シリキット
タイ王国の王太后 (1932-2025)
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シリキット(タイ語: สิริกิติ์、1932年8月12日 - 2025年10月24日)は、タイ王国の王太后。国王ラーマ9世の王妃であった。現国王・ラーマ10世の母。
| シリキット สิริกิติ์ | |
|---|---|
| タイ王后 | |
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1960年10月、28歳時のシリキット | |
| 在位 | 1950年4月28日 - 2016年10月13日 |
| 戴冠式 | 1950年5月5日 |
| 全名 | สมเด็จพระนางเจ้าสิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ พระบรมราชชนนีพันปีหลวง |
| 出生 |
1932年8月12日 |
| 死去 |
2025年10月24日(93歳没) |
| 配偶者 | ラーマ9世 |
| 子女 |
ウボンラット ラーマ10世 シリントーン チュラポーン |
| 氏族 | タイ王族 |
| 家名 | キティヤーコーン家 |
| 父親 | チャンタブリースラナート (ナッカットモンコン・キティヤーコーン) |
| 母親 | MLブア・ サニットウォン |
| サイン |
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| 役職 | タイ赤十字総裁 |
| 称号:王太后 | |
|---|---|
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| 敬称 |
陛下 Her Majesty the Queen Mother สมเด็จพระบรมราชชนนีพันปีหลวง |
駐仏陸軍大将・チャンタブリースラマート王子の娘。ラーマ9世と同じく、ラーマ5世を祖父とする。タイではラーマ9世(プーミポン・アドゥンヤデート前国王)と共に国民から絶大の人気が寄せられていた。
経歴
幼少期
1932年8月12日、バンコクで誕生。4歳になった1936年、クイーンズスクールの幼稚園に通った。当時、タイの政治情勢は立憲革命によって立憲君主制への移行を終えていた。しかし、世界情勢の激変に伴い、バンコクは何度か空襲を受けた。このためシリキットは聖フランシスコ・ザビエル修道院学校に転校し[1]、そこでピアノレッスンを始めた。第二次世界大戦後の1946年、父親の都合でイギリスに移住し、シリキットは13歳でグレード3を卒業した。留学中のシリキットは英語とフランス語を学び、教師とのピアノレッスンも続けてきた。まもなく、父親は公務でフランスに移住し、パリにある有名な音楽学校でシリキットの勉強を続けようとしていた。
タイ王妃へ
フランス留学中のシリキットは、学業のために滞在していたプーミポン・アドゥンヤデート国王と出会う。音楽と芸術に興味があった国王の頼みでピアノ演奏を行った。
1949年7月19日、プーミポン・アドゥンヤデート国王との婚約が発表され、1950年に結婚。モムラーチャウォン・シリキット・キティヤーコーン (มรว. สิริกิติ์ กิติยากร) が以前の正式名称であったが、1954年プーミポン国王が仏教界に出家して一時的に公務を除いたので摂政となり、ソムデットプラナーンチャーオ・シリキット・プラボロムラーチニーナート (
สมเด็จพระนางเจ้า สิริกิติ์ พระบรมราชินีนาถ) が正式名称となった。今でもその呼称が正式名称として使われている。
なお一部日本語メディアに使われる「シリキ」という表記は原語の สิริกิติ์ の ติ์ の文字に無音化記号が使われているためであるが、この場合は発音するので「シリキット」の表記が正しい。
〈歴代の呼称〉
- シリキット・キティヤコーン
(1932年8月12日〜1950年4月28日) - シリキット妃
(1950年4月28日〜1950年5月5日) - シリキット王妃
(1950年5月5日〜1956年12月5日) - シリキット(摂政)王妃
(1956年12月5日〜2016年10月13日) - シリキット王太后
(2016年10月13日〜2025年10月24日)
プーミポン・アドゥンヤデート国王がよく行われていた地方視察にも 積極的に足を運び、いつも笑顔で気安く振る舞う王妃の姿には、国民からの人気は、高かった。
誕生日である8月12日は国内で祝日に指定されており、また、タイにおける「母の日」でもある。
日本とも関係が深く、1963年5月にプーミポン・アドゥンヤデート国王と共に日本を公式訪問した。この訪問とは別に、1981年5月と1993年4月、1997年9月に日本を非公式訪問している。

