タリン

エストニア共和国の首都 From Wikipedia, the free encyclopedia

タリンTallinn [ˈtɑlʲˑinˑ])は、バルト海東部のフィンランド湾に面するエストニア首都。旧称はレーバルドイツ語デンマーク語: Reval)、ロシア帝国時代の名はレーヴェリРевель)、エストニア・ソビエト時代の名はタリンТа́ллин, Та́ллинн)である。タリンの人口は約42万人。旧市街が世界遺産『タリン歴史地区』に指定されている。

概要 タリン Tallinn, 国 ...
タリン

Tallinn
タリンの旗
タリンの紋章
紋章
Location of タリン
タリンの位置(エストニア内)
タリン
タリン
タリンの位置(バルト三国内)
タリン
タリン
タリンの位置(バルト海内)
タリン
タリン
タリンの位置(ヨーロッパ内)
タリン
タリン
北緯59度26分14秒 東経24度44分43秒
 エストニア
ハリュ県
政府
  市長 エフゲニー・オシノフスキ (社会民主党)
面積
  合計 159.2 km2
標高
44 m
人口
(2023年)
  合計 453,864人
  密度 2,900.0人/km2
族称 Tallinner
等時帯 UTC+2 (東ヨーロッパ時間)
  夏時間 UTC+3 (東ヨーロッパ夏時間)
郵便番号
15199
市外局番 (+372) 64
ナンバープレート A-B
ウェブサイト www.tallinn.ee
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タリンはフィンランドの首都ヘルシンキロシアサンクトペテルブルクと同じくフィンランド湾に面する主要都市の1つであり、2011年欧州文化首都である。また中世ハンザ都市の1つとして栄えた港湾都市で現在もバルト海クルーズの主な寄港地の一つである。2008年にはNATOサイバーテロ対策機関の本部NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence(頭字語CCDCOE[1])が置かれた[注釈 1]。日本政府の外務省はIT・サイバー分野で両国間対話を2013年12月に交わし(東京[3])、また2014年6月には官民関係者12名をNATOサイバー防衛協力センター主催のタリンCyCon(サイコン=サイバー・セキュリティの国際会議に派遣した[3]

フィンランド湾南岸のタリンから、同湾北岸のヘルシンキまでは85km、同湾東奥のサンクトペテルブルクまでは350kmの距離である[5]

市名

1154年イドリースィーの手によるムラービト朝の世界地図では「クルワン」 (Qlwn) として記されている。また東スラブの年代記では「コリヴァン」(Kolyvan) とも表記されているが、これらはエストニアの神話に出てくる英雄「カレフ」(Kalev) に由来する。13世紀まではリヴォニアスカンディナヴィアの人々は、「リンダニサ」(Lindanisa) と呼んでいた。これはエストニアの国民的叙事詩であり、その英雄であるカレヴィポエグ英語版(カレビポエク)の母の名に因んでいる。彼女は亡き夫の墓を作るために岩を積み上げ、それがトームペア英語版となった、とされる。

1219年デンマークに占領されると、エストニアの地方名の古名から「レーバル」(Reval) となった。

1918年にエストニアが独立すると「タリン」となった。エストニア語で「デンマーク人の城」という意味である。

歴史

1050年、今日トームペアと呼ばれる中心部の丘に最初の要塞が建設される。トームペアとはドイツ語で「聖堂の立つ丘」の意味である。13世紀初頭にはドイツ騎士団デンマーク王らによる北方十字軍により、ロシアスカンディナヴィアを結ぶ軍事戦略地点として大いに着目される。またノヴゴロドと西欧を結ぶ中継貿易で繁栄を築く。

1219年、デンマーク王バルデマー2世十字軍を率いて侵攻し、ここにトームペア城を築いた(これが「タリン」の名の由来となった)。1285年にはハンザ同盟に加わった。ハンザ同盟都市としては最北に位置する。1346年、デンマークはバルト海東海岸地域の植民地銀貨1万3000マルクでドイツ騎士団に売却し引き上げた。これ以降、20世紀になるまでバルト・ドイツ人の影響が残る。しかし1561年リヴォニア戦争によって旧ドイツ騎士団国領のテッラ・マリアナは解体し、北部はスウェーデン領エストラント(エストニア公国)となった(バルト帝国)。1583年のリヴォニア戦争終結後もスウェーデンの影響力は増して行き、その後、1629年までに現エストニアのリヴォニア北部も支配下に入る。レヴァルはエストニア公国の首都となり発展して行くが、その後、大北方戦争により1710年ロシア・ツァーリ国の支配下に入り、エストニア公国は1721年ロシア帝国の県に格下げされた。

