バハマ
カリブ海の島国
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| バハマ国 | |
|---|---|
| Commonwealth of The Bahamas | |
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国の標語:Forward, Upward, Onward, Together (英語: 前へ、上へ、先へ、共に) | |
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国歌:March On, Bahamaland 進め、バハマよ | |
| 公用語 | 英語 |
| 首都 | ナッソー |
| 最大の都市 | ナッソー |
| 政府 | |
| 国王 | チャールズ3世 |
| 総督 | シンシア・A・プラット |
| 首相 | フィリップ・デイヴィス |
| 面積 | |
| 統計 | 13,939km2(156位) |
| 水面積率 | 27.8% |
| 人口 | |
| 統計(2021年) | 39万7000[1]人(172位) |
| 人口密度 | 39.7[1]人/km2 |
| GDP(自国通貨表示) | |
| 合計(2019年) | 131億6400万[2]バハマ・ドル |
| GDP(MER) | |
| 合計(2019年) | 131億6400万[2]ドル(133位) |
| 1人あたり | 3万4575.624(推計)[2]ドル |
| GDP(PPP) | |
| 合計(2019年) | 147億8900万[2]ドル(152位) |
| 1人あたり | 3万8842.207(推計)[2]ドル |
| 独立 - 日付 |
イギリスより 1973年7月10日 |
| 通貨 | バハマ・ドル(BSD) |
| 時間帯 | UTC-5(DST:-4) |
| ISO 3166-1 | BS / BHS |
| ccTLD | .bs |
| 国際電話番号 | 1-242 |
島国であり、海を隔てて北西にアメリカ合衆国のフロリダ半島が、南西にキューバが、南東にハイチが存在する。首都はニュー・プロビデンス島のナッソー。バハマ文書が注目を浴びている。人口は40万516人(2022年時点)[3]。
国名
正式名称は Commonwealth of The Bahamas(英語: コムンウェルス・オブ・ザ・バハーマズ)、通称はThe Bahamas [bəˈhɑːməz] (
音声ファイル)。日本語の表記はバハマ国、通称はバハマ。
名称に定冠詞を含む国のひとつで、国際連合バハマ常駐大使が確認した2025年4月10日付の書簡によると、アルファベット順などの一部の例外を除き、「The Bahamas(Tは原則大文字)」と表記する決まりとなっている[4]。
バハマは、スペイン語のバハマール(スペイン語: Baja mar, 水位の下がった海、引き潮)から転じたという説が有力。また、英語の Commonwealth は多義語であるが、バハマの国名の場合は「イギリス連邦を構成する国」という意味合いで使われており、共和国や連邦といった意味はもたない。
歴史
先住民のアラワク族が定住していた土地に、1492年10月12日、イタリア人クリストファー・コロンブスが到達。上陸した島がサン・サルバドル島(サマナ島という島であったとする説もある)と名づけられた。これがコロンブスによる新大陸の発見となる。
コロンブスの開いたスペインからバハマのルートを通って、多くのヨーロッパ人がやってくると、島にいた先住民のインディオは強制労働やヨーロッパ人が持ち込んだ疫病などで死に絶えてしまった。16世紀には、絶滅したインディオの代わりにアフリカから初めて、奴隷として多くの黒人がバハマ諸島に連れてこられた。
年表
- 1647年にイギリスが植民地化を開始する。
- 1718年にイギリスは、「黒髭」と呼ばれたエドワード・ティーチ (Edward Teach) をはじめとする海賊たちの拠点であったバハマに対し、ウッズ・ロジャーズ (Woodes Rogers) を初代総督(Royal Governor of the Bahamas) に任じ掃討を命じた。
