ケタミン

立体異性群 From Wikipedia, the free encyclopedia

ケタミン英語: Ketamine)は、アリルシクロヘキシルアミン系の解離性麻酔薬である。日本では麻酔薬ケタラール第一三共)として静脈注射剤筋肉注射剤がある。医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(薬機法)における処方箋医薬品劇薬。解離性麻酔薬であるため他の一般的な麻酔薬と比較し、低用量帯では呼吸を抑制しない大きな利点がある(呼吸停止しにくい)。ケタミンは世界保健機関(WHO)による必須医薬品の一覧に加えられている。フェンサイクリジン(PCP)の代用物として合成された[3]筋肉注射が可能なので、動物の麻酔にもよく使われる。

概要 臨床データ, AHFS/ Drugs.com ...
ケタミン
臨床データ
AHFS/
Drugs.com
患者向け情報(英語)
Consumer Drug Information
医療品規制
胎児危険度分類
    嗜癖傾向 低・穏やか[1]
    投与経路 経静脈、筋肉内、吸引、経口、局所
    ATCコード
    法的地位
    法的地位
    薬物動態データ
    代謝 主にCYP3A4による肝臓[2]
    作用発現 経静脈・筋肉内:5分以内、経口:30分以内
    消失半減期 2.5-3時間
    作用持続時間 1時間以内
    排泄 腎臓(>90%)、尿
    識別子
    CAS登録番号
    PubChem
    CID
    IUPHAR/BPS
    DrugBank
    ChemSpider
    UNII
    KEGG
    ChEBI
    ChEMBL
    CompTox
    Dashboard

    (EPA)
    ECHA InfoCard 100.027.095 ウィキデータを編集
    化学的および物理的データ
    化学式 C13H16ClNO
    分子量 237.725 g/mol g·mol−1
    3D model
    (JSmol)
    キラリティー ラセミ混合物
    融点 262 °C (504 °F)
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    乱用のため日本では2007年より麻薬及び向精神薬取締法の麻薬に指定されている。2012年の世界保健機関薬物専門委員会は、深刻な乱用がある国でも、他の麻酔薬より使用しやすく安全なため、ヒトや動物の麻酔のために容易に利用できることを確保すべきであるとしている[4]。そのため、向精神薬に関する条約による規制はない。

    開発

    1962年、アメリカ合衆国の製薬会社パーク・デービス社によって、同社が開発した麻酔薬のフェンサイクリジン (PCP) の代用物として合成された[3][5]。その後、1963年にアメリカでPCPが麻酔薬として承認されたが、麻酔からの覚醒時に妄想などの副作用が起こるため2年後には人間に使用されなくなり、1969年にその副作用がほとんどないケタミンが「ケタラール」の商品名で承認された[3]。PCPやケタミンのような麻酔薬は、魂が肉体から遊離された感覚を起こす解離性麻酔薬に分類され、その特徴は視床皮質系と大脳辺縁系との機能的解離による睡眠状態と麻酔状態を伴わない深い鎮痛をもたらす[6]

    他の多くの麻酔薬と異なり呼吸器や心臓血管を抑制しない麻酔薬であり、子供に対する麻酔など循環器系の機能低下を防ぐのに適している[3]。(対比する参考記事:プロポフォールによる死亡事故)

    化学特性

    常温常圧においては固体で、白い粉末状の物質。融点は314.74度で、融解性である。ギ酸に非常に溶けやすい性質を持っている[7]。水、エタノールには溶けやすいが、無水酢酸ジエチルエーテルには殆ど溶けない。注射薬は塩酸塩水溶液でpHは3.5~5.5。(S)と(R)の2つの光学異性体が存在し、通常はラセミ体として使用されるが、それぞれの異性体には薬理学的な差異がある(後述)。

    代謝・排泄

    半減期はおよそ3時間。持続投与された場合、蓄積はされにくい。酸化還元酵素であるCYP2B6とCYP3A4により脱メチル化され、ノルケタミンとなる。ノルケタミンにも麻酔作用がある(ケタミンのおよそ1/3~1/5)。ノルケタミンはさらにヒドロキシノルケタミンとデヒドロノルケタミンなどに代謝される[8][7]