また、2011年の東日本大地震のときには国王とともに2600万円の寄付をした。王妃の孫にあたるプム・ジェンセンは、2004年のスマトラ島沖地震で亡くなっており、その際、日本が復興支援に力を尽くした恩返しという意味合いのもとで寄付した。
以下の記念紙幣で肖像が使用されている。
晩年
2012年7月21日の朝、王妃が宮殿内で散歩していたところ、急に目まいがしたため、精密検査を受けた。診断結果は、脳の血流不全で、意識はしっかりしており言語障害もなかったが、しばらくの間は大事をとって静養すると発表された。3週間後の王妃80歳の誕生日式典には欠席し、同年12月5日のプーミポン・アドゥンヤデート国王85歳の誕生日式典も欠席。療養生活に入って以降は表舞台から遠ざかった[2]。
2013年8月1日、プーミポン・アドゥンヤデート国王と共に退院し、 国民からは喜びの声で祝福された。
2014年3月には左目の白内障の手術を受けた。
2015年5月からバンコクのタイ国立シリラート病院に入院した。その後プーミポン・アドゥンヤデート国王と共に退院した際、王妃が通る道は人で埋め尽くされた。久しぶりに国民に姿を見せた[3][4]。
2016年4月16日、熊本地震が起きた際、国王と王妃は天皇宛てに「陛下と日本の人々に心からお悔やみを申し上げたい」と記した書簡を送った。
2016年7月には肺炎と血液感染でバンコクのチュラロンコーン王記念病院に搬送され、治療を受けた[4]。
2016年10月13日、プーミポン・アドゥンヤデート国王が崩御。明仁天皇はプーミポン・アドゥンヤデート国王崩御に際して、シリキット王妃とタイ政府に弔電を送った。
2016年11月29日、王室当局は肺炎で入院していた王妃が退院し、宮殿に戻ったと発表された。
2017年3月、明仁天皇はベトナム訪問の帰途、タイに立ち寄り、プーミポン・アドゥンヤデート国王の遺体安置所を訪問した。このとき、シリキット王妃とは対面していない。
85歳の誕生日を迎えた2017年8月12日に公開された写真には、白髪になった当時の王妃の姿が写っていた[5]。
2017年10月26日から行われたプーミポン・アドゥンヤデート国王の葬儀には出席していない。
崩御
2025年10月24日午後9時21分(現地時刻)、入院先のチュラロンコーン王記念病院に於いて崩御[6]。崩御の1週間前から血液感染症に罹患していたという[7]。93歳没。王妃としての在位期間は66年5カ月であり、歴史的にも在位期間が長い王妃であった。26日、王妃の棺は王宮へ移送され、多くの国民は涙を溢した[8]。
崩御を受けて、ラーマ9世の崩御時と同様にタイ首相府より下記の発表がされた[9]。
- 全ての公的な場所、国営企業、政府関係機関及び教育機関は、10月25日より30日間半旗を掲揚する。
- 全ての公務員及び国営企業従業員、政府機関職員は、10月25日より1年間喪に服す。
- 一般国民に対し、黒色の服の着用推奨。
- 娯楽活動は追悼に相応しい形での内容に調整すること。
- 外国人旅行客に対し、適切な行動を考えて行動すること。
崩御を受けて、タイ王国の人々は喪の表明として「黒い服」を着ていた。他に各国の駐タイ王国大使館、タイ国政府観光庁、タイ国際航空、BECワールド、オーソーモートーなどのウェブサイトはモノクロ、グレースケールに改められたほか、タイ人の利用が多いLINEもモノクロになった。
子女
ラーマ9世(プーミポン・アドゥンヤデート)国王との間に1男3女の4人の子女がいる。
| 続柄 | 名前 | 生年月日 | 没年月日 | 備考 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 第1王女 (第1子・長女) |
ウボンラット | 1951年4月5日 | 存命中(74歳) | 1972年にピーター・ラッド・ジェンセンと結婚。1998年に離婚。 子女:1男2女(3人) | |
| 第1王子 (第2子・長男) |
ワチラーロンコーン | 1952年7月28日 | 存命中(73歳) | チャクリー王朝第10代国王『ラーマ10世』 1977年にソームサワリーと結婚。1991年に離婚。 1994年にスチャーリニーと再婚。1996年に離婚。 2001年にシーラットと再婚。2014年に離婚。 2019年にスティダーと再婚。 子女:5男2女(7人) | |
| 第2王女 (第3子・次女) |
シリントーン | 1955年4月2日 | 存命中(70歳) | テープラッタナラーチャスダー公 子女:無し | |
| 第3王女 (第4子・三女) |
チュラポーン | 1957年7月4日 | 存命中(68歳) | スリーサワーンカワット公 1982年にウィーラュット・ディットヤサリンと結婚。1994年に離婚。 子女:2女(2人) | |