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ヒエノドン

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ヒエノドン[2][3][4]またはヒアエノドン[5][6](学名:Hyaenodon)は、古第三紀始新世中期から新第三紀中新世前期にかけて生息した、絶滅した動物食性の哺乳類の属[2]。北アメリカ大陸、ユーラシア大陸(ヨーロッパおよびアジア)、アフリカ大陸に生息した[2][3]。属名は「ハイエナの歯」を意味するが[2]、ヒエノドンの属するヒエノドン目(英語版)はハイエナの属する食肉目と異なる分岐群であり、ハイエナとの近接的な類縁関係を持たない[7]。かつて目に相当する分類群とされた「肉歯類」と呼ばれる多系統群の代表的な属であり[2]、またヒエノドン科のタイプ属でもある[3]。

概要 ヒエノドン, 地質時代 ...
ヒエノドン
ロイヤルオンタリオ博物館のヒエノドン全身骨格(H. horridus)
地質時代
新生代古第三紀始新世バートニアン期 - 新第三紀中新世トートニアン期
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
亜綱 : 獣亜綱 Theria
下綱 : 真獣下綱 Eutheria
階級なし : 北方真獣類 Boreoeutheria
上目 : ローラシア獣上目 Laurasiatheria
目 : ヒエノドン目 Hyaenodonta
科 : ヒエノドン科 Hyaenodontidae
族 : ヒエノドン族 Hyaenodontini
属 : ヒエノドン属 Hyaenodon
学名
Hyaenodon
Laizer and Parieu, 1838
シノニム
  • Gobipterodon (Lavrov, 1999)[1]
  • Macrohyaenodon (Lavrov & Emry, 1998)
  • Macropterodon (Lavrov, 1999)
  • Megalopterodon (Dashzeveg, 1964)
  • Microhyaenodon (Lavrov, 1999)[1]
  • Neohyaenodon (Thorpe, 1922)
  • Prohyaenodon (Lavrov, 1999)
  • Protohyaenodon (Stock, 1933)
  • Pseudopterodon (Schlosser, 1887)
  • Taxotherium (Blainville, 1841)
下位分類(種)

「分類と系統」の節を参照

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体サイズは種によって大きく異なり、体長(頭胴長)において0.3メートルから1.6メートルにおよぶ[2]。発達した頭部を特徴とするほか[2]、裂肉歯として発達した大臼歯を上下の顎に持つ[3]。四肢の構造は走行に適していた[6][3]。現生のハイエナと同様に群れで行動したと説明される場合もあるが[4][5][6]、ライオンを除いて群れを構成しない中型から大型のネコ科動物と同様の生態と考える見解もある[3]。

分類と系統

  • Tribe: †Hyaenodontini (Leidy, 1869)
    • Genus: †Hyaenodon (Laizer & Parieu, 1838)
      • †Hyaenodon brachyrhynchus (Blainville, 1841)[8]
      • †Hyaenodon chunkhtensis (Dashzeveg, 1985)[9]
      • †Hyaenodon dubius (Filhol, 1873)[10]
      • †Hyaenodon eminus (Matthew & Granger, 1925)[11]
      • †Hyaenodon exiguus (Gervais, 1873)[12]
      • †Hyaenodon filholi (Schlosser, 1887)[13]
      • †Hyaenodon gervaisi (Martin, 1906)[14]
      • †Hyaenodon heberti (Filhol, 1876)[15]
      • †Hyaenodon leptorhynchus (Laizer & Parieu, 1838)[16]
      • †Hyaenodon lingbaoensis (Li, 2025)[17]
      • †Hyaenodon minor (Lange-Badré, 1979)[18]
      • †Hyaenodon pervagus (Matthew & Granger, 1924)[19]
      • †Hyaenodon pumilus (Lavrov, 2019)[20]
      • †Hyaenodon requieni (Gervais, 1846)[21]
      • †Hyaenodon rossignoli (Lange-Badré, 1979)
      • †Hyaenodon weilini (Wang, 2005)[22]
      • †Hyaenodon yuanchuensis (Young, 1937)[23]
      • Subgenus: †Neohyaenodon (側系統的な亜属) (Thorpe, 1922)[24]
        • †Hyaenodon gigas (Dashzeveg, 1985)
        • †Hyaenodon horridus (Leidy, 1853)[25]
        • †Hyaenodon incertus (Dashzeveg, 1985)
        • †Hyaenodon macrocephalus (Lavrov, 1999)[1]
        • †Hyaenodon megaloides (Mellett, 1977)[26]
        • †Hyaenodon milvinus (Lavrov, 1999)[1]
        • †Hyaenodon mongoliensis (Dashzeveg, 1964)[27]
        • †Hyaenodon montanus (Douglass, 1902)[28]
        • †Hyaenodon vetus (Stock, 1933)[29]
      • Subgenus: †Protohyaenodon (側系統的な亜属) (Stock, 1933)
        • †Hyaenodon brevirostrus (Macdonald, 1970)[30]
        • †Hyaenodon crucians (Leidy, 1853)
        • †Hyaenodon microdon (Mellett, 1977)
        • †Hyaenodon mustelinus (Scott, 1894)[31]
        • †Hyaenodon raineyi (Gustafson, 1986)[32]
        • †Hyaenodon venturae (Mellett, 1977)

