1978年には139試合に出場。新人王をとったのはウィテカーであった。

1980年には打率.300、9本塁打、65打点を記録して初のオールスターゲーム出場を果たす。守備力にも優れ、この年初のゴールドグラブ賞を受賞。遊撃手という名手揃いのポジションにあって、以後通算4回同賞を獲得する。

その後2年続けて打率.258の不振に終わったが、1983年には.319、初の2桁本塁打(14)、自己最多の30盗塁を記録し、ア・リーグカムバック賞を受賞。

そして1984年にはチームは最初の40試合で35勝(MLB記録)を挙げ、その勢いで地区優勝を果たす。 トランメル自身も打率.314を記録。カンザスシティ・ロイヤルズとのチャンピオンシップシリーズ(この年まで5回戦制)では打率.364、1本塁打、1三塁打を記録し、チームは3連勝でワールドシリーズに進出。サンディエゴ・パドレスとのワールドシリーズではトランメルは20打数9安打、打率.450を記録。チームは4勝1敗でワールドチャンピオンに輝き、トランメルはシリーズMVPに選ばれた。

1986年には初の20本塁打(21本)を打つ。この年タイガースの内野陣は一塁・ダレル・エバンス、二塁・ウィテカー、三塁・ダネル・コールズ(のち中日阪神)、遊撃・トランメルと内野手全員が20本塁打を打つ。

その年のオフに4番・捕手のランス・パリッシュフリーエージェント(FA)でフィラデルフィア・フィリーズに移籍。それまで主に2番を打っていたトランメルは、監督スパーキー・アンダーソンによって、1987年より4番で起用されることとなる。 その1987年には終盤首位のトロント・ブルージェイズを追い上げ、9月にはトランメルが18試合連続安打を含む打率.416、17打点と打ちまくり、チームは残り2試合で逆転し地区優勝を決める。 トランメル自身も打率.343、28本塁打、105打点、200安打を記録した。タイガースの選手で200安打・100打点を同じ年に記録したのはアメリカ野球殿堂入りした大先輩アル・ケーライン(1955年)以来32年ぶりであった。MVP投票でもジョージ・ベル(ブルージェイズ)に次ぐ2位の高得票を得た。

1988年6月21日のヤンキース戦で、3-6とリードされていた9回裏に逆転サヨナラ満塁本塁打を打つ。タイガースはこの試合をはさんで3試合連続でヤンキースにサヨナラ勝ちを収めている[1]

タイガー・スタジアムにて打つトランメル(1991年)

1991年以後は膝・肘の故障に悩み、1992年は29試合の出場に終わる。1993年規定打席未満ながら、打率.329、12本塁打、60打点を記録したが、その後は成績が下降。

1996年限りで現役を引退。なお、トランメルとウィテカーは通算1918試合に共に出場している。これは、ポジションを問わず、特定の2選手が同じ試合に出場した数としては、ア・リーグ記録である。この両者が完成させた併殺は、二塁・遊撃のコンビとしてはMLB史上最多である。

引退後

引退後はマイナーのコーチとなり、1999年にタイガースの打撃コーチに就任。

2000年から2002年サンディエゴ・パドレスの一塁ベースコーチを務めた。

2003年から2005年はふたたび古巣タイガースに復帰し監督を務めた。初年度の2003年は、ニューヨーク・メッツ(1962年の120敗)のMLBワースト記録の更新かと思われるほどのペースの敗戦が続き、何とか免れるもののア・リーグのワーストレコードとなる119敗を喫する。2004年には71勝91敗、2005年は72勝90敗に終わり、3年間合計で300敗を喫した。2005年10月3日に解任され、後に就任したジム・リーランドのもと、タイガースは翌2006年にワールドシリーズ進出を果たす。しかしファンからの支持は高く、2006年10月の試合時にコメリカ・パークを埋めたファンからスタンディング・オベーションを受けている。

