ソマリ語
アフロ・アジア語族の言語
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話者数
ソマリ語を公用語とする国・地域
地理的分布
ソマリ語はソマリア、ジブチ、エチオピア、イエメン、ケニアに住むソマリ族および祖国を離れて住むソマリ族が使っている。
方言

ソマリ語の方言は大きく分けて3つある。北部方言、ベナーディル方言(Benaadir)、マーイ方言(Maay)である。北部ソマリ語(北中部ソマリ語とも)は、標準ソマリ語の元にされた言語である。ベナーディル方言(沿岸ソマリ語)はベナディル海岸(Benadir Coast)のカダレ(Cadale)からメルカのあたりで使われており、首都モガディシュや、海岸から少し離れたところでも使われている。標準ソマリ語にはベナーディル方言の要素も取り入れられている。
マーイ方言はソマリア南部に住むラハンウェイン氏族 (Rahanweyn) の支族ディジル氏族 (Digil) やミリフレ氏族 (Mirifle) の方言であるが、かなり特殊である。最近の調査によると[3]、マーイ方言は他の大多数のソマリ族には理解できないものであった。マーイ方言の特徴は、いくつかの子音が無いことである。標準語で/ɖ/の音がマーイ方言では/r/になることが多い。
マーイ方言以外にも、ジーボ方言(Jiido)、ダバレ方言(Dabare)、ガッレ方言(Garre)、中央ツーニ方言(Central Tunni)などはソマリ語方言として標準語とかなりの差がある。特にジーボ方言は特殊性が高い。
母音と子音
文法
語彙
表記法
概要

元々ソマリ語にも独自の表記法があったが、それは長い間に失われ[4]、近年では他言語の表記法が借用されている。もっとも広く使われているのがラテンアルファベットを使う方法であり、1972年10月にはバーレ政権が正式に採用を決定した[5]。ラテンアルファベットを使う表記法では、p, v, z以外の全ての文字を使用する。正式な表記法の開発には言語学者のシャイア・ジャマ・アフメド (Shire Jama Ahmed) の貢献が大きいと考えられている。ダイアクリティカルマークのような追加の記号は、声門破裂音をアポストロフィで表す以外には使われない。また、二重音字はDH、KH、SHの3種がある。前舌母音と後舌母音の違いは表記上は区別されない。文の始めと固有名詞の1文字目は大文字が使われる。
この方法が採用されるまで、ソマリ語の表記をどのようにするのかの議論があった。議論は1960年から始まり、9年間続いた。表記法を考案するよう指名された言語学者は12人に上る。最終的に、シャイア・ジャマ・アフメドの案が採用された。シャイア・ジャマ・アフメドは自ら自身の考えた表記法の解説書Af Soomaaliを出版している。アフメドは、ラテンアルファベットはアラビア文字に比べてシステムが単純なこと、これまでにもソマリ語表記に使われてきたこと、ラテンアルファベットであればタイプライターなどいろいろな装置がそのまま使えることなどからこの方法が実用的であると提案した[6]。
アフメドの記法が定着する前にも広く使われたソマリ語の表記法はあった。特にアラビア文字を使う方法はよく使われ、そのひとつにワダード記法 (Wadaad's writing) がある。20世紀になると、オスマン・ユスフ・ケナディッド (Osman Yusuf Kenadid) によるオスマニャ文字 (Osmanya script) 、シェイハ・アブドゥラハム・シャイハ・ヌール (Sheikh Abdurahman Sheikh Nuur) によるボラマ文字 (Borama script) 、フセイン・シェイハ・アフメド・カッダレ (Hussein Sheikh Ahmed Kaddare) によるカッダレ文字 (Kaddare script) などが考案された[7]。
近年の歴史
イタリアやイギリスが来る前には、ソマリ族の教養人や宗教家たちは書き言葉としてアラビア語を用いるか、あるいはアラビア文字を使ってソマリ語を書いていた。20世紀初頭に反乱を起こしたサイイド・ムハンマド・アブドゥラー・ハッサンは多くの手紙を書いているが、これはアラビア語で書かれている。ソマリアにはマドラサ(イスラーム学校)が多いため、アラビア語を学んだソマリ族は多い。1940年に発見された墓銘にはアラビア文字を使ったソマリ語が書かれており、ウルドゥー語やペルシア語と共に長く使われてきたことが分かる。ただし、このような例はあまり見つかっておらず、その使用範囲に関しては不明である。
数あるソマリア語の表記体系を統一しようとする動きは1920年代からあった。標準ソマリ語は1972年10月10日にモガディシュのサッカースタジアムで公開された。また、ソマリ語の本格的な最初の辞書が1976年に出版された。Qaamuus kooban ee af Soomaali ah(ソマリ語小辞典)とQaamuuska Af-Soomaaliga(ソマリ語辞典)である。バーレ政権はこの表記法の理解を公務員の言語試験として課した。さらに、学生を農村に派遣してこの文字体系を教えさせる政策が取られたため、1978年までにはかなり普及した。ひとつの文字体系がこれほど急速に普及したのは世界でも珍しい。