特徴

Hyaenodon horridusの頭骨

体サイズ

ヒエノドンは種によって大きく体サイズが異なり、大多数の種は小型から中型の捕食者であったが、一部は当時において最大級の陸棲肉食哺乳類の1つであった[22]。本属は種内の二形も報告されているが、その生態学的な重要性は不明である。漸新世の北アメリカに生息したH. cruciansは体重約10 - 25キログラム、始新世後期の北アメリカに生息したH. microdonとH. mustelinusは体重約5キログラムと推定されている[33]。他の北アメリカ産の小型種にはH. venturaeがあり、これはH. microdonと同程度の体サイズである[34]。ヨーロッパで最小の種であるH. filholiは体重約2キログラム、タイプ種のH. leptorhynchusは体重約11キログラムと推定されている[35]。

北アメリカ産の最大級の種の1つであるH. horridusは、下顎の第1大臼歯に基づく推定で体重約91キログラム[36]、四肢形態に基づく推定で最大体重60キログラム以下(平均体重約41.42キログラム)と推定されている[33]。北アメリカの最大の種であるH. megaloidesの体重推定値は30 - 120キログラムである[33]。北アメリカにおけるヒエノドン属の種の体サイズ減少は、食肉目に属するニムラブス科との競争の結果である可能性がある[33]。

ヨーロッパにおける最大種であるH. geravisiは体重約50キログラムと推定されている[35]。アジアにおける最大種はH. gigasであり、H. mongoliensisがそれに次ぐ[37]。両種は頭骨長が60センチメートルに達し、現生種ではライオンを上回り、化石分類群ではヒアイナイロウロスに比肩した可能性があると考えられている[38][37]。H. weiliniも非常に大型の種であり、H. gigasやH. mongoliensisと同様の体サイズであった[22]。

体骨格

ヒエノドンは体骨格要素も発見されているが、ユーラシアにおけるその化石記録は北アメリカと比較して乏しい[39]。頸部は相対的に短く、胴部と尾部が長い[39]。ヒアイナイロウロスと比較するとヒエノドンの脊柱は長く頑強であり、頭部をそれほど低く突き出していなかったことが示唆される[40][41]。比較的短い頸椎はイヌ科よりもネコ科のものに類似する[39]。脊柱は神経棘が発達しており、食肉目のものと比較して後側に突出している。胸椎の横突起と神経棘は食肉目に見られるものよりも大型かつ頑強であり、こうした突起は仮説的な項靭帯(英語版)により大型の頭部を支持していたと考えられている[39]。

ヒエノドンの上腕骨は大腿骨とほぼ同程度の長さであり、丸みを帯びた大型の骨頭を持つ。食肉目と比較して大結節は形状が不規則であり、また前内側に向く。当該部は棘下筋の挿入部であったと見られており、食肉目には観察されていない[39]。しかしそれにも拘わらずヒエノドンの上腕骨はオオカミやハイエナのものと類似する。ハイエナと比較して、ヒエノドンの上腕骨は肘孔(anconeal fossa)や、発達した突縁と同様に長く伸びた滑車形状を示す。ヒエノドンの滑車形状はアカギツネのものと類似する[39]。

