シェレールテン

ドイツ、ニーダーザクセン州ヒルデスハイム郡の町村 From Wikipedia, the free encyclopedia

シェレールテンまたはシェラーテン (ドイツ語: Schellerten) は、ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヒルデスハイム郡の町村(以下、本項では便宜上「町」と記述する)である。この町では、農業が盛んである。

概要 紋章, 地図 (郡の位置) ...
紋章 地図
(郡の位置)
基本情報
連邦州:ニーダーザクセン州
郡:ヒルデスハイム郡
緯度経度:北緯52度11分15秒 東経10度06分05秒
標高:海抜 89 m
面積:80.41 km2
人口:

7,428人(2024年12月31日現在) [1]

人口密度:92 人/km2
郵便番号:31174
市外局番:05123
ナンバープレート:HI, ALF
自治体コード:

03 2 54 029

行政庁舎の住所:Rathausstraße 8
31174 Schellerten
ウェブサイト:www.schellerten.info
首長:ファビアン・フォン・ベルク (Fabian von Berg)
郡内の位置
地図
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地理

位置

シェレールテンは、ヒルデスハイム沃野の周縁部に位置しており、北ドイツ低地の南端部にあたるブラウンシュヴァイク=ヒルデスハイム黄土沃野に含まれるイルセーデ沃野に接している。首邑の数km南には、フォアホルツ丘陵があり、イネルステ山地やさらには中規模山地帯ドイツ語版英語版につながっている。シェレールテン地区の北でディンゲルバー・クルンカウ川とディンクララー・クルンカウ川が合流してブルーフグラーベン川となる。

自治体の構成

自治体シェレールテンは、1974年3月1日に、現在もこの町を構成している12のオルトシャフト(地区)から成立した[2][3]。かっこ内は2025年6月30日現在の人口である[4]

  • アーシュテット (428)
  • ベトマール (616)
  • ディンゲルベ (901)
  • ディクラール (1,078)
  • ファルムゼン (213)
  • ガルミッセン=ガルボルツム (528)
  • ケンメ(イム・ガウ・ファーレン) (448)
  • エーデルム (448)
  • オットベルゲン (1,218)
  • シェレールテン(首邑) (1,642)
  • ヴェントハウゼン (553)
  • ヴェーレ (272)

歴史

シェレールテン地区

シェレールテン周辺では先史時代からすでに定住がなされていた。その証拠が、町の西郊外の建設現場で2018年に行われた考古学調査で発見された鉄器時代の集落とその文物である[5]

シェレールテンは1244年に最初の文献記録が遺されている。この最も古い文献の記述には、ヒルデスハイム司教ドイツ語版英語版コンラートSchelerthe の3フーフェンドイツ語版の土地をヒルデスハイム十字架修道院に譲渡したとある。

シェレールテンは、ヒルデスハイム司教領ドイツ語版英語版の、いわゆる「クライネ・シュティフト」に位置し、1556年福音主義ルター派に転じた。司教領主エルンスト・フォン・バイエルンドイツ語版英語版(1573年-1612年)の下での強力な再カトリック化の試みにもかかわらず、シェレールテンでカトリックの再興はならなかった。その主要な役割を担っていたのは、シェレールテンの牧師ウルリヒ・ゲルラントと、1604年にシェレールテン住民が教会守護権を譲渡したブラウンシュヴァイク公ハインリヒ・ユリウスであった。ハインリヒ・ユリウス公は帝国法(アウクスブルクの和議Cuius regio, eius religio(君主の信仰がその領民の信仰となる))に反して、1610年には武力によってシェレールテンをルター派にとどめようとした。

ゲルラント牧師の時代、1603年にシェレールテンの教会塔ドイツ語版英語版が倒壊した。塔は1615年に再建された。1796年に建設された福音主義ルター派教会の教会堂にはカンツェルアルター(説教壇祭壇が一体化したもの)、ロココ様式のオルガン正面、およびヒルデスハイムの画家ヨーゼフ・グレゴール・ヴィンクが描いた天井画がある。この天井画にはキリストの降誕復活が描かれている。

1850年から1861年までの間に「シェレールテンの共有地の特別分割および耕地整理とそれに伴う畑や牧草地の管理制度の廃止」が実施された。それまで様々な土地領主に従属していた農民共同体から自ら土地を所有する独立した農民の自治組織が形成された。

1873年にアーシュテット=シェレールテン製糖工場 AG が創業した。この会社は1964年まで独自にこの地域のテンサイから砂糖を製造していた。その後この会社はレーテン (ライネ)(現在のラーツェンの市区)の製糖工場と統合された。当初はどちらの工場も製造を続けたが、アーシュテット=シェレールテン製糖工場は1967年に操業を停止した。製糖工場の敷地は約15年間、レーテンの工場で加工するためのテンサイ貯蔵倉庫として利用された。