    ケタミンのクリアランスは高く、主に腎から排泄される。ケタミンとして2%、ノルケタミンとして2%、デヒドロノルケタミンとして16%、その他はヒドロキシケタミンとヒドロキシノルケタミンのグルクロン酸抱合体として排泄される[9]

    小児においては排泄までの時間は成人の半分程度と報告されている[10]が、生後3ヶ月未満ではクリアランスは低下している[11]

    薬物動態

    経静脈投与では速やかに最高血中濃度に達し、筋肉注射でも5-30分で最高血中濃度に到達する。経口投与では肝初回通過効果の影響が大きく生体内利用率バイオアベイラビリティ)は20%程度、経鼻投与では45-50%、経直腸投与では25-30%である[12][13]

    生後12ヶ月未満では分布容積が大きいため、導入に必要な体重あたりの量は成人に比して多くなる[11]

    作用機序

    ケタミンの薬理作用には複数の機序が関わっていると考えられている。

    NMDA受容体

    ケタミンは開口チャネルおよびアロステリック部位の両方に結合し、NMDA型グルタミン酸受容体を阻害すると考えられている[5][14]。NMDA受容体はナトリウムカリウムカルシウムなどの陽イオンが細胞外から流入することで神経細胞が興奮するが、ケタミンは中枢神経系のシナプス後膜にあるNMDA受容体に選択的に働き、カルシウムの通り道となる孔に結合し、受容体の作用を非競合的に阻害することで、興奮性神経伝達をブロックする[8]

    (S)-ケタミンと(R)-ケタミンの立体異性体とでは、NMDA受容体への結合親和性が異なっており、それぞれKi=3,200nMとKi=1,100nMである[15]ドーパミンD2(High)受容体への結合親和性は、Ki=55nMである[16]

    HCNチャネル

    ケタミンは過分極活性化環状ヌクレオチド依存性チャネル(Hyperpolarization-activated cyclic nucleotide–gated channels: HCNチャネル)の4つのサブユニットHCN1~4のうちHCN1, HCN2チャネルに対して特異的サブユニット抑制効果を示す。さらにHCNチャネルノックアウトマウスにおいてケタミンの麻酔作用が著しく低下したことが報告され、HCNチャネルがケタミンの麻酔作用に関わっていることが示唆されている[17]。このチャネル抑制効果も(S)-ケタミンの方が強力である。

    アセチルコリン受容体

    ケタミンはニコチン性アセチルコリン受容体(nicotinic acetylcholine receptor: nACh)、ムスカリン性アセチルコリン受容体(muscarinic acetylcholine receptor: mACh)の両方に作用する。nACh受容体はα1-10, β1-4の異なる組み合わせから5つのサブユニットに分かれており、濃度依存性にアセチルコリンで刺激された状態のα4β4nACh受容体の興奮を抑える[18]。ほかのサブユニットに関してもケタミンは刺激された状態のnAChの興奮を抑えることが分かっている。ただしこれらはヒトでの研究ではないことに留意が必要である。

    モノアミントランスポーター

    ケタミンはNMDA受容体に拮抗するだけでなく、モノアミントランスポーターを阻害する[19]。このためカテコールアミン遊離作用があり、交感神経を刺激して気管支拡張作用、頻脈、昇圧作用を示す。

    オピオイド受容体

    オピオイド受容体の遺伝子を組み込んでオピオイド受容体のみを発現させたチャイニーズハムスター卵巣細胞を用いたin vitro実験では、ケタミンはμ, κ, δ受容体をそれぞれ抑制することが示された[20]。さらにNMDA受容体を介してオピオイド受容体が脱感作されるまでの時間を延長させ、さらには再感作させることでオピオイド鎮痛耐性を抑制することがわかっている[21]。ケタミンの鎮痛作用はオピオイド受容体拮抗薬であるナロキソンで打ち消すことはできなかったこと[22]から、オピオイド受容体作動薬ではなく拮抗薬と考えられる。(S)-ケタミンのオピオイド受容体への親和性は(R)-ケタミンより高く[20]、(S)-ケタミンの方がより強力な鎮痛効果を示すという報告もある[23]