1918年にエストニアが独立するとその首都となった。しかしその後ドイツ帝国の軍事占領を受ける。ソ連との戦争を経て、1920年タルトゥ条約で、独立が承認される。第二次世界大戦初期の1940年、ソ連の軍事占領を受け1941年から1944年の間はナチス・ドイツの占領下にあった。ナチス・ドイツの撤収後は、ソ連が再侵攻しソ連領とされた。

1980年代後半、ソ連の崩壊の兆しとともに独立の気運が高まり、1988年、タリン近郊の「歌の原」に約30万人(当時エストニア全土の人口は約150万人)が集い、ソ連により禁止されていたエストニアの民謡などを歌う事件があった。これによりますます独立の気運は高まり、1989年にはタリン、リガヴィリニュスバルト三国の3都市を「人間の鎖」で結ぶ運動(バルトの道)に100万人が参加した。1991年独立回復を達成。このことからエストニアの独立は「歌による革命」とも言われることがある。

気候

ケッペンの気候区分によると、タリンは湿潤大陸性気候亜寒帯湿潤気候(Dfb)に属する。

年平均気温は6.4℃である。平年値では最暖月である7月の日最高気温が22.2℃、日最低気温は13.1℃、最寒月である2月の日最高気温が-1.0℃、日最低気温は-6.2℃となっている。また、12月から3月にかけて日平均気温が氷点下となっている。

北緯59度に位置しているにもかかわらず、北大西洋海流の影響により冬季気温が高く、最寒月である2月の日最低気温は-6.2℃となっている。

年平均降水量は700mmである。

年平均日照時間は1922.7時間である。

さらに見る タリン(平年値:1991年 - 2020年、極値:1805年 – 現在)の気候, 月 ...
タリン(平年値:1991年 - 2020年、極値:1805年 – 現在)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
最高気温記録 °C°F 9.2
(48.6)
10.2
(50.4)
17.1
(62.8)
27.2
(81)
31.4
(88.5)
32.6
(90.7)
34.3
(93.7)
34.2
(93.6)
28.0
(82.4)
21.8
(71.2)
14.1
(57.4)
11.6
(52.9)
34.3
(93.7)
平均最高気温 °C°F −0.7
(30.7)
−1.0
(30.2)
2.8
(37)
9.5
(49.1)
15.4
(59.7)
19.2
(66.6)
22.2
(72)
21.0
(69.8)
16.1
(61)
9.5
(49.1)
4.1
(39.4)
1.2
(34.2)
9.9
(49.8)
日平均気温 °C°F −2.9
(26.8)
−3.6
(25.5)
−0.6
(30.9)
4.8
(40.6)
10.2
(50.4)
14.5
(58.1)
17.6
(63.7)
16.5
(61.7)
12.0
(53.6)
6.5
(43.7)
2.0
(35.6)
−0.9
(30.4)
6.4
(43.5)
平均最低気温 °C°F −5.5
(22.1)
−6.2
(20.8)
−3.7
(25.3)
0.7
(33.3)
5.2
(41.4)
9.8
(49.6)
13.1
(55.6)
12.3
(54.1)
8.4
(47.1)
3.7
(38.7)
−0.2
(31.6)
−3.1
(26.4)
2.9
(37.2)
最低気温記録 °C°F −31.4
(−24.5)
−28.7
(−19.7)
−24.5
(−12.1)
−12.0
(10.4)
−5.0
(23)
0.0
(32)
4.0
(39.2)
2.4
(36.3)
−4.1
(24.6)
−10.5
(13.1)
−18.8
(−1.8)
−32.2
(−26)
−32.2
(−26)
降水量 mm (inch) 56
(2.2)
40
(1.57)
37
(1.46)
35
(1.38)
37
(1.46)
68
(2.68)
82
(3.23)
85
(3.35)
58
(2.28)
78
(3.07)
66
(2.6)
59
(2.32)
700
(27.56)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 12.7 10.6 9.0 7.5 7.3 9.5 9.1 10.3 10.1 12.9 12.3 13.1 124.4
% 湿度 89 86 80 72 69 74 76 79 82 85 89 89 81
平均月間日照時間 29.7 58.8 148.4 217.3 306.0 294.3 312.1 255.6 162.3 88.3 29.1 20.7 1,922.7
出典1:Estonian Weather Service[6]
出典2:NOAA/NCEI (average precipitation days 1991–2020)[7] Weather Atlas (average ultraviolet index),[8]
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人口構成・言語

