スメルディス
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名前
スメルディスという名はヘロドトスによって表現されたギリシア語形に由来する。古代ペルシア語ではバルディヤ(古代ペルシア語: 𐎲𐎼𐎮𐎡𐎹 b-r-di-i-y(Br̥diya(-)))という。エラム語形(bìr-ti-ia)とアッカド語形(bar-zi-ia)も確認されている。この名にはギリシア語やラテン語によるいくつかの表記ゆれが存在する。
クテシアスはこの人物の名をタニュオクサルケス(ギリシア語: Τανυοξάρκης Tanyoxárkēs タニュオクサルケース/(タニオクサルキス))、なりすましたマゴス神官の名をスペンダダテス(ギリシア語: Σφενδαδάτης Sphendadátēs スペンダダテース/(スフェンザザティス(スフェンダダティス)))としている。クセノポンはタニュオクサルケスをタナオクサレス(ギリシア語: Ταναοξάρης Tanaoxárēs タナオクサレース/(タナオクサリス))としている。
概要
スメルディスはペルシア王キュロス2世と王妃カッサンダネの間に次男として生まれた。父王は晩年に同じ父母を持つ兄カンビュセス2世を共同統治者に任命した。クテシアスによれば、そのときスメルディスは貢納を免除された東部諸州の総督に任命されたという。
古代の記録によれば、父王の死後、単独の王となった兄カンビュセス2世は紀元前525年のエジプト遠征の前にスメルディスを密かに殺害した(ヘロドトスはこれをエジプト征服後、王位を奪われることを恐れて行ったことだとしている)という。そのためこの出来事は人々に知られなかった。カンビュセス2世がエジプトにいた紀元前522年3月11日、ペルシア本土(おそらくエラムとの境界付近[1])のパイシヤーウワーダーのアラカドリシュ山でメディア人[2]のマゴス神官ガウマータ(ヘロドトスはこの人物をマゴス神官パティゼイテスと、その弟で王弟と似ていてしかも同名のスメルディスとしている)が殺害されたスメルディスになりすまして反乱を起こし、7月1日までには帝国を掌握したという。その後カンビュセス2世は崩御し、ガウマータはスメルディスの名で単独の王となった。スメルディスという名で統治していた王の治世はバビロニアの粘土板文書で確認されている。
ガウマータは兵役と貢納を3年間免除すると宣言したため、ペルシア人以外からの支持を集めたという[3]。ガウマータは自身の正体が知られるのを恐れ、本物のスメルディスを知る者を殺害しようとしたため、ガウマータに反抗する者はおらず、ガウマータは神殿を破壊し、人々から牧草地、家畜、しもべ、家屋を奪うなどの行動をとったという。そして即位から約3ヶ月後の9月29日、ガウマータはダレイオス1世たちによってその正体を見破られてメディアのニサーヤ地方のシカヤウワティ要塞でその側近とともに殺害され、ダレイオス1世が王となった。ペルシア人はこの日をマゴス殺しの祭りで祝い、マゴス神官たちはこの日は外に出られなかった[4]。本物のスメルディスの娘パルミュスは王となったダレイオス1世と結婚した。
ただし、近年の歴史学ではカンビュセス2世の次の王は偽物ではなく本物のスメルディスであり、偽物が王であったという話は王位を奪ったダレイオス1世によって作られたものであったという説も挙げられている。
ダレイオス1世が王となった後、ペルシアのユティヤー地方の都市ターラワー出身のワフヤズダータ(古代ペルシア語: 𐎺𐏃𐎹𐏀𐎭𐎠𐎫 v-h-y-z-d-a-t(Vahyazdāta(-)))がスメルディスになりすましてペルシアで反乱を起こした。この反乱はアラコシアにも広がったが、紀元前521年7月には鎮圧され、ワフヤズダータとその側近は捕らえられ、ペルシアの都市ウワダイチャヤで処刑された。