    またケタミンおよびその代謝物(ノルケタミン、デヒドロノルケタミン、ヒドロキシノルケタミン)はオピオイド受容体の陽性アロステリック調節活性を持つことが分かっている[24]

    ナトリウムチャネル

    局所麻酔薬はイオンの通り道となるチャネルポアに結合することで、濃度依存性にナトリウムチャネルを抑制するが、ケタミンも濃度依存性にナトリウムチャネル信号を持続的に遮断するという報告が散見される[25]。ケタミンの局所麻酔効果を示唆するものとして、眼科手術において局所麻酔薬とケタミンを併用することで、眼球眼瞼の不動化、鎮痛効果発現までの時間が短縮し、手術開始が早まり、さらに鎮痛効果の延長がみられたという報告[26]や、気管挿管を伴う全身麻酔を受ける患者において、術前のケタミン含嗽薬による局所投与によって、術後咽頭痛の発生頻度を低下させたという報告がある[27][28]。(S)-ケタミンは(R)-ケタミンよりも低い濃度でナトリウムチャネルを遮断することがわかっている[29]

    電位依存性L型カルシウムチャネル

    心筋細胞、平滑筋細胞、神経細胞などのカルシウムイオン流入経路としてカルシウムイオンシグナルと細胞の機能制御に重要な役割を担っている電位依存性L型カルシウムチャネル(L-type voltage-dependent calcium channel: VDCC)をケタミンは拮抗する作用を持つ。豚の気管平滑筋細胞においてVDCCへの拮抗作用を示し、気管拡張作用を持つとされる[30]。またウサギの門脈平滑筋細胞でも同様の作用が確認され、血管平滑筋弛緩作用も示されている[31]

    σ受容体

    ハロペリドールなどの抗精神病薬が結合する、統合失調症などの精神疾患の病態において役割を果たすとされるσ受容体に対して、ケタミンはその2つのサブタイプの両方に作用し活性化させるといわれる[32]光学異性体の面からは、(R)-ケタミンの方が(S)-ケタミンよりも強力にσ1受容体に結合する。このことから(R)-ケタミンが抗うつ作用に関与している可能性が示唆されている[33]

    GABA受容体

    動物における電気生理学的実験では、高用量のケタミンがγ-アミノ酪酸(γ-aminobutyric acid: GABA)作動性抑制性神経伝達を賦活化することがわかっているが、臨床使用量では認められておらず、GABA受容体とケタミンの麻酔作用の関連は薄いとされる[34]

    抗炎症作用

    炎症性サイトカインであるNF-κB, TNF-α, IL-6を抑制することが報告されており[35][36]、抗炎症作用を持つとされている。特にIL-6はその値の上昇と術後有害事象との関連があり[37]、手術前に0.15-0.25mg/kg程度の低用量のケタミンを投与することで炎症性サイトカインの産生を抑制させるが[38]、炎症反応が生じていない場合には炎症性サイトカインのバランスへの影響はないとされている[39]

    抗腫瘍作用

    グルタミン酸は癌細胞にも存在することが分かっており、NMDA受容体もグルタミン酸受容体であることから、ケタミンも含めたNMDA受容体拮抗薬には抗腫瘍効果が報告されている[40]。ケタミンは用量依存性にヒトの胃癌細胞の遊走を抑制し、アポトーシスを引き起こしたという報告もある[41]

    その他

    催眠状態を誘発して鎮痛や鎮静が得られる他、健忘を起こすことがある[42]

    また、神経保護作用が報告されている[43]

    代謝産物の作用機序

    ケタミンの代謝産物であるノルケタミンもケタミンと同様にNMDA受容体の非競合的阻害薬として作用するほか、μオピオイド受容体およびκオピオイド受容体に結合する[44]。NMDA受容体拮抗作用はケタミンと比較し弱いと考えられるが、α7ニコチン性アセチルコリン受容体への拮抗作用は強力であり[45]、この特性はノルケタミンの代謝産物であるデヒドロノルケタミンとヒドロキシノルケタミンにおいても保持されている[46][47]