さらに見る 母語(タリン市) 2011 ...
母語(タリン市) 2011[9]
エストニア語
 
50.1%
ロシア語
 
46.7%
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さらに見る 民族(タリン市) 2013 ...
民族(タリン市) 2013
エストニア人
 
54.9%
ロシア人
 
36.5%
ウクライナ人
 
3.6%
ベラルーシ人
 
1.9%
フィンランド人
 
0.9%
その他(ドイツ系など)
 
3.1%
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タリンの人口は43万772人(2014年)であり、2013年の住民の民族構成はエストニア全体の統計と比べると、ロシア人の割合が高い。在住のロシア人やウクライナ人の多くはエストニア国籍を保持しておらず、EU内では最もEU以外の国籍を持つ住民が多い都市となっており、2009年統計によると全体の22%がEU以外の国籍住民者である。また、言語も公用語であるエストニア語と公用語になってないロシア語の割合が拮抗している。

経済

資本主義社会への移行、EU加盟などを機にして、タリンの経済は大きく変貌を遂げた。第一に、西側資本の流入が挙げられる。とりわけ、隣国フィンランド企業のタリンへの進出が盛んで、百貨店ストックマンがショッピングモールを開業させた。また、北欧資本のホテルの開業も相次いでいる。情報技術(IT)産業が盛んで、「バルト海のシリコンバレー」とも呼ばれ、実際に、タリンはカリフォルニア州シリコンバレーの都市ロス・ガトスと姉妹都市になっている。Skypeスカイプが開発されたのもタリンである。

タリン旧市街

概要 タリン歴史地区(エストニア), 英名 ...
世界遺産 タリン歴史地区
エストニア
タリン旧市街
タリン旧市街
英名 Historic Centre (Old Town) of Tallinn
仏名 Centre historique (vieille ville) de Tallin
登録区分 文化遺産
登録基準 (2),(4)
登録年 1997年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
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旧市街は、下町のローワータウン(Lower Town)と山の手のトームペアから成る。

ローワータウンは、城壁など欧州でも最も保存状態の良い旧市街地の1つである。

山の手のトームペアは石灰岩でできた丘で歴史的建造物が多い。1219年6月15日、この地の攻防戦の際にデンマーク国旗は誕生した。トームペアを中心にタリン歴史地区は、1997年ユネスコ世界遺産に登録された。

交通

海路

ヘルシンキオーランド諸島ストックホルムなどへのフェリーの定期便が運行されている。ヘルシンキとはフィンランド湾を隔ててわずか80キロしか離れておらず、フェリーで3時間程度、高速船なら1時間半程度の距離である。

道路

ヘルシンキからタリン・リガワルシャワを通ってプラハに到る高速道路「Via Baltica」の北側の基点にあたり、北欧と中欧を結んでいる。

鉄道

バルト駅からタルトゥナルヴァパルディスキなどの国内主要都市への路線がELRONによって運行されている他、GO Railによるサンクトペテルブルクおよびモスクワへの国際列車も運行されている。

航空路

市内から約4km、ウレミステ湖英語版の東岸に、国内最大のタリン空港があり、ヨーロッパの主要エアラインが乗り入れている。以前は、ヘルシンキとの間にヘリコプター便があったが、現在[いつ?]は運行されていない。

市内交通

トラムが4路線、トロリーバス4路線、バスが70路線近くある。タリン市民は発行されるカードを使うと無料でこれら公共交通を利用できる。

観光

5年に一度、国内各地から数万人が首都タリンに集まり、伝統的な歌と踊りを披露する「歌と踊りの祭典」が行われる。この行事はユネスコの無形文化遺産に登録されている[13][14]

姉妹都市

注釈

  1. 2007年、エストニアが世界初[2]の大規模なサイバーテロ攻撃を受け、国全体のネット機能を麻痺させられた。これを契機としてNATOは2008年、NATOサイバー防衛協力センターをタリンに創設した

出典

関連項目

外部リンク

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