ディンクラー製糖工場は1882年に創立された。テンサイは1895年からディンクラー製糖工場の軽便鉄道で運搬された。

1974年からシェレールテン地区は、12の地区からなる同名の自治体の首邑となった。

1986年ジャガイモ貯蔵倉庫建設が地元の農業を変えた。19世紀の後期からテンサイと小麦を主な作物として発展したが、ジャガイモ栽培も増加した。

2006年からシェレールテンは、大規模な住宅開発によって西に向かって拡大している。

モッテ・ディンクラーの丘

ディンクラー地区

ディンクラーは、Dinkelere という名前のザクセン公ハインリヒの領土であり、919年に彼が東フランク王に選出された場所として知られている。これはニーダーザクセン州の中でも古くから記録されている集落である[6]。この地名の由来は、ディングが行われた場所であるとも、あるいはスペルトコムギ (ドイツ語: Dinkel) やコムギが栽培されていた場所であるともされる[7]1331年頃、ヒルデスハイム司教がここにフェステス・ハウス(直訳: 頑丈な家、すなわち要塞風の館)を建設したが、1333年にはこの館を取り壊して、堀や土塁を撤去することをヒルデスハイム市に対して誓約している。この館は、おそらく教会の北側にあったと推測されているが、それ以上のことは判っていない[8]

教会の南に、モッテ・ディンクラーの丘がある。これはおそらく、1220年から1390年まで史料によりその存在が確認されている地元の貴族家でヒルデスハイム司教領の元帥職を務めたフォン・ディンクラー家と関連がある。丘の直径は約 42 m、高さは約 4.35 m である[9]

ケンメ地区

ケンメは、コンラート2世王からミンデン司教ジーゲベルトに寄進された Kemnium という名前の所領として1025年に初めて記録されている[10]1557年にプロテスタントの教義が持ち込まれたが、最終的にこの村落が福音主義に転じたのは1653年になってからであった。1810年にこの村落には47戸316人が住んでいた。1965年にケンメはコンテスト「我らの村は美しくなる」で1等を獲得した。1974年にシェレールテンに合併した。2009年6月30日の人口は476人であった。

ヴァントハウゼン地区

ヴァントハウゼンは1206年Winethusen として初めて文献に記録されている。この村は、現在の連邦道6号線にあたる交易路ヒルデスハイム - ゴスラー街道沿いに位置していたため、何度も略奪や破壊にあった[11]宗教改革1556年にヴェントハウゼンに波及した。1596年に試みられた再カトリック化は、村の土地の所有者ほぼすべてが再カトリック化に抵抗したため、成功しなかった。

ヴェーレ地区

ヴェーレは、1178年Walete として初めて文献に記録され、その後の文献では1201年Welethe1401年Welede と表記されている[12]。貴族のフォン・マイナーゼン家は、1220年頃に Wolede iuxta Voreholte の1フーフェの土地をヒルデスハイム司教の元帥コンラート・フォン・エンメルケにレーエンとして与えた[13]1593年から1616年にかけて帝国審判所ドイツ語版英語版で行われた裁判の記録によれば、ヴェーレには城砦があった[14]。この村は、宗教改革が行われたものの、1643年にはほとんどの住民が再びカトリックに復した。ヴェーレの人口は、1589年には389人であったが、1810年には49戸333人になっていた。第二次世界大戦後に361人から680人にまで増加したが、その後減少に転じた。この村は1974年にシェレールテンに合併した。2009年6月30日の人口は、シェレールテンではファルムゼン地区に次いで2番目に少ない285人であった。

ガルミッセン=ガルボルツム地区

ガルミッセンは、1053年ハインリヒ3世がヒルデスハイム司教アツェリンにこの土地を寄進した際に初めて文献に記録されている。この文献では Germaredessun と表記されており、村の名前はその後 Garmsen と短縮された[15]。貴族のマイナーゼン家は、Germardissem に所領を有していた。彼らは、1280年頃に2フーフェンの土地と2つの農場をレーエンとしてヨハネス・フォン・ガルミッセンに、4フーフェンの土地をレーエンとしてヘルマン・ザルトールとその妻に与えた[16]。村の紋章は、地元の騎士であるガルミッセン家にちなんだものである。この騎士家は1230年に初めて記録され、1814年まで騎士領を有していた。ガルミッセンの城は、後の領主館の西側、現在のグート公園の敷地にあり、ブルーフグラーベン川に囲まれていた。三十年戦争1626年に破壊され、その後現在の領主館が機能を受け継いだ[17]。領主館は大きな農場施設と楼門を有する木組み建築である。1815年にレーネ出身のアントン・シュリューターがこの屋敷を引き継いだが、この家族は1984年にゼバスティアン・リープル=バウアーにこれを売却した[18]。この集落にはさらに15世紀にはすでに存在していた風車が遺されている。聖ルカス教会は1489年に建設され、その後改築された。