    依存性

    連用により耐性が形成されるが[4]離脱症状を起こすという証拠はない[4]というWHOの報告があるものの、使用中止後に不穏、振戦、発汗、動悸などの離脱症状が出現したという報告も存在する[48]

    精神作用

    医薬品インタビューフォームには、15%前後の者は麻酔からの覚醒時に「夢のような状態・幻覚・興奮・錯乱状態」などの症状が現れると記載されている。通常は数時間で回復するが、24時間以内に再発することもある(フラッシュバック[49]

    幻覚剤として知られ乱用が問題となった。ヒトがこの粉末を鼻孔吸入、もしくは経口摂取、静脈注射すると臨死体験などの幻覚作用があるが、悪夢となる場合もある。一時期は、「K」や「スペシャルK」などという隠語で呼ばれ、トランス系の音楽を流すクラブで多く流通したこともある。だが、ケタミンはもともと麻酔薬であり、LSDとは逆に精神を鎮静させるので、テンションを上げたい乱用者の間では不人気であった。

    周囲の環境との結びつきを喪失させるような体験を起こし、肉体から離れ魂だけとなり浮遊する感覚、宇宙空間をさまよう、子供時代の記憶の想起などであり、その体験は強烈で現実的なため実際に自分が肉体を離れたと思い続ける傾向にある[3][6]

    平均20日/月以上使用する乱用者では抑うつ状態が増加し、記憶力(短期記憶と視覚的な記憶)低下が見られたが、平均3.25回/月程度の低頻度で使用していた者や過去使用していた者では対照群と差がなかった。一方で、頻度に関わらず使用歴がある者は妄想症状のスコアが対照群よりも高かった[50]

    医療用途

    麻酔・鎮痛

    全身麻酔の導入量は静注で1-2mg/kg、筋注で5-10mg/kgである[49][8]

    一部の新生児専門家は、脳発育に対する潜在的な有害性がある可能性を懸念しており、ヒト新生児に対する麻酔薬としてのケタミン使用を推奨していない。発育の初期段階における神経変性の変化は、ケタミンと同じ作用機序のNMDA拮抗剤で示されている[51]

    多くの麻酔薬が血圧降下作用をもつのに対し、ケタミンでは血圧上昇を伴う。そのため、プロポフォールフェンタニルなどの降圧性麻酔薬と併用することも多い。ただしこの血圧上昇作用はカテコールアミン遊離(前述)による2次的なものであり、本来は陰性変力作用を持つため、外傷患者など既に交感神経緊張が高い患者への投与は慎重に行うべきとされる[52]

    プロポフォール、ケタミン、フェンタニルを併用する麻酔は、使用する薬剤の頭文字を取ってPKF麻酔と呼ばれる。皮膚表面の手術に使用されることが多い。PKFのフェンタニルをレミフェンタニルに置き換えて行う全静脈麻酔はPRKと呼ばれる。

    ケタミンは血圧や呼吸を抑制せず、筋肉注射が可能であることから、静脈注射をしにくい動物用としても重宝されてきた。また、この特性から麻酔銃の麻酔としても用いられてきた。

    中枢感作症候群(小さな痛み刺激が長期間継続すると、徐々により大きな痛みとして知覚されるようになる症状。ワインドアップ現象ともいう)を抑制するため、神経因性疼痛などの慢性疼痛の治療における効果が見直されている。

    他の解離性麻酔薬と同じように大脳皮質などを抑制し、大脳辺縁系に選択的作用を示すため、その他の麻酔薬のように呼吸を抑制しないが、過量投与や静注速度が早すぎる場合に呼吸抑制が起こり得る。動物実験では、中枢性呼吸麻痺によって死亡することが分かっている[49]

    内臓などの体内深部よりも、浅部における麻酔効果が高く、麻酔から覚醒した後も鎮痛作用は持続する。副作用として悪夢を引き起こすことが多いことが知られている他、嘔吐中枢を刺激して嘔吐を誘発する。気道分泌物を増加させる。

