クアトロK

2006年の横浜ベイスターズにおける木塚、川村、加藤、クルーンによる4人の救援投手 From Wikipedia, the free encyclopedia

クアトロKQuattro K)は、2006年の横浜ベイスターズにおける4名の救援投手木塚敦志川村丈夫加藤武治マーク・クルーン)を指す総称。「クアトロ」は「4」を意味するイタリア語(quattro)で、「クワトロ」とも呼ばれるが、球団公式の表記は「クアトロ」である[1]

メンバー

誕生までの経緯

2005年の阪神戦において、試合が競った展開(主に三浦が先発した試合)になると、阪神タイガース救援陣の「JFK」に対抗する形で木塚・川村・クルーンが送り出されて、一歩も引かない緊迫した試合が何度も見られた。この3名に、シーズン途中から中継ぎに回った加藤を加えた4名が、全てKで始まる名字であったことから、2006年にこのJFKをヒントに球団が命名した。

特徴

JFK(阪神)やTOM(日本ハム)などと呼ばれる救援陣には左投手が一人はいることが多いが、クアトロKの場合は4人とも全て右投手であった。しかも、そのうち木塚・加藤がサイドスローであることから、左打者と対戦する時に不利になる事が多かった(ただし、広義では同じサイドスローでも木塚はアンダー寄り、加藤はスリークォーター寄りでフォームも全く異なる)。横浜は左投手不足がここ数年顕著であり、このような右投手中心の救援陣で臨まなければならないという事情もあった。

結成後

2006年シーズンから横浜スタジアムでは、試合が後半にさしかかってクアトロKのうちのいずれかの登板機会が巡ってくると、スーパーカラービジョンにクアトロKの4人が表示され、しばらくすると登場する投手と名前のみが表示される映像が映し出された。この映像は、リードしている場面や同点の場面だけではなく、相手にリードを許している場面でもしばしば使用された。このような演出を球団が主体となって行ったのは横浜のみであり、特徴の一つとされる。

シーズン開幕当初はロングリリーフも兼ねた加藤が一番手で以降、木塚→川村→クルーンの投入順が想定されていたようであったが、木塚・川村が不調であったため加藤がセットアッパーに回り、(木塚→)川村→加藤→クルーンが主な投入パターンになった。しかし、同じ試合に4人全員が登板する事は希であり、試合展開や登板間隔の都合から、木塚・川村については点を追う場面での登板も多かった。木塚に至っては調子が戻って来たにもかかわらず敗戦処理のような登板を強いられることもあった(また先発投手陣が打ち込まれる事が多く、勝ち試合や競った試合での登板機会がなかなか巡ってこなかったことが要因か)。加藤はこの年35ホールドポイントをマーク、阪神の藤川と共に最優秀中継ぎ投手を受賞している。

木塚・川村の調子が今ひとつだったこともあり、シーズン中は「4人もいたら1人ぐらいは打たれる」と揶揄された。

上記のように左打者には不利になるケースもあったことや、川村・加藤の登板過多を避けることから、両名を先発に転向させることを前提にクアトロKはわずか1年限りで解散となった。この件については、2006年10月16日放送のフジテレビ系列「すぽると!」に斉藤明夫新投手コーチがゲスト出演した際、クアトロKの解散を宣言した。

2007年の開幕直後は、川村・加藤両名は先発ローテーションに入っていた。しかし、川村には先発として長いイニングを投げるスタミナは残っておらず、5月上旬に中継ぎに復帰。加藤は先発ではことごとく打ち込まれ6月に二軍に降格。再昇格後は川村と同様中継ぎに復帰した。結果的にクアトロKが再結成されることとなった。6月24日の対オリックス戦では、クアトロKのメンバーであった4人全員が登板し、勝利に貢献した。この年は球団史上最多の76試合に登板した木塚の活躍が目立った。オフにクルーンが巨人に移籍し、クアトロKは完全に解散となった。その後、2008年限りで川村が現役を引退し、加藤も2009年シーズンオフに日本ハムにトレードで移籍。2010年には木塚が引退し、横浜からクアトロKのメンバーが全員去ることとなった。最後に残った加藤も2011年限りで引退、米球界でプレーを続けていたクルーンも2012年に引退を表明し、メンバー全員が現役を退いた。

成績

2005年

クルーン加入、日本最速(当時)の161km/hを記録。4人のほかにマイク・ホルツが左のワンポイントリリーフとして活躍。

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/木塚58000065020.54551.2444113350114142.441.06
/川村56000066030.50070.0626170630021182.311.13
/加藤4640004609.40090.18913175851034333.291.17
/クルーン55000032266.60053.1422230611018162.701.22
/合計215400019192665.500265.1237256882442187812.751.15
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2006年

この年からクアトロKの呼び名が定着。加藤が最優秀中継ぎ投手を獲得、クルーンはセーブ数リーグ2位。

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/木塚59000031018.75061.0634263460025243.541.46
/川村57000044322.50056.0593222341025243.861.45
/加藤65000087127.53376.1648242721024212.481.15
/クルーン47000025274.28648.038481704016163.000.96
/合計228000017173171.500241.1224198082226090863.211.26
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2007年

川村・加藤が先発に回りいったん解散。だがシーズン後半はふたたび4人ともリリーフに。木塚が76試合で球団最多登板数を更新。

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/木塚76000031029.75035.1321105250013123.061.19
/川村3550003107.75055.0553232531022223.601.42
/加藤52900084111.66782.08810293870043414.501.43
/クルーン43000031310.75042.1353152655014132.761.18
/合計206140001773247.708214.22101777122306092883.691.34
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クアトロS

2010年には横浜救援陣の江尻慎太郎(Shintaro)、牛田成樹(Shigeki)、山口俊(Shun)、真田裕貴(Sanada)の4人が「クアトロS」と呼ばれた[2]

2010年

4人のほかに加藤康介高宮和也篠原貴行が左のワンポイントとして登板するも全員不調に終わった。

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/江尻54000012013.33353.1574166331032254.221.37
/真田62000038016.27369.27210217413033303.881.33
/牛田41000021023.66752.02842816930971.211.08
/山口54000028302.20068.2576241783020202.621.18
/合計21100008193054.296243.221424891522110094823.041.25
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2011年

ビハインド要員となった真田に代わり藤江均、左のワンポイントとして大原慎司と篠原貴行が活躍。2011年オフに真田が退団。翌2012年は江尻と牛田が不振に陥り、数試合のみの登板に終わる。2013年に山口以外は退団し、クアトロSは完全に解散となった。

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/江尻65000022022.50056.2476113382014132.061.02
/真田53000020031.00049.066484180025234.221.51
/牛田45000021019.66746.1377160611021193.691.14
/山口59000026341.25061.1465194483020172.491.06
/合計2220000893445.471213.11962254111656080723.041.17
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脚注

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