クマノヴォ
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| クマノヴォ Куманово Kumanova / Kumanovë | |||||
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| 位置 | |||||
クマノヴォの位置 | |||||
| 座標 : 北緯42度05分00秒 東経21度40分00秒 / 北緯42.08333度 東経21.66667度 | |||||
| 行政 | |||||
| 国 | |||||
| 市 | クマノヴォ | ||||
| 人口 | |||||
| 人口 | (2002年現在) | ||||
| 市域 | 105,484人 | ||||
| 都市圏 | 122,173人 | ||||
| その他 | |||||
| 等時帯 | 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1) | ||||
| 夏時間 | 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2) | ||||
| 郵便番号 | 1300 | ||||
| 公式ウェブサイト : http://www.kumanovo.gov.mk | |||||
クマノヴォ(マケドニア語:Куманово / Kumanovo、アルバニア語:Kumanova / Kumanovë[1])は北マケドニア共和国の都市で、同国ではスコピエ、ビトラに次いで3番目の人口をもつ。また、自治体としてのクマノヴォは北マケドニア共和国の基礎自治体で最も人口が多い。北マケドニア共和国北東部に位置し、首都のスコピエからも比較的近い。
地理
クマノヴォは北マケドニア共和国北西部、首都のスコピエの近くに位置している。その位置はおよそ北緯42度05分、東経21度40分である。クマノヴォの標高は340メートルであり、西にはスコプスカ・ツルナ・ゴーラ山のカラダー(Karadag)、南にはグラディシタンスカ・プラニナ山脈、東にはマンゴヴィツァ山、ゲルマン山に囲まれている。クマノヴォは温帯に属し、スコピエ空港が最寄である。
住民
歴史
前史
この地域には複数の古代の住居跡が残されており、青銅器時代のKostoperska karpaはペリンツェ(Pelince)近く、新石器時代のMlado Nagorichane、鉄器時代のGrobljeはヴォイニク(Vojnik)にある。また古代ローマのネクロポリス・ロパテのドレズガ、古代ローマの町Vicianusはクレチョフツェ(Klechovce)にある。
近世
町が初めて文献に現われるのは1519年で、トルコのイスタンブールに保管されたオスマン帝国の記録に残されている。クマノヴォに関する最も包括的な関連文書はエヴリヤ・チェレビ(Evliya Çelebi)によって1660年/1661年に記されたものである。それによると:
クマノヴォは16世紀末か17世紀初頭に市となり、地域の中心都市となった。その後、1689年のカルポシュ蜂起(Karposh Uprising)などによって停滞期を迎える。
カルポシュ(Karpoš)はクマノヴォに近いヴォイニク(Vojnik)という村の出身の反乱指導者であった。はじめ、カルポシュはオスマン帝国の重臣であったが、帝国が弱体化し、また新たな税制に対する不満が高まった1689年に、カルポシュはオスマン帝国に対する反乱へと身を投じた。この間、オーストリアがオスマン帝国を攻撃していた。カルポシュは反乱者の手におち、蜂起はさらに拡大していった。反乱軍はクラトヴォ(Kratovo)、クリヴァ・パランカ(Kriva Palanka)、クマノヴォ、カチャニク(Kačanik)などを解放していった。その後、オーストリアの皇帝レオポルト1世と共に、反乱軍はスコピエ、シュティプ(Štip)の解放を目指した。
その後バルカンの軍事情勢は変化し、反乱軍は不利な立場に追いやられた。クリミア・ハン国に属するタタール人によって補強されたオスマン帝国の反攻の前にオーストリア軍は撤退を余儀なくされた。反乱軍の要塞があるクリヴァ・パランカでの戦いの後、オスマン軍はクマノヴォを攻撃し、新たに築いた要塞を攻め落とした。カルポシュは逮捕され、スコピエに移送され、ヴァルダル川にかかるスコピエの石橋(Stone Bridge)にて死刑に処された。
1912年10月、第一次バルカン戦争のとき、ラドミル・プトニク率いるセルビア王国の軍がクマノヴォ北部でオスマン帝国に対して勝利を収めた。2日に及ぶクマノヴォの戦い(Battle of Kumanovo)によって、オスマン帝国のマケドニア北部の支配は終わり、該当地域はセルビア領、後にユーゴスラビア王国領となった[3]。
近現代
第二次世界大戦において、マケドニア北部の共産パルチザンはこのクマノヴォとプリレプで1941年10月11日に活動を開始。第二次世界大戦後、社会主義体制の下で急速な工業化・現代化が進んだ。
経済
交通
文化
クマノヴォ地域には複数の重要な建造物がある。スタロ・ナゴリチャネの聖ゲオルゲ聖堂(Church of St. George)、カルピノ(Karpino)の修道院、マテイツェ(Matejce)の生神女就寝聖堂、ムラド・ナゴリチャネ(Mlado Nagorichane)の聖ペトカ聖堂、1902年建造の至聖三者聖堂、1751年建造のエスキ・モスクなどがある。
町で最も古く、また最大の聖堂は聖ニコライ聖堂である。聖ニコライ聖堂には13世紀のイコンが収められている。聖堂はブルガリア人のルネサンス建築家・アンドレイ・ダミャノフ(Andrey Damyanov)の代表的な建築の一つである。
クマノヴォには複数の古代の遺跡もある。最も重要なものは町の近くのペリンツェ(Pelince)村にある青銅器時代のグラディシテ遺跡(Gradishte)である。ムラド・ナゴリチャネ村の近くには新石器時代の遺跡がある。ロパテ(Lopate)村の近くのドレズガ遺跡(Drezga)はローマ時代のネクロポリスである。
また、4000年前の巨石天文観測施設コキノ(Kokino)はクマノヴォから北東に30キロメートルにあり、2001年に発見された。この遺跡は、NASAによって世界で4番目に古い古代天文観測施設とされた。
北マケドニア共和国で最も古い民謡合唱団KUD "Pance Pesev"はクマノヴォにある。合唱団は創設から80年を超えた。同合唱団はクマノヴォ、そして北マケドニア共和国を代表して、セルビア、モンテネグロ、ブルガリア、トルコ、クロアチア、ルーマニア、ハンガリー、ポーランド、フランスなどの民俗音楽祭に参加した。
クマノヴォには図書館、文化センター、博物館、国立劇場がある。クマノヴォや周囲の村では毎年、複数の展覧会などが行われている。クマノヴォはまた世界中からバンドがあつまるジャズ・フェスティバルを行っている。2002年、北マケドニアのバンドFoltinとDragan Dautovski Quartet、そしてクロアチア、ハンガリー、オランダ、スロベニア、セルビア、モンテネグロのバンドもフェスティバルに参加した。2005年にはオランダ、ノルウェーからも参加している。
毎年、クマノヴォでは「コメディーの日」が催される。コメディーの日は北マケドニア文化省の出資によるフェスティバルで、北マケドニア各地や周囲のブルガリア、セルビアの劇場のコメディアンが集まる。
クマノヴォ出身の人物
- ナセル・アリイ - プロサッカー選手
- ストレ・ディミトリエフスキ - プロサッカー選手