オオカミと比較してヒエノドンの尺骨と橈骨は遥かに短い。橈骨の解剖学的特徴から、関節の回転能力を喪失していることが示唆される。橈骨の骨幹は食肉目に見られるように平坦化しておらず、その断面が正方形であり、遠位部が重厚である。尺骨は比較的長い肘頭(英語版)と、重厚な骨幹部に沿って尺骨茎状突起の切痕に繋がる深い溝とを持つ[39]。

古生物学

ハインリヒ・ハルダーによるヒエノドンの復元画(1920年ごろ)

食性

ヒエノドンの犬歯はイヌ科動物のものと同様に内外側に側扁しており、切り裂きに適している。このためヒエノドンは致命的な咬合を行うネコ科動物と異なり、獲物に対し浅く噛みついた可能性が示唆される[39]。H. horridusの歯のエナメル質に観察されるハンター・シュレーゲル線(英語版)はジグザグ状であり、これは当該種が骨食(英語版)性であったことを示唆する。一方でH. brevirostrisやH. mustelinusの線は歯の基部におけるうねった形状から歯の先端部におけるジグザグ状へと移行しており、これらの種は骨の消費に十分適応していなかったことが示唆される[42]。しかし、歯のマイクロウェアパターンによれば北アメリカのヒエノドンの食性はライオンのものと類似しており、主に肉とともに様々な骨を取り入れていたことが示唆される。ヨーロッパのヒエノドンのマイクロウェアはブチハイエナのものに類似しており、骨の破砕が彼らの食餌行動の大部分を占めていた可能性が示唆される[43]。H. gigasの上顎第4小臼歯の摩耗からは、歯の主要な機能が骨の破砕であったことが示唆される[22]。ただし、骨を消費する適応を示すにも拘わらず、ヒエノドンの歯はヒアイナイロウロスのものと比較すると肉を切り裂くことにより向いている[44]。2024年の研究では、ヒエノドンは歯のマクロウェアにより咬合メカニズムの効率性が向上したことが提唱された[45]。

個体発生

幼獣の標本から、ヒエノドンの歯の置換システムは非常に特殊であったことが判明している。幼獣は歯の萌出の最終段階を完了するのに3年から4年を要しており、青年期が長かったことを暗示する。北アメリカの種は上顎第1小臼歯が上顎第1大臼歯よりも先に萌出するが、ヨーロッパの種は上顎第1大臼歯の方が先に萌出する[46]。

移動運動

H. horridusの生体復元図

比較的直線に近い末節骨、短い趾骨、中間的な長い中足骨、尾側に向いた長い肘頭を持つ点から、ヒエノドンは陸棲動物と考えられている[39]。当初ヒエノドンは半蹠行と考えられていたが、趾行性と考える専門家もいた[39][40]。H. horridusの肘の形態に焦点を当てた2003年の研究では、当該種が走行性の高い捕食者であり、かつ同研究でサンプルが得られた漸新世の肉食動物の中で最も走行適応を遂げていたことが明らかにされた[47]。さらに肘形態に基づく2025年の研究で、H. cruciansとH. horridusは飛び掛かりと追跡を行う捕食者であることが判明した[48]。またH. horridusと同様にH. eminus、H. gigas、H. pervagusもまた走行性の捕食者であるとされる[49]。一方で、H. exiguusの内耳の骨迷路の研究では、当該種が半樹上性であったことが示唆されている[50]。

走行性の捕食者であるにも拘わらず、ヒエノドンはおそらく短距離で獲物を捕らえる傾向があった可能性が高い[39][51]。

脳と感覚

典型的にヒエノドンは非常に巨大な頭骨を持ちながら脳が小型であるとされてきたが、この見解は疑問視されている[52]。Flink et al. (2021)はヒエノドンの脳化指数(EQ)について、H. horridusを0.36-0.37、H. cruciansを0.42-0.46とした[52]。これは食肉目のうちピューマやシマハイエナ、Hesperocyon gregarius、Hoplophoneus primaevusなどに匹敵し、またジャガーやDaphoenus、Hoplophoneus primaevus、Eusmilus bidentatusを超過する[52]。 このように、ヒエノドン類の相対的な脳の大きさは現生食肉目および化石食肉目と重複しており、食肉目と比較して小型でないという指摘が存在する[53]。ヒエノドンのエンドキャストはEQが相対的に高い点、および脳回が発達し大脳新皮質が拡大した脳を持つ点で他のヒエノドン類から抜きん出ているが、本属がそのような進化を遂げた原因は不明である[52]。なお、他のヒエノドン類と比較して新皮質が拡大してはいたが、ヒエノドンの新皮質は中程度にしか折り畳まれていなかった[39]。