    気管支拡張作用のため、気管支喘息を持つ患者にも比較的安全に使用できるが、昇圧作用があり頭蓋内圧の上昇[49]や脳血流量の増加[49]が見られるため、脳血管障害虚血性心疾患、高血圧の患者にはあまり使用されない。しかしながら、脳圧上昇作用については近年疑義が持たれている。脳圧上昇を報告した研究では、自発呼吸下の患者が多数含まれており、高二酸化炭素血症による脳圧上昇をみていた可能性を指摘されており[53]、人工呼吸下の患者を対象とした研究では他の鎮静薬と比較しても脳圧を上昇させないという報告もある[54][55][56]

    ケタミン単独で低用量投与すると、脳波は25-30Hzの高β波、低γ波の高速振動を示す。この特徴的な脳波パターンはガンマバーストと呼ばれ、初回投与から2分後の意識消失に引き続いて起こる[57]。このような速波化の影響によりバイスペクトラルインデックス( bispectral index、BIS)によって算出されるBIS値は鎮静が深くなっているにもかかわらず上昇(すなわち覚醒しているように算出される)するため、ケタミンを使用中の脳波モニタリングは慎重な判断が求められる。

    交感神経系への影響により眼圧を上昇させるため、緑内障患者では使用しにくいとされるが、緑内障において問題となる22mmHg以上の眼圧の上昇を起こしたという報告はなく、臨床的に問題となることはないといわれている[58]

    精神的な副作用や脳圧の上昇はベンゾジアゼピンの併用で少なくなるともいわれる[59]

    抗うつ作用

    日本では麻薬及び向精神薬取締法における麻薬に指定されているため使用に大きな制限があるが、海外ではその限りではない。

    ケタミンの抗うつ作用は、正常な被験者に対し精神病をモデル化する目的でケタミンを用いた研究において急速な気分の改善が見られたことで偶然発見されたもので、これが後のうつ病に対する研究につながった[60]。2012年の時点で利用されていた30種類もの抗うつ薬はどれも6週間後に穏やかな効果を示すだけであったが、ケタミンの急速な抗うつ作用という結果は、抗うつ反応の目標を移動させるものであった[61]。ケタミンは、NMDA受容体を遮断することでグルタミン酸が急増し、AMPA(α-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole-propinate)受容体の活性化が生じる。AMPA受容体の活性化がBDNF(brain derived neurotrophic factor)やmTORC1(mammalian target of rapamycin complex 1)を介したあと、シナプスでの神経再生シグナルの活性化につながる。一方で、シナプス外のNMDA受容体がブロックされるとeEF2(eukaryotic elongation factor 2)の抑制が解除され、BDNFの増加によってAMPA受容体活性化からシナプス形成を促進させる。これらが並行して起こることで抗うつ作用を発揮していると考えられている[62][63]が、他のNMDA受容体遮断薬には抗うつ効果はみられない[64]こと、動物実験において、(S)-ケタミンよりNMDA拮抗作用が劣る(R)-ケタミンの方が抗うつ作用が強力で、効果持続時間も長いという報告がある[65]ことから、NMDA受容体の関与以外の要因も示唆される。またmTORC1は(S)-ケタミンの抗うつ作用には関与するが、(R)-ケタミンには関与しないことが報告されている[66]

    作用機序の節で述べたHCNチャネルも抗うつ作用に関与している可能性が示唆されている。HCN1チャネルノックアウトマウスにおいて抗うつ作用がみられたという報告がある[67]

    2006年のアメリカ国立精神衛生研究所英語版ランダム化比較試験では、治療抵抗性うつに対して効果が見られた。臨床試験により、投与から2時間で効果が現われ、29%が翌日には寛解し、その効果は7-10日間に及ぶなど、速効性があり強力な効果があることが示された[68]。投与1時間で急速に症状が緩和されるが、10-14日後には投与前のような元の症状近くまで戻ってくる[69]

    また、自殺念慮についても投与後1時間以内に低下させ、その効果が1週間にわたり継続したとする研究があるが、長期安全性や実際の自殺リスクの低減に関する研究は不足している[70]。投与6週間後まで追跡し、自殺念慮の現象が維持されていたとする研究がある[71]

