バシレウス

ギリシア語の君主の称号 From Wikipedia, the free encyclopedia

バシレウス/ヴァシレフス(古代/中世以降、ギリシア語: βασιλεύς basileús/vasiléfs、複数形: βασιλεῖς basileîs/vasileís バシレイス/ヴァシリス)は、「、君主」を意味するギリシア語の用語、または君主号である。現代のデモティキではヴァシリアスギリシア語: βασιλιάς vasiliás)という。古代と現代においては単に王を意味するが、東ローマ帝国時代においては「皇帝」を意味した。この用語の女性形はバシリッサ/ヴァシリサギリシア語: βασίλισσα basílissa/vasílissa 「王妃、女王、(旧)皇后、(旧)女帝」)である。この用語から派生したバシレイアギリシア語: βασιλεία basileía/vasileía バシレイアー/ヴァシリア)という用語は「王政(王制)、王権、王国、治世、(旧)皇帝権、(旧)帝国」などを意味する。

この用語から「王者らしい」を意味する男性名バシレイオス/ヴァシリオスが派生した。

古代ギリシア

ミケーネ文明の時代、王を指す用語はアナクスギリシア語: ἄναξ ánaxミケーネ・ギリシア語: 𐀷𐀙𐀏 wa-na-ka(wánaks) ワナクス)であり、バシレウス(ミケーネ・ギリシア語: 𐀣𐀯𐀩𐀄 qa-si-re-u(gʷasiléus) グァシレウス)は在地の豪族的な有力者を指す用語であった[1]。紀元前1200年頃にミケーネ文明が崩壊すると各小王国のアナクスは姿を消し、その後のいわゆる暗黒時代には各地で族長(バシレウス)を中心とする村落が形成されるようになった。さらに紀元前8世紀頃、こうした村落共同体の連合が都市国家であるポリスへと発展すると、バシレウスの中の最有力者がかつてのアナクスに相当する王的存在となった。しかし、後の時代になると多くのポリスは王制を廃止し、貴族制に移行した[2]

ヘレニズム時代

セレウコス朝の王アンティオコス1世の硬貨。裏面に「王(バシレウス)・アンティオコスの(硬貨)(ΒΑΣΙΛΕΩΣ ΑΝΤΙΟΧΟΥ basiléōs Antíokhou)」と記されている。

ヘレニズム時代にはマケドニアプトレマイオス朝セレウコス朝ポントスペルガモンバクトリアなどの君主が王(バシレウス)を名乗った。また、上位称号として大王ギリシア語: μέγας βασιλεύς/βασιλεύς μέγας mégas basileús/basileús mégas メガス・バシレウス/バシレウス・メガス)や諸王の王バシレウス・バシレオーンギリシア語: βασιλεὺς βασιλέων basileùs basiléōn、女性形: βασιλίδα βασιλέων basilída basiléōn バシリダ・バシレオーン 「諸王の女王」)を名乗った王もいた。新約聖書でも王(バシレウス)という語が登場する。

ローマ帝国(古代・中世)

東ローマ皇帝レオーン6世フォリス貨。裏面に「レオーン、神にあるローマ人の皇帝(バシレウス)(+LEON EN ΘEO bASILEVS ROMEON +Léōn en Theōî basileús Rhōmaíōn)」と記されている。

ローマ皇帝は非公式にバシレウスとも呼ばれていたが、公式には皇帝の称号は「インペラトルカエサルフラウィウス(後期に追加)、アウグストゥス」であり、ギリシア語版の勅令では「アウトクラトール(インペラトルに相当)、カイサル、フラヴィオス、アウグストス(または同じ意味のセバストス英語版)」と記されていた。

称号に変化があったのは629年のことであった。この年、サーサーン朝に勝利し首都コンスタンティノポリスヘ凱旋した皇帝ヘラクレイオスは単に「キリストにありて忠実なるバシレウス(ギリシア語: πιστὸς ἐν Χριστῷ βασιλεύς pistòs en Khristōî basileús)」と名乗った。これ以降帝国の滅亡までバシレウスは皇帝を意味するようになった。伝統的な称号は後に「アウトクラトール、カイサル、フラヴィオス、アウグストス(またはセバストス)」といったギリシア語の形で復活し、これらはバシレウスと併記された[3]

当時、ゲルマン民族などの侵入によってラテン語が使用されていた地域の大半はすでに帝国の支配下から離脱しており、新たに設けられた官職についてもギリシア語の名称が用いられるようになっていた。このため、この称号変更は、帝国におけるギリシア語の主流化、すなわち「ローマ帝国のギリシア化」を象徴する出来事とされている。しかし、即位当初は伝統的な称号を用いていたヘラクレイオスがこの時期に突然称号を改めた理由については明確な説明が得られていない。一説には、それまでバシレウスが「諸王の王」を称していたサーサーン朝の君主などを指す呼称として用いられていたのに対し、サーサーン朝に勝利したことで、ヘラクレイオス自らが新たな「諸王の王」であることを宣言する意図があったのではないか[4]とも考えられている。

なお、本来は王を意味するバシレウスが皇帝を指す用語に変わったことから東ローマ帝国では他国の王を指す用語として、一般的にはアルコーン、ヨーロッパ諸国の王には「リクス(ギリシア語: ῥήξ rhḗx、おそらくラテン語のレークス(rex)由来)」、遊牧民の君主には「ハガノス(ギリシア語: χαγᾶνος khagânos、おそらくカガン由来)」といったような称号が用いられたという[5]。バシレウスはスラヴ語ツァーリと翻訳され、東ローマ帝国の存続期間中はブルガリアセルビアの君主が公式にこれを名乗った。

近現代

東ローマ帝国滅亡後、バシレウスの意味は「王」に戻り、近代に独立したギリシャ王国国王などを指す用語になった。一方で皇帝を意味する用語は「アウトクラトール」となった。1973年に最後のギリシャ国王コンスタンティノス2世が廃位されたため、現在ではギリシア語圏に王(バシレウス)はいない。

脚注

参考文献

関連項目

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