クストーツァ
イタリアのフラツィオーネ
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名称
地理
歴史
19世紀、イタリア統一運動(イタリア独立戦争)の過程でクストーツァは2回にわたって重要な戦闘の舞台となっている。
1848年の戦い
1848年、ロンバルド=ヴェネト王国各地でオーストリア帝国による支配に対する反乱が勃発すると(1848年革命、ミラノの5日間を参照)、これに乗じてサルデーニャ王カルロ・アルベルトはオーストリアに宣戦を布告、ロンバルドに攻め込んだ(第一次イタリア独立戦争)。
ヨーゼフ・ラデツキー将軍率いるオーストリア軍は体制を立て直し、1848年7月23日から7月25日にかけて、カルロ・アルベルト率いるサルデーニャ王国軍とこの地で衝突。サルデーニャ軍は敗北した (Battle of Custoza (1848)) 。その後、北イタリアの反乱もオーストリア軍によって鎮圧された。
1866年の戦い
1866年、オーストリアとプロイセンの普墺戦争が勃発すると、イタリア王国(1861年成立)はヴェネト地方を併合すべくオーストリアと戦端を開いた(第三次イタリア独立戦争)。1866年6月24日、ラ・マルモラ将軍 (Alfonso Ferrero La Marmora) 率いるイタリア王国軍はオーストリア軍とこの地で衝突したが、敗北を喫している (Battle of Custoza (1866)) 。
この時、ジュゼッペ・ガリバルディはアルプス猟兵隊を率いてトレンティーノ地方に攻め入り、ベッツェッカの戦いに勝利してトレントを目前にしていたが、クストーツァの敗北を受けたイタリア王国軍から後退を命じられて、「Obbedisco(従う)」と一言だけの電報を返している。
社会
経済・産業
ここの地名は、DOCワイン、ビアンコ・ディ・クストーツァ (it:Bianco di Custoza) でも有名である。
文化
クストーツァを舞台とした作品
エドモンド・デ・アミーチスの小説『クオーレ』(1886年)の中の一挿話「サルデーニャの少年鼓手」(Il tamburino sardo)は、1848年のクストーツァの戦いを舞台とした物語である。クストーツァには、「サルデーニャの少年鼓手の家」や記念物がある。