    治療抵抗性の双極性うつ病でも、速攻性・持続性がありかつ強力な抗うつ作用が見られている[72]。慢性的な心的外傷後ストレス障害 (PTSD)の抑うつ症状に対して、ケタミンは症状の重症度を速やかに大きく減少させた[73]強迫性障害 (OCD) においても、投与後速やかに抗強迫効果を現して強迫観念を大幅に改善し、それが少なくとも1週間維持された[74]社交不安障害 (SAD) に対しても、2週間に渡って不安が軽減されたとする研究がある[75]

    アメリカではケタミンをうつ病に対して適応外使用で用いることも増えている[76][77]他、イギリスでは、2014年4月に治療抵抗性の双極性うつを含むうつ病に対する試験結果を公表し[78]、2014年5月には専門委員会が専門診療所における難治性うつへのケタミンの使用を承認している[79]

    日本においてはうつ病に対するケタミンは保険適応外であり、日本麻酔科学会は2025年9月時点でうつ病に対する効果は広く認められたものではないことから推奨しないとの立場を取っている[80]

    ケタミンの 単離した異性体の1つである(S)体であるエスケタミン(商品名:スプラバート)が、2019年にアメリカFDAによっで[81]点鼻スプレーとして[82]、また2020年にイギリスで医薬品として重症のうつ病の治療に承認されている(本邦未承認)。

    日本における臨床研究

    杏林大学精神科が2022年3月7日から、「治療抵抗性うつ病におけるケタミン初期治療の実行可能性調査」という研究テーマでうつ病に対するケタミンの臨床研究を開始している[83]。週に2回合回静注用ケタミン塩酸塩(試験薬名:ケタラール)(0.5 mg/kg)を混注した生理食塩水50mLを40分間かけて静脈内投与する方法[83]

    類似薬の開発

    ジョンソン・エンド・ジョンソン社は光学異性体のうち(S)体 (エスケタミン) のみを含有する点鼻薬を開発し、2013年にはアメリカ食品医薬品局(FDA)から治療抵抗性うつ、2016年には自殺念慮を伴う大うつ病性障害に対する「画期的治療薬」の指定を受けた[84]。2019年2月には専門家パネルがFDAに対しエスケタミン点鼻スプレーの承認を勧告した[85]。商品名SPRAVATOとして承認された。治験の際に一部の被験者で鎮静や視覚障害、発話困難、錯乱、麻痺、めまい・失神が見られたことから、投与は医療機関で行い、最低2時間は経過観察するという条件が付された[86]

    日本では、千葉大学がケタミンの(R)体 (アールケタミン)、ヤンセンファーマがエスケタミンを研究している[87]

    アメリカのノーレクス社は、2014年12月に、ケタミン様薬剤GLYX-13について、うつ病患者の約半数で症状を改善し、幻覚の副作用もなかったとする臨床試験結果を発表した[76]。スイスのロシュ社も、グルタミン酸経路を標的とするdecoglurantを開発して臨床試験を行っていたが、第II相まで進めたところで期待する効果が得られないとして開発中止された[88][89]。こうした研究の一方で、精神活性作用が弱いとはいえ(既に特許の切れた)ケタミンより、特許が有効で高額なケタミン様物質を用いることには倫理的な問題があるとも指摘されている[76]

    薬物依存症の治療

    2018年にケタミンの薬物依存症治療への応用について、1997年から2018年までの間に実施された7研究に対するシステマティックレビューが行われた。このレビューでは、アルコールやヘロイン、アヘンを含むオピオイドについて断薬率の向上が認められ、うちアルコールとオピオイドについては1回の投与で最大2年間効果が継続したと報告された[90]。いずれの研究も対象群のサイズやランダム性が十分でなかったり、偽薬との比較が行われていなかったりするなど試験としては必ずしも十分ではないものの、ケタミンの薬物依存症に対する有効性や、その適用についてより広範な研究を行う正当性が示唆されると結論づけている。

    このレビューに含まれた研究のほかにも、ロシアの精神科医エフゲニー・クルピツキーが20年間にわたりケタミンを用いてアルコール依存症の治療を行ってきた結果、111人の被験者のうち66%が少なくとも1年間禁酒を継続できたのに対し、対象群では24%であった[91]などのいくつかの報告がある[92]

