タトラT2
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| タトラT2 | |
|---|---|
|
| |
| 基本情報 | |
| 製造所 | タトラ国営会社スミーホフ工場 |
| 製造年 |
1955年(試作車) 1957年 - 1962年(量産車) |
| 製造数 |
合計 771両 T2 391両 T2SU 380両 |
| 運用終了 | 2018年11月17日 |
| 主要諸元 | |
| 編成 | 1 - 2両編成 |
| 軌間 | 1,000 mm、1,435 mm、1,524 mm |
| 電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
| 最高速度 | 65.0 km/h |
| 車両定員 |
T2 100人(着席25人) T2SU 94人(着席38人) |
| 車両重量 | 18.1 t |
| 全長 | 15,200 mm |
| 車体長 | 14,000 mm |
| 全幅 | 2,500 mm |
| 車体高 | 3,050 mm |
| 動力伝達方式 | 直角カルダン駆動方式 |
| 主電動機出力 | 40 kw |
| 出力 | 160 kw |
| 制御方式 | 抵抗制御 |
| 制動装置 | 発電ブレーキ、ドラムブレーキ、電磁吸着ブレーキ |
| 備考 | 主要数値は[1][2][3][4][5][6][7]に基づく。 |
タトラT2は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)のプラハに存在したタトラ国営会社スミーホフ工場(→ČKDタトラ)が製造した路面電車車両(タトラカー)。最初のタトラカーとして開発されたタトラT1の改良型として設計され、製造当初は「TII」と呼ばれていた[1][2][3][4][5][6]。
開発までの経緯
タトラ国営会社スミーホフ工場(→ČKDタトラ)がかつて展開したタトラカーと呼ばれる路面電車車両は、アメリカ合衆国で開発された高性能路面電車・PCCカーの技術をライセンス契約の元で取り入れた電車である。1951年に最初の車両となるタトラT1が製造され、チェコスロバキア(現:チェコ、スロバキア)を中心に東側諸国に導入された。タトラT2は、各地の路面電車事業者からの要望に基づき、このT1を改良した形式である[1][5][8][4]。
構造
タトラT2はループ線が存在する路線での運用を前提とした片運転台のボギー車で、1両での運用(単行)に加えて総括制御による2両編成以上の連結運転も可能な構造となっていた。車体の寸法はT1(車体長13,300 mm、車体幅2,400 mm)から拡大し、長さは14,000 mm、幅は2,500 mmに変更された他、強度もT1から向上した。この車体の設計にあたっては乗客の流動性の向上を重点に置いており、右側に3箇所設置された乗降扉のうち運転台の傍にある前方の扉から搭乗し、車掌による検札を受けた後、中央・後方の扉から降りるという流れを前提に置いた構造となっていた。座席についても試作車についてはT1と同様のロングシートであったが、以降は1列 + 2列のクロスシートに変更された。前照灯は前方下部に1個設置されており、周囲には銀色の装飾が施されていた[2][5][1][4][9][10]。
電気機器の構造については、PCCカーを基に設計されたT1の仕様が継続して採用されており、主電動機からの動力は自在継手やかさ歯車を介して車軸に伝えられ(直角カルダン駆動方式)、制御装置は「加速器」とも呼ばれた多段式抵抗制御装置が用いられた。運転台からの速度制御は足踏みペダルを用いて行われた。台車については従来の標準軌(1,435 mm)に加えて狭軌(1,000 mm)や次項で述べるソビエト連邦圏内の広軌(1,524 mm)にも対応しており、より多くの路線で運用できる構造となった[1][4][7][11]。
- 車内
- 運転台
- 後方には運転台が存在しない
T2SU
