伽耶琴
朝鮮半島の伝統的な撥弦楽器
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歴史
遅くとも6世紀中頃には朝鮮半島で普及していた弦楽器の一種であり、『三国史記』には、伽耶国の嘉悉王が中国の箏を模して作り、同国の楽師・于勒に楽曲制作を命じたと記されている[1][2][3]。一方で、当時の中国の箏と伽耶琴は弦の数や胴の造りで異なる点が少なくなく、林謙三は、『魏志』の三韓の条に辰韓の楽器として記されたものが原型ではないかとし、于勒による楽曲制作の伝承は伽耶国の滅亡悲話と結びついて生まれたのではないかと指摘する[1][2]。
日本には奈良時代に新羅琴として伝来しており、国家珍宝帳に「金鏤新羅琴」の記載が確認できる[2][4]。また、823年(弘仁14年)に正倉院に納められたものが現存している[2][4]。平安時代には新羅系渡来人の沙良真熊という楽人が名手として知られた[2]。
主に宮廷や富裕層の邸宅で正楽の演奏に用いられてきたが、李朝末期には構造を簡略化したものが普及し、民謡などの散調の演奏にも広く使われるようになった[5][6]。伝統的な正楽用のものを法琴・風流伽耶琴・古伽耶琴、散調用のものを散調伽耶琴・新伽耶琴とも言い分ける[6][7][8]。現代の韓国においても伽耶琴の製作・演奏は続けられており、2002年の小泉純一郎内閣総理大臣の訪韓時にも韓国国立国楽院で演奏が披露された[6]。
構造
桐材の胴に張った絹製の12本の弦を可動性の柱(岐稞)で調弦する構造であり、正楽用・散調用で細部が異なる[7]。正楽用は桐の1枚板をくり抜いて胴を作り、弦の終端となる尾部には羊の耳に似た「羊耳頭」が備えられる[7]。散調用の胴は1枚板のくり抜きではなく箱作りであり、羊耳頭も簡略化される[6][7]。サイズについても、正楽用が胴長160センチメートル程度に対し、散調用は140センチメートル程度と小ぶりで弦と弦の間隔も狭い[6][7]。
韓国で伽耶琴製作者として重要無形文化財保持者(人間文化財)の指定を受けている高興坤は、胴に用いる桐材は樹齢を重ねて年輪が密になったものが良材であるとし、伐採後に5年以上風雨に晒してから加工するとしている[6]。