    適応

    以下の場合において使用することができる[7][8]

    (1) 全身麻酔および吸入麻酔の導入・補助
    (2) 検査・処置時の鎮痛・鎮静
    (3) 区域麻酔における鎮静

    禁忌

    添付文書上、以下の場合に使用することは禁忌とされる[7][8]

    ①本剤の成分に対し過敏症の既往歴のある患者

    ②脳血管障害、高血圧(収縮期血圧160mmHg以上、拡張期血圧100mmHg以上)、頭蓋内圧亢進および重症の心代償不全の患者 一過性の血圧上昇作用、脳圧亢進作用がある。

    ③痙攣発作の既往歴のある患者 痙攣を誘発することがある。ただし、禁忌としない指針もある[54]

    ④外来患者 麻酔前後の管理が行き届かないため。

    ⑤統合失調症患者[93]

    ⑥緑内障や眼外傷の症例に対して相対禁忌[93]

    ⑦眼圧が上昇するとされるので、緑内障を合併する症例や眼外傷の症例では使用を控えることが望ましい[54]

    副作用

    うつ病に対するケタミン治療による副作用を研究した『ランセット精神医学』のシステマティックレビューがあり、副作用としては頭痛が最多で35%、この他 33%に目眩、28%に解離が見られた[94]

    健常人を被験者とした偽薬対照に使った二重盲検ランダム化比較試験(RCT)において、用量0.5mg/kgの静脈内投与により統合失調症(陽性症状と陰性症状)と同様の行動が発現し、内因性精神病に類似した症状が誘発されることが示された[95]

    光学異性体の面では、(S)-ケタミンの方が有害な精神作用を起こしやすく、R(-)ケタミンではリラックスした気分や幸福感につながりやすいといわれている[96]

    動物麻酔の代替品

    日本では麻酔銃に必須だったが、ケタミンが麻薬及び向精神薬取締法における麻薬に指定されたために、有害鳥獣の駆除を目的とした狩猟に支障を来たしている。代替薬の研究が行われ、以下のような代替品が使用されるようになってきているが、ケタミン以上に便利な麻酔薬は見つかっていない。

    野犬捕獲等、野外で使用されるケタミンの代替薬品の検討のための室内実験において、キシラジン、メデトミジン、ミダゾラムの任意の2種類の組み合わせにより、ケタミンとメデトミジンの混合注射と同等の効果が得られたという報告がある[97]

    アメリカではスケジュールIIIに指定され、獣医師や保護官については麻薬免許無しでも取り扱えるため問題となっていない。

    統合失調症モデル

    PCPやケタミンをヒトに投与すると統合失調症様の症状が出現することがわかっており[98][99]、統合失調症様のモデル動物を作成する際に用いられる[100]

    麻薬として

    • 2023年(令和5年)
    • 2024年(令和6年)、兵庫県警薬物銃器対策課と加古川署、神戸税関は、2024年11月13日に英国からベトナム、中国・マカオを経由して成田空港にケタミンの結晶約493.55グラムを輸入するなどした麻薬取締法違反(営利目的輸入、所持)の疑いで、ベトナム国籍で加古川市に住む無職の男(23)=同法違反罪で起訴=を逮捕した[103][リンク切れ]
    • 2025年(令和7年)
      • 4月、東京税関は41キログラム(末端価格9億200万円相当)のケタミンをドイツから密輸しようとした関税法違反の容疑でフランス国籍の21歳女性を東京地方検察庁に告発した[104][リンク切れ]
      • 5月2日、マレーシアから香港を経由して福岡空港にスーツケース内のサンダルに隠したケタミン570グラムを持ち込んだ疑いでマレーシア国籍の22歳女が逮捕された。逮捕は5月3日付[105]
      • 9月4日、福岡県警と門司税関は、スーツケースに隠して麻薬のケタミン計約42キロをシンガポールから密輸入した被疑事実で、タイ国籍の女性3人を緊急逮捕した。2007年にケタミンが麻薬指定されて以降、国内で最多の押収量[106][リンク切れ]

    脚注

    関連項目

    外部リンク

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