オトラント
コムーネ
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オトラント(イタリア語: Otranto)はイタリアのプッリャ州レッチェ県にある人口約5,900人の基礎自治体(コムーネ)。サレント半島東岸に位置する港町で、イタリア最東端のコムーネである[4]。
| オトラント Otranto | |
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| 行政 | |
| 国 |
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| 州 |
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| 県/大都市 |
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| CAP(郵便番号) | 73028 |
| 市外局番 | 0836 |
| ISTATコード | 075057 |
| 識別コード | G188 |
| 分離集落 | Porto Badisco, Conca Specchiulla |
| 隣接コムーネ | #隣接コムーネ参照 |
| 地震分類 | zona 4 (sismicità molto bassa) |
| 気候分類 | zona C, 1099 GG |
| 公式サイト | リンク |
| 人口 | |
| 人口 | 5,898 [1] 人 (2019-01-01) |
| 人口密度 | 77.5 人/km2 |
| 文化 | |
| 住民の呼称 | idruntini または otrantini |
| 守護聖人 | Beati Martiri di otranto |
| 祝祭日 | 8月14日 |
| 地理 | |
| 座標 | 北緯40度09分 東経18度29分 |
| 標高 | 15 (0 - 101)[2] m |
| 面積 | 76.15 [3] km2 |
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レッチェ県におけるコムーネの領域 | |
名称
地理
歴史
古代ローマ時代には街の谷あいに開けたHydrusという急流が出ていて、その名から来たHydruntumという名前で知られていた。東ローマ帝国とゴート人、その後のノルマン人(オートヴィル朝)、ズヴェヴィア家(ホーエンシュタウフェン朝)、アンジュー=シチリア家(アンジュー朝)、アラゴン家(アラゴン連合王国)の統治の中心だった。
1480年にはオスマン帝国に占領され、市民が大量に殺戮された(オトラントの戦い)。この占領にはオスマン帝国によるイタリア征服の意図があったとされるが、1481年、スルタン・メフメト2世の急死でオスマン軍は撤退した。
その後、ナポリ王国がナポレオンにより征服され、オトラントに派遣されたジョゼフ・フーシェはオトラント公爵に任ぜられ、以降彼の子孫はこの称号を用い続けている。
文化・観光
「イタリアの最も美しい村」クラブ加盟コムーネである。
名所としては、カテドラーレ(Cattedrale di Otranto)、その中の1163年から1165年にかけて作られたモザイク、フリードリヒ2世に備えて強化された城、東ローマ時代のサン・ピエトロ教会、その側にはアリミーニ湖などがある。