ガルボルツムもハインリヒ3世の文書に Süd-Baldigehusun として記述されている。Baldigehusun から時代に伴い Bolzum へと変化したと考えられるが、それぞれの付加部分 Süd- や、後に追加された Gar-/Ger- については、これまでほとんど研究されていない。1170年から1190年まで Ascolfus von Garboldessen という人物が存在したことが判っている。1207年オットー4世はマリエンヴェルダー修道院に、ガルボルツムの1フーフェの土地を寄進した[19]。貴族のマイナーゼン家は Gerboldissem に所領を有していた。彼らはそのうちの2フーフェンの土地を1220年頃にレーエンとしてヨハネス・フォン・ガルミッセンに与え、1340年頃にはフォン・ザルデルン家に5フーフェンの土地をレーエンとして与えた[20]。ガルボルツムは、16世紀半ばには,すでに長らく荒廃した廃村であると記録されており、その頃に再び定住が始まったと考えられている。

行政

議会

シェレールテンの町議会は20議席からなる[21]。議員は5年ごとに直接選挙で選出される。これらの議員の他に専任町長が町議会で投票権を有している[22]

首長

シェレールテンの専任町長は、ファビアン・フォン・ベルク (CDU) である。彼は2021年9月12日の選挙で 63.5 % の支持票を獲得してSPDの対立候補に勝利して町長に選出された[23]

地区議会・地区長

町内の各地区には地区議会と地区長が存在する[24][25]

紋章

図柄: 金色で放射状に12分割。中央に赤い小楯。その中に銀色で縁取られた12の歯がある黒い歯車。これに被せて束ねられた3本の金の穂[26]

町の旗は、赤-金で、そこに町の紋章が描かれている[26]

姉妹自治体

文化と見どころ

シェレールテンの福音主義ルター派教会

シェレールテン地区

シェレールテンの福音主義ルター派教会は、1766年から1771年に建設されたが、この教会のドイツ語版英語版はこれよりもかなり古い。見どころは、バロックの画家であるヨーゼフ・グレゴール・ヴィンク(1710-1781)の天井画と、1769年にヒルデスハイムの芸術家ヨハン・カスパー・モーアによってロココ様式で創られたカンツェルアルター(説教壇祭壇が一体化したもの)である。オルガンの前面部も彼によって創られた。オルガン本体は、1769年にヒルデスハイムのオルガン製作者ヨハン・コンラート・ミュラーによって完成され、1956/57年および1988/89年に改修がなされた。教会に面した墓地には、19世紀から20世紀の墓石や記念碑が建っている。

ディンゲルベの聖ミヒャエリス教会

ディンゲルベ地区

この地区の北東部に、中世に「エルプシェンケンホーフ」が設けられた。これは1204年から1589年までヒルデスハイム司教からフォン・クラム家へ与えられたレーエンであった。この城と農場は、世襲給仕長 (ドイツ語: Erbschenken) という高位の役職と結びついていた[28]。その後継者となったフォン・フェルトハイム家は、1764年にこの所領をヒルデスハイム聖堂参事会に売却した。聖堂参事会の世俗化後、その所領は2つの農業経営者に分割された。公園には、中世盛期の塔を持った城があった丘とそれに付随した水車の遺構が遺されている。元々は、直径 50 m、幅約 12 m の濠を掘って、生じた土砂を盛り上げて、直径 27 m、高さ 3 m の丘を造ったのであった。地磁気調査によって丘の上の平地におよそ 5×6 m の構造物が確認され、塔の土台である可能性が示唆された[29]。それは2階または1階建ての堂々とした建物で、上層階は木組み建築であったと考えられる。

カトリックの聖ミヒャエル教会は1786年に建造された漆喰塗りのホール建築である。塔はそれよりもかなり古く、15世紀に建設された可能性がある。この教会は1899年にネオロマネスク様式内陣アプスをもつ袖廊が増築され、かなり広くなった[30]。オルガンは1904年に造られた。約200席以上のこの教会は、1970年代に大規模な改築が行われ、特に1973/74年には現在の新しい窓が取り付けられた。身廊では、1410年から1450年に制作され、ヒルデスハイム聖堂博物館に展示されているピエタ像の複製が見応えがある。