2007年からシカゴ・カブスのベンチコーチに就任。

2011年からアリゾナ・ダイヤモンドバックスのベンチコーチに就任。しかし2014年に地区最下位になったことにより、カーク・ギブソン監督とともに退団が決定。シーズン最後の3試合のみ、ギブソンに代わり代行監督を務めた。

2014年11月からタイガースのGM特別補佐に就任[2]

2016年4月15日に第4回WBCアメリカ合衆国代表コーチを務めることが発表された[3]

トランメルのタイガース在籍時の背番号「3」。
デトロイト・タイガースの永久欠番2018年指定。

2018年ベテランズ委員会の選出でアメリカ野球殿堂入りを果たした[4]。殿堂入りを記念し、現役時代の背番号『3』がタイガースの永久欠番に指定されることが発表された[5]。なお、欠番指定になるトランメルの背番号「3」は、トランメルの引退後長らく誰もつけていなかったが、2007年にニューヨーク・ヤンキースより移籍したゲイリー・シェフィールドが、自身のつけられる背番号についてトランメルに相談したことで、「3」をつけた。シェフィールドの退団後は、2014年シーズンよりイアン・キンズラーが着用し、欠番指定される前に最後に『3』をつけたプレイヤーになった。

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
1977 DET 19484368000800010400121.186.255.186.441
1978 13950444849120146215234316345025612.268.335.339.675
1979 1425204606812711461645017141254300556.276.335.357.691
1980 146652560107168215922665121213769236310.300.376.404.779
1981 1054633925210115321283110316349233110.258.342.327.669
1982 15755648966126343919357198965200475.258.325.395.720
1983 14258150583161312142386630101545720647.319.385.471.856
1984 1396265558517434514260691913626023638.314.382.468.851
1985 1496776057915621713230571451195042716.258.312.380.692
1986 151653574107159337212697525121145945577.277.347.469.816
1987 151668597109205343283291052122660834711.343.402.551.953
1988 128523466731452411521669740746844614.311.373.464.836
1989 12150644954109203515043102354514459.243.314.334.648
1990 14663755971170371142518912103668715511.304.377.449.826
1991 1014213755793200914055112513713397.248.320.373.693
1992 29120102112871140112211150146.275.370.392.762
1993 112447401721322531219960128423822387.329.388.496.885
1994 76311292387817181212830201611358.267.307.414.722
1995 7425522328601202782331322740198.269.345.350.695
1996 662071931645201501660131000273.233.267.259.526
MLB:20年 229393758288123123654125518534421003236109124768504837874156.285.352.415.767
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備
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二塁(2B)三塁(3B)遊撃(SS)




































1977 DET --19153425.961
1978 --1392394211495.979
1979 --1422453882699.961
1980 --1442254121389.980
1981 --105181347965.983
1982 --1572594591697.978
1983 --1402363671371.979
1984 --1141803141071.980
1985 --1492254001589.977
1986 --1492384452299.969
1987 --1492224211994.971
1988 --1251953551167.980
1989 --117188396971.985
1990 --14223240914102.979
1991 --92131296960.979
1992 --274680316.977
1993 -35195657.9386379181324.989
1994 --631171811044.968
1995 --6086158534.980
1996 11152326.9508713011.0004352108415.976
MLB 11152326.95043266958.9502139339161722271307.977
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外野守備
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左翼(LF)中堅(CF)
























1993 DET 49010.900461001.000
1996 110001.000-
MLB 510010.909461001.000
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年度別監督成績

さらに見る 年度, チーム ...
年度チーム地区年齢試合勝利敗戦勝率順位/
チーム数
備考
2003年DETア 中地区4516243119.2655 / 5
2004年DETア 中地区461627290.4444 / 5 
2005年DETア 中地区471627191.4384 / 5
2014年ARIナ 西地区56312.3335 / 5途中就任
通算4年  489187302.382  
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表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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