シットウェ
ミャンマーの都市
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歴史
元々は小さな漁村だった。
1784年、コンバウン朝の第六代ボダウパヤ王が、アラカン王国を征服する為に3万人の兵を送った。アラカン王国の3000人の兵はこの地で抵抗したが、壊滅した。 [2] この戦闘で首都のミャウウーまでの道が開き、直ちに征服された。アラカン人の独立は終わり、兵士は全員が殺害された。
1826年、第一次英緬戦争によってコンバウン朝からイギリスに割譲された。割譲後は特に米を扱う商業港として発展した。また、ラカイン州の州都が内陸から沿岸部のシットウェに移った。
1866年、シットウェの人口は1万5536人に増加した。
1879年、ミャンマーで初めてイギリス植民地に抵抗した僧のウー・オッタマがシットウェで産まれた。
1901年、シットウェの人口は3万1687人に増加し、ビルマ第三の港になった。
第二次世界大戦のビルマの戦いで、空港と水深の深い港を持つシットウェは日英軍による争奪戦の舞台となった(第一次アキャブ作戦、第二次アキャブ作戦)。
2007年、サフラン革命ではシットウェの僧が軍政への抗議を始めた。
2012年、仏教徒がロヒンギャの家に放火し始めた。政府は何万人ものロヒンギャをシットウェの収容所に入れた。