ディンクラー地区

ディンクラー地区のカトリック聖シュテファヌス教会も見応えがある。筒型ヴォールトを持つ石造漆喰塗りのこの教会は、バロック様式で建設され、約300席を備えた、ディンクラー地区の村落規模に比べかなり大きな教会である。この教会は1742年に完成した。バロック様式の調度では大きな本祭壇が傑出している。この教会には、両面にキリストの磔刑と聖母マリアが彫刻された1819年の墓石もある。これは元々ディンクラー地区とケンメ地区との間に建っていた。この教会は2014年にオットベルゲンに本部を置く聖ニコラウス教区に編入された。

ケンメの聖ゲオルクス教会

ケンメ地区

ケンメの福音主義=ルター派聖ゲオルクス教会は、切石造りの保存状態が良い塔を有している。その入口上には1574年の年号が記されているが、塔自体はこれよりもかなり古い。その窓はかなり狭く、かつては狭間であった事が判る。印象的な分厚い壁を持つこの塔は、入口ホールの役割を担っており、オルガン席への階段も設けられている[31]。身廊は、古い身廊が1890年に取り壊された後、1891/92年にヒルデスハイムの建築家ヴェルナー・ゼヒティヒによってネオゴシック様式で建設された。祭壇と洗礼盤オーク材で、1891年にヒルデスハイムの彫刻家で芸術家のカール・ビューテフィッシュによって制作された[32]。この教会は1962年と1987/88年に改修された。典型的なゴシック様式砂岩製の聖体箱を有している。教会南側の芝生広場に石造りの八角形の洗礼盤がある。これは1980年まで教会の身廊にあったものである。

ヴェントハウゼン地区

旧ヴェントハウゼン中心部にある福音主義トーマス教会は、1297年に建設され、15世紀初めの村全体を犠牲にした大火を切り抜けた唯一の建物である。カンツェルアルターは、ヒルデスハイムの芸術家A.バーテルスの作品で、1697年から1701年に設置された[33]。この教会は、ゴシック様式で建設された西側部分に、教会塔の代わりにスレート張りの屋根の上の小塔が設けられている。これは1840年に増築されたものである。石製の祭壇卓はゴシック時代から遺るものである。この教会は2005年に改修された。1817年にボッケネムで鋳造された鐘がある。近代農学の創始者であるアルブレヒト・ダニエル・テーアは1786年4月19日にこの教会で結婚し、その記念プレートが掲げられている。

ヴェーレ地区

ヴェーレでは、1717-19年に建設され、1979-84年に改修されたバロック様式の聖コスマスおよびダミアン教会が見応えがある。塔の八角形の屋根は8つのドーマーで装飾されている。このカトリック教会にはバロック祭壇と2つの脇祭壇があるが、その一部は17世紀のもので、十字架は16世紀前半のものである。説教壇は1748年に、オルガンは17世紀末に建造された[34]。この教会は2014年からオットベルゲンに本部を置く聖ニコラウス教区に属している。教会の近くにルルドのグロットがある。

経済と社会資本

交通

町域内を連邦道1号線6号線ドイツ語版英語版および鉄道ヒルデスハイム - ブラウンシュヴァイク線が通っている。ただしこの町には駅がなく、最寄りの乗降駅はホーエンエッゲルゼン駅(ゼールデ町内)である。

教育

町内には、以下の基礎課程学校がある[35]

  • ベルデシューレ・シェレールテン=ディンクラー、シェレールテン校
  • ベルデシューレ・シェレールテン=ディンクラー、ディンクラー校
  • オットベルゲン基礎課程学校

また、オーバーシューレもある[35]

  • リヒャルト=フォン=ヴァイツゼッカー=シューレ

社会福祉施設

シェレールテン高齢者住宅パークは、80部屋の老人・福祉ハウスと24戸の介護付き住宅で構成されており、シェレールテンおよびヒルデスハイム郡東部の高齢者が入居できる。この施設は完全介護入院型、短期限定介護、予防的介護などの介護サービスを提供している[36]

スポーツ

シェレールテン地区

  • 体育館、ホルツトリフト
  • スポーツグランドおよびテニスコート、アーシュテッター通り
  • 射撃スポーツ場、ベルリナー通り

人物

出身者

  • ハインリヒ・ヤスパードイツ語版英語版(1875年 - 1945年)ナチの犠牲者
  • ベルンハルト・ブリンクマン(1952年 - 2022年)政治家

関連図書

  • Gemeinde Schellerten (2010). Unbekanntes entdecken – Kirchen und Kapellen der Gemeinde Schellerten. Schellerten

脚注

外部リンク

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