- 1776年に、アメリカ独立戦争から逃れようとしたイギリス王党派が、多くの黒人奴隷を引き連れて移り住む。
- 1782年から83年にかけて、スペインに占領される。しかし、領有権を取り戻したイギリスは、その年に奴隷を解放。
- 1783年、ヴェルサイユ条約において正式にイギリス領と認められる。
- 1920年から1933年までは、アメリカで禁酒法が制定され、これにより、バハマは酒などの密輸の一大中心地となった。
- 1940年から1945年まで、ウィンザー公(元イギリス国王エドワード8世)がバハマ総督を務める。
- 1945年以後、反植民地運動が起こった。
- 1964年1月7日、自治権獲得。
- 1969年、"Commonwealth of the Bahama Islands" に改称。
- 1973年7月10日、独立。国名を "Commonwealth of The Bahamas" とする。英連邦王国の一国として独立した。
- 1976年に商船用に便宜置籍国の国旗を設置。
- 1983年、バハマ政府が関与した麻薬密輸のスキャンダルが発覚。
- 1981-1986年、バンク・ロイのバハマ支店をドレクセル・バーナム・ランバートのデニス・レヴィーンがインサイダー取引に利用。
- 1987年、総選挙でも麻薬密売に関するスキャンダルを乗り越え、与党が大勝した。
- 1992年、英領時代から25年以上続いた進歩自由党のリンデン・ピンドリング政権が自由国民運動のヒューバート・イングラハム政権に交代。以降は両党による政権交代を繰り返している。
政治
国際関係
日本との関係
国家安全保障
地方行政区分
33の県 (district) に分かれる。
地理
経済
国民
人種構成は、アフリカ系黒人が 85%、白人が 12%、アジアやラテンアメリカ系人が 3%。
宗教は、バプティスト 32%、英国国教会 20%、ローマ・カトリック教会 19%、メソジスト 6%、チャーチ・オブ・ゴッド 6%、他のプロテスタント 12%、その他が2%、無宗教または不明が3%。
文化

バハマ諸島の文化は、アフリカ(アフリカ系バハマ人は国内最大のエスニシティである)、イギリス、アメリカの諸文化が歴史的な経緯で混淆したものである。特にアメリカからは、古くは解放奴隷の移住、のちには観光客の流入などを通して多大な影響を受けてきた[7]。
バハマにはファミリー諸島を中心として、アフリカに起源を持つ魔術の伝統がいまも残る[8]。ただし、バハマ国内でオビア(呪術)の実践は違法で、法により処罰される[9]。
ファミリー諸島ではまた、ヤシの葉からバスケットなどの工芸品がつくられている。一般に「わら」と呼ばれるヤシの葉からは帽子やバッグもつくられ、観光客に人気のみやげ品となっている[10]。
ナッソーほか数か所の町では、毎年ボクシング・デーや元日になるとジャンカヌーというアフリカ系の伝統的なパレードが行われる。奴隷解放記念日など、ほかの祝日に開催されることもある[7]。
ファミリー諸島の多くの町や村にとって、レガッタ競走は重要なイベントである。レガッタ競走にはたいてい昔ながらの作業船が使用され、一日もしくは数日続く[11]。
食文化
食文化にもカリブ、アフリカ、ヨーロッパの各文化の影響がみられる。グレゴリータウンのパイナップル・フェストやアンドロスのクラブ・フェストなど、祭事のときだけつくられる独特の料理が各地に伝わっている。
音楽
祝祭日
スポーツ
サッカー
バハマサッカー連盟によって構成されるサッカーバハマ代表は、FIFAワールドカップおよびCONCACAFゴールドカップ、さらにはカリビアンカップへの出場経験は1度もない。また、1990年にはサッカーリーグのBFAシニアリーグも創設されている。
バスケットボール
バスケットボールバハマ代表はオリンピックおよびFIBAバスケットボール・ワールドカップには未出場であり、FIBAアメリカップには1995年大会に1度出場したのみである。しかし、FIBAカリブ海選手権では歴代最多となる優勝7度を記録している。また、バハマからは計6人のNBAプレイヤーも輩出している。
野球
大洋ホエールズでもプレーしたアンディ・ロジャースを皮切りに、8人のメジャーリーガーを輩出している。現役ではジャズ・チザム・ジュニアとルーシャス・フォックスがプレーしている。