ヒエノドンの嗅球は大型であり、獲物を探索する主要な手段として嗅覚が採用されていた可能性を示唆する[39]。しかし、同程度の体サイズである新生代の肉食哺乳類と比較すると、ヒエノドンの嗅覚はそれほど鋭敏でなく、獲物の探知において不利であったと見られている[54][39]。

社会行動

ヒエノドンは群れを形成したと説明される場合もあるが[4][5][6]、新皮質が小さいことから群れでの狩りを行わなかった可能性が高いと推論する専門家も居る。また単独性の捕食者であったことを示唆するさらなる証拠として、食餌の上に排泄を行ったと見られる糞の化石証拠がある[39]。

古生態

アジア

東アジアではH. gigasが始新世後期から漸新世前期にかけて生息した[55][37]。本種はErgilin Dzo層のKhoer-Dzan産地で化石が発見されており[37]、ブロントテリウム類の化石が産することと歯冠の低い植物食動物が多産することから、当時は比較的密な森林が広がる温暖湿潤気候下にあったと当初考えられていた。しかし、霊長目の化石が多産し、ワニ形類の化石が希少であることから、同時期のユーラシア大陸の層よりも開放的かつ乾燥した環境であったと推測されている[56]。Khoer-Dzan産地の堆積学的研究では、氾濫原環境と関連する赤色土の存在を示唆する根の痕跡が発見されており、湖沼環境の存在を示唆する証拠は得られていない[57]。

当該産地内において、H. gigasは同じくヒエノドン属であるH. eminus、H. incertus、H. mongoliensis、H. pervagusと共存したほか、ニムラブス科のEofelisやNimravus intermedius、エンテロドン科のBrachyhyops trofimoviやEntelodon gobiensisといった捕食者と共存した。同時期の植物食動物には、アントラコテリウム科のBothriodon、プラエトラグルス科のPraetragulus electus、ブロントテリウム科のEmbolotherium andrewsi、カリコテリウム科のSchizotherium avitum、パラケラテリウム科(英語版)のUrtinotherium parvum、サイ科のRonzotherium orientaleがいた[58]。

北アメリカ

古第三紀の暁新世から始新世における北アメリカ大陸では、湿地帯となった亜熱帯の密林が広がり、オキシエナ科のような捕食者の生活を支持していた。しかし、始新世の中期の間にこうした環境は温帯の開けた森林に置き換わり[59]、こうした環境変動を受けてヒエノドン目やニムラブス科がオキシエナ科・メソニクス目・ミアキス上科(英語版)を置き換えることになった[51]。ヒエノドンは中期始新世においてH. venturaeとして北アメリカに初めて出現しており[55]、これはアジアから渡った結果である可能性が高い[40]。

ウィリアム・ベリマン・スコットによるH. horridusとLeptomeryx evansiの復元画(1913年)

最もよく知られている種であるH. horridusは3650万年前から3140万年前にかけて北アメリカに生息した[60]。本種はキプレス・ヒルズ層(英語版)のカルフ・クリーク産地で発見されており[61]、当該産地は産出する両生類および爬虫類の動物相に基づいて熱帯あるいは亜熱帯気候下にあったことが示唆される[62]。この産地において共存した他のヒエノドン類にはヒエノドン属のH. microdonや、ヒアイナイロウロス科(英語版)のHemipsalodon grandisがいた。同層ではアンフィキオン科のBrachyrhynchocyon dodgeiやDaphoneus、ニムラブス科のDinictisやHoplophoneus、イヌ科ヘスペロキオン亜科(英語版)のHesperocyon gregarius、クマ上科(英語版)サブパリクティス亜科(英語版)のParictisなどの食肉目哺乳類が産出している[61][36][63]。加えて、ヒエノドンはエンテロドン科のArchaeotherium、ウマ科のMesohippus、ヒラコドン科のHyracodon priscidens、サイ上科のSubhyracodon occidentalisやTrigonias osborniおよびPenetrigonias sagittatus、バク科のColodon occidentalis、ブロントテリウム科のMegacerops kuwagatarhinus、アントラコテリウム科のBothriodon advenaと共存した[63]。

