キズリャル
ロシアの都市
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キズリャル(キズリャールとも表記、ロシア語: Кизля́р、ラテン文字:Kizlyar、Kizliarと表記されることもある[5])は、ロシア・ダゲスタン共和国の都市である。キズリャルはダゲスタン共和国の首府マハチカラから北西221キロメートルの地点にあり、テレク川の河口を挟んでチェチェン共和国と隣接する。人口は以下のようになっている。48,984 (2010年調査)、[3]48,457 (2002年調査)、[6] 39,748 (1989年調査)、[7] 30,000 (1970年調査)。
| キズリャル Kizlyar Кизляр БагІархъала (アヴァル語) Абсиях-гент (クムク語) | |
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| - Town[1] - | |
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キズリャル駅 | |
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ロシアにおけるダゲスタン共和国の位置 | |
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| 自治単位 (2013年12月現在) | |
| 国 | ロシア |
| 連邦構成主体 | ダゲスタン共和国[1] |
| 所属 | キズリャル町[1] |
| 行政中心地制定 | キズリャルスキー地区,[1] キズリャル町[1] |
| 自治体 (2015年4月現在) | |
| 都市管区 | キズリャル都市管区[2] |
| 行政中心地制定 | キズリャル都市管区,[2] キズリャルスキー市区[要出典] |
| 統計 | |
| 人口 (2010年, 予備) | 48,984人[3] |
| 標準時 | MSK (UTC+3)[4] |
| First mentioned | 1609年[要出典] |
| 郵便番号 | 368830–368833, 368839, 368886[要出典] |
| 公式サイト | |
| キズリャル - ウィキメディア・コモンズ | |
歴史
キズリャルが初めて地名として登場するのは1609年であるが、歴史家の中にはキズリャルを8世紀に存在した国家、ハザールの首府であったサマンダールと関連づける者もいる。1735年、ロシア帝国政府は要塞をキズリャルに築き、コーカサスに対する防衛戦として位置づけた。18-19世紀、キズリャルはロシアと中東・中央アジア間の交易都市として発展した。この時期は、人口の大多数がアルメニア人とロシア人であった。1796年、キズリャルには2,800人のアルメニア人と1,000人のロシア人が居住していた[8]。
1996年1月、キズリャルの航空基地にロシア第78師団の兵が駐屯しているとしてチェチェン共和国の独立主義者から襲撃を受けた。
行政区分
民族
2002年の人口統計調査による行政区画内の民族比率は以下のとおりである[9]。
- ロシア人 (49.2%)
- アヴァール人 (15.6%)
- ダルギン人 (11.6%)
- クムク人 (4.8%)
- レズギ人 (3.9%)
- ラク人 (3.2%)
- アゼルバイジャン人 (1.7%)
- ノガイ族 (1.4%)
- タバサラン人 (1.3%)
- ルトゥル人 (1.2%)
- チェチェン人 (1.1%)
2002年の人口統計調査によるキズリャル市内の民族比率は以下のとおりである[10]。
- ロシア人 (48.6%)
- アヴァール人 (15.4%)
- ダルギン人 (11.7%)
- クムク人 (5.0%)
- レズギ人 (4.0%)
- ラク人 (3.2%)
- アゼルバイジャン人 (1.8%)
- ノガイ族 (1.4%)
- タバサラン人 (1.3%)
- ルトゥル人 (1.3%)
- チェチェン人 (1.1%)
経済
姉妹都市
出身人物

- ピョートル・バグラチオン(1765年 - 1812年):ロシア帝国の将軍。
- ロマン・バグラチオン(1778年 - 1834年):ジョージアの貴族、ロシア帝国の将軍。
- ロマノス・メリキャン(1883年 - 1935年):アルメニアの作曲家。
- アリ・バガウティノフ:ロシアの総合格闘家。
- ラスール・ミルザエフ(1986年 - ):ダゲスタン共和国とロシアの武道を組み合わせて戦う武道家。