1950年代のソビエト連邦では、国内各地の鉄道車両メーカーによって路面電車車両の製造が行われ、首都・モスクワのモスクワ市電を始めとした各都市への配給が実施されていたが、その生産速度は遅く、第二次世界大戦前から継続して使用されていた旧型電車の置き換えや急増する需要を補うのに不十分であった。更にこれらの新造車両の多くは旧来の機構を有しており、より近代的な車両が望まれていた。そこで、経済相互援助会議(コメコン)体制のもとで、高性能車両であるタトラT2をソ連向けに改良したタトラT2SUの大量導入を実施する事が決定した[12][13]。
極寒の環境下での使用を考慮し、運転台は客室と区切られ「運転室」となった他、車掌による業務が存在した関係上多くの車両については中央部の乗降扉が設置されておらず、その分座席数が増加した。一方で主電動機や制御装置を含めた電気機器についてはT2と同様のものが用いられた[5][12][3][14]。
運用
最初の車両となる試作車(6001・6002)は1955年に製造され、チェコスロバキア(現:チェコ)の首都・プラハを走るプラハ市電に導入された。うち6002に採用されたクロスシートの内装が1958年以降製造が始まった量産車へと受け継がれ、廃止が検討されていたヤブロネツ・ナド・ニソウ市電[注釈 1]を除いたチェコスロバキア(→チェコ、スロバキア)の全路面電車路線へ向けて導入が実施された[注釈 2]。一方、それに先駆けて1957年から量産が始まったソビエト連邦向けのT2SUについてもその性能や品質、大量生産体制が高く評価され、最多の180両を導入したモスクワ市電を筆頭に6都市に向けて計380両が製造された[5][2][3][18]。
だが、車体の強度を上げた事でT2の重量は17 - 18 tと増大し、軸重も増加したために軌道の状態が悪い地域への導入が難しいという問題を抱えていた。そのため、スミーホフ工場では車体や座席の設計を変更し、重量を2 t近く軽減した改良型であるタトラT3を開発し、1960年以降生産が始まった。それに伴い、T2の量産は1962年をもって終了した[2][5][4][19]。
その後は各都市で長期に渡り活躍したものの、1980年代以降は老朽化および後継車両の導入によって廃車が進み、T2・T2SU共に大半の車両は1980年代までに営業運転を終了し、以降は後述する更新工事が実施された車両のみが使用される事となった。引退した車両の一部は各地の路面電車事業者や博物館で保存されており、その中には試作車1両(6002)も含まれる[5][20][21][14][22][16]。
導入都市
タトラT2およびタトラT2SUの新造車両が導入された都市は以下の通りである。国名および都市名は導入当時のものを記す[5][2][3]。
| T2 導入都市一覧[5][2][3][23][14] | |||
|---|---|---|---|
| 形式 | 導入国 | 都市 | 導入車両数 |
| T2 | チェコスロバキア (現:チェコ) |
オストラヴァ (オストラヴァ市電) |
100両 |
| ブルノ (ブルノ市電) |
94両 | ||
| モスト リトヴィーノフ (モスト・リトヴィーノフ市電) |
36両 | ||
| プルゼニ (プルゼニ市電) |
26両 | ||
| ウースチー・ナド・ラベム (ウースチー・ナド・ラベム市電) |
18両 | ||
| リベレツ (リベレツ市電) |
14両 | ||
| オロモウツ (オロモウツ市電) |
4両 | ||
| プラハ (プラハ市電) |
2両 | ||
| チェコスロバキア (現:スロバキア) |
ブラチスラヴァ (ブラチスラヴァ市電) |
66両 | |
| コシツェ (コシツェ市電) |
31両 | ||
| T2SU | ソビエト連邦 (現:ロシア連邦) |
モスクワ (モスクワ市電) |
180両 |
| スヴェルドロフスク (スヴェルドロフスク市電) |
65両 | ||
| クイビシェフ (クイビシェフ市電) |
43両 | ||
| ロストフ・ナ・ドヌ (ロストフ・ナ・ドヌ市電) |
40両 | ||
| レニングラード (レニングラード市電) |
2両 | ||
| ソビエト連邦 (現:ウクライナ) |
キーウ (キエフ市電) |
50両 | |