カルフ・クリークに生息した捕食者は体サイズに応じてニッチ(生態的地位)分割を行っていた可能性が高い。H. horridusは体重166キログラムにおよぶ獲物を食餌として食肉目との競争を回避した。ホプロフォネウスは群れで狩りを行うことで競争圧を増大させた可能性があるが、その場合でもH. horridusは食肉目よりも幅広い範囲の体サイズの獲物を狩ることが可能であった。一方で、H. microdonは同時期の5種類の食肉目との熾烈な競争に晒されたと考えられている[36]。

樹木の根を摂食するアルケオテリウムの復元画。アルケオテリウムは北アメリカ全域でヒエノドンと共存していた。

H. horridusはサウスダコタ州に分布するブルール層(英語版)でも発見されている[64]。ブルール層の古環境は、エノキ属の木本が部分的に生育した、まばらに樹木の生えた草原および拠水林(英語版)であったと考えられている[65]。同時期の捕食者には同じくヒエノドン属のH. crucians、ニムラブス科のHoplophoneus、アンフィキオン科のDaphoneus、エンテロドン科のArchaeotherium mortoniがいた。植物食動物では初期のウマであるMesohippus、ヒペルトラグルス科(英語版)のHypertragulus calcaratus、レプトメリックス亜科(英語版)のLeptomeryx evansi、バク科のProtapirus simplexやColodon occidentalis、ラクダ科のPoebrotherium wilsoni、アントラコテリウム科のAepinacodon americanusやHeptacodon occidentale、メリコイドドン科(英語版)のMerycoidodon culbertsoniiやMiniochoerus affinisが共存した[64]。

化石証拠から、H. horridusはディニクティスや幼獣のアルカエオテリウムといった他の捕食者を捕食していた可能性がある[66][67][39]。一方で、本種は当時の頂点捕食者の一つでありながら、おそらくアルカエオテリウムの成獣に獲物を奪われることもあった[39]。

ヨーロッパ

Grand Coupure以前

偶蹄類と奇蹄類の想定される拡散経路を伴う、中期始新世におけるヨーロッパおよびアジアの古地理図

前期始新世から中期始新世にかけてヨーロッパの気候は温暖湿潤であり、熱帯から亜熱帯の閉鎖林が広がっていた。しかし、Mammal Paleogene zonesにおけるMP17bから始新世の末にかけて気候は乾燥化を開始し、森林は木本類の生育するサバナへ姿を変えた。様々なグループの肉食哺乳類が大陸に生息しており、これらにはメソニクス科(英語版)やオキシエナ科、ヒエノドン目、食肉目が含まれていた。始新世前期気候極大期(英語版)の終焉がヨーロッパのメソニクス科・オキシエナ科・ビベラブス科(英語版)の絶滅に帰結し、これによりヒエノドン目はヤプレシアン-ルテシアン境界で多様化してヨーロッパにおける支配的な捕食者のグループとなった[68]。

バートニアン期からプリアボニアン期にかけて捕食者の群集には大規模な再編が起こり、固有種が終焉を迎えた。この捕食動物相の再編は、ヒエノドン亜科やヒアイナイロウロス亜科(英語版)およびアンフィキオン科の出現によっても特徴づけられている[68]。ヒエノドンは始新世バートニアン期のMP17a頃の化石記録で初めて出現しており、この時期の同属としてH. brachyrhynchus、H. minor、H. requieniが知られる[35]。これらの種の出現は、アジアからヨーロッパへヒエノドン属が分布を拡大した結果である可能性が高い[68]。

