天蚕糸
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山繭糸
山繭糸(やままゆいと)としての天蚕糸は、ヤママユ(山繭、学名:Antheraea yamamai)から採取される糸を指す[3]。ヤママユはテンサン(天蚕)とも称され[4]、日本原産の野蚕の一種である[5]。その繭糸は独特な淡緑色を呈しており珍重されてきた[5]。
明治時代以降、皇居の紅葉山御養蚕所で歴代皇后が天蚕を育てることが伝統になっている[6]。
特性
有明における歴史
長野県安曇野市穂高有明では、天明年間(1781年 - 1789年)から天蚕飼育が始められた。
享和年間(1801年 - 1804年)になると、飼育林を設けて農家の副業として飼養され、文政年間(1818年 - 1830年)には穂高や近郷の松本・大町等の商人により繭が近畿地方へと運ばれ、広島名産の山繭織の原料にもなった。嘉永年間(1848年 - 1854年)頃には、糸繰りの技術も習得し、150万粒の繭が生産された。
明治20年(1887年)から明治30年が天蚕の全盛期で、山梨県や北関東などの県外へ出張して天蚕飼育を行った。明治31年には有明村の過半数の農家が天蚕を飼育するに至る。しかし、焼岳噴火の降灰による被害や、第二次世界大戦により出荷が途絶え、幻の糸になってしまった。
昭和48年(1973年)に復活の機運が高まり、天蚕飼育が再開された。安曇野市天蚕センターで、飼育・飼育関連イベント・製品展示などが行われている。
テグス
テグスは原義ではテグスサン(学名:Eriogyna pyretorum/Saturnia pyretoum)の幼虫の体内から採取される絹糸腺を加工した糸を指す[2]。てんぐすいと[2]、てんぐす[2]ともいう。テグスサンはフウ(フウ科フウ属、漢字では楓)を食樹とすることからフウサン(楓蚕)ともいう[7]。
このテグスサンは日本に産せず、導入されなかったため、クスサン(楠蚕)から作られたものもある[7][8]。さらにテグスは釣り糸などに用いる合成繊維のものも指すようになっている[2]。
釣糸としての利用
本来のテグスは楓蚕や楠蚕の老熟幼虫の体内から絹糸腺を取り出し、酢酸液や食塩水に浸した後、これを引き延ばし(この状態を粗テグスという)、小さい穴をあけた鉄板や銅板を通して磨き加工を行った繊維をいう[7][8]。
『日本水産捕採誌』(農商務省水産局・明治43年(1910年)刊行)によると、釣り針を結ぶチモト部分には麻糸、天蚕糸、馬尾毛などが用いられた[8]。
テグスサンは日本に産せず[7]、江戸時代初期には問屋が糸を輸入していた[8]。司馬遼太郎は『街道をゆく』の「阿波紀行」において、阿波堂浦(徳島県鳴門市堂浦)の漁師が、大阪の薬種問屋の町道修町で偶然に生薬の梱包に使われていた半透明の糸を見つけ、これを一本釣りに利用するようになったのが日本での始まりとしている[7]。
テグスサンに代わるものとして日本ではクスサン(楠蚕)も用いられ、文化8年(1811年)頃から信濃地方で生産が始まった[8]。
合成繊維のテグス
テグスは漢字で「天蚕糸」と書き、もともとはテグスサンの幼虫の絹糸腺から取られる糸のことであった。のちに釣り糸、さらにはナイロンなどの合成繊維でできた糸のことを一般にテグスというようになった[9]。
中国の養蚕状況
中国では野蚕糸[注 1]の用途として柞蚕(さくさん)と樟蚕およびひま蚕の3種を利用している。
柞蚕(学名:Antheraea pernyi)はコナラ・クヌギ・カシワ・ナラなどの葉を食して生育する。生育は春・夏の2季である。糸質は家蚕より幾分粗いが耐久力があり、衣料・カーテン・パラシュートなどに利用される。三大産地は遼東半島・山東丘陵・河南省の伏牛山地である。
樟蚕(和名:テグスサン、学名:Eriogyna pyretoum[10])は江西省・広東省・広西省および台湾に産する。クス・カエデで飼養され、樟蚕糸は強くて耐久性があるため釣り糸用として利用される。この釣り糸は魚には見えにくく、一般には上物といわれている。
ひま蚕(学名:Samia cynthia ricini )の主要生産地は山東省・河北省・河南省・安徽省・広東省・広西省であり、ヒマとタピオカの葉を利用しての生産が進んでいる。
参考文献
- 黄就順『現代中国地理 -その自然と人間-』帝国書院、1981年。
- 衛傑文・楊関坭・他編『現代中国地誌』古今書院、1988年。 ISBN 4-7722-1104-7
- 日本工芸会近畿支部・編『工芸の博物誌 -手わざを支える人ともの-』淡交社、2001年。