西ヨーロッパにおいてHyaenodon requieniと共存したPterodon dasyuroidesの復元画

フランスのLa DebrugeではH. requieniが発見されている[69]。当該産地の肉食哺乳類には他にヒアイナイロウロス亜科のPterodon dasyuroidesやアンフィキオン亜科(英語版)のCynodictis lacustrisがいた。同時期の植物食動物にはパラエオテリウム科(英語版)の奇蹄類や、固有の偶蹄類(アンフィメリックス科(英語版)・アノプロテリウム科(英語版)・コエロポタムス科(英語版)・ジフォドン科(英語版))と固有でない偶蹄類(ディコブネ科(英語版)・Tapirulidae・アントラコテリウム科)がいた。哺乳類動物相に含まれる他の哺乳類には、霊長目(アダピス科(英語版)とオモミス科(英語版))、齧歯目(イスキロミス科・テリドミス科・ヤマネ科)、トガリネズミ形類(Nyctitheriidae)・トリボスフェニダ類(英語版)(ヘルペトテリウム科(英語版))がいた[69]。

Grand Coupure

西ヨーロッパに固有の哺乳類の代表格であるアノプロテリウム(英語版)。Grand Coupureにおいて絶滅した多数の固有の偶蹄類のうちの一つである。

ヨーロッパにおける始新世-漸新世絶滅事変(英語版)はMP20からMP21にかけてのGrand Coupureとして特徴づけられる。Grand Coupureにおいては気候が半湿潤気候から冷涼な半乾燥気候へ移行し、森林・湿地・マングローブが衰退した。西ヨーロッパにおいて、始新世-漸新世境界は針葉樹林や温帯の疎林、一部ではサバナが拡大したことで特徴づけられる。ヨーロッパの植物相のこの変化は、森林に代わって開けた環境が広がったこと、および当該環境が季節性を伴うものであったことを示唆する[68][70]。この大幅な気温低下は大気中二酸化炭素分圧の急激な減少と南極氷床の拡大によるものであり、海水準は約70メートル低下したと推定されている[71]。

Grand Coupureの最中には西ヨーロッパの哺乳類系統の絶滅率が60%に上昇した[72]。この動物相の入れ替わりでコエロポタムス科のような果実食(英語版)性や葉食(英語版)性の固有の偶蹄類の科が絶滅し[73]、H. requiniやヒアイナイロウロス亜科を含む複数のヒエノドン目の分類群も絶滅した[74][75][68][76][77]。Grande Coupure事変においては大型動物相の入れ替わりも起きており、アントラコテリウム科・エンテロドン科・反芻亜目(ゲロクス科(英語版)・ロフィオメリックス科)、サイ上科(サイ科・アミノドン科(英語版)・エギソドン科(英語版))、食肉目(アンフィキオン科・アンフィキノドン科(英語版)・ニムラブス科・クマ科)、東ユーラシアの齧歯目(エオミス科(英語版)・キヌゲネズミ科・ビーバー科)、真無盲腸目(ハリネズミ科)の移入が知られる[78][79][72][77]。これらの動物の到来はツルガイ海峡(英語版)の海退によりヨーロッパとアジアとが接続されたことによる可能性が高い。動物相の入れ替わりはヒエノドン目から食肉目への支配的な捕食動物のシフトによっても特徴づけられているが、ヨーロッパにおける新たな捕食者相はMP21まで出現しておらず、固有のヒエノドン類や食肉形類はMP18からMP20にかけて徐々に姿を消している。[68]。

Grand Coupure以降

後期始新世には植物相の変化が開始し、ルペリアン期がそのピークであった。この時期には旧熱帯の植物種の絶滅や落葉樹の分布拡大が見られたものの、温暖な地中海性気候から亜熱帯気候の環境を示唆する証拠もまだ存在する。しかし、ヨーロッパの大部分は乾燥した状態にあり、年間平均気温も比較的低く、砂漠に近い環境から疎林が広がっていた。Grand Coupureから200万年後にはBachitherium Dispersal Eventが生じ、ヨーロッパに初期の反芻亜目が移入した[68][80][43]。

後期始新世から前期漸新世にかけての東ユーラシアの反芻亜目の古生物地理。Grande Coupure (33.9 Ma) と Bachitherium Dispersal Event (31 Ma)における西ヨーロッパへの移入経路を図示している。

ルペリアン期末(MP24からMP25)においてはニムラブス科が絶滅し、齧歯目をはじめとする他の哺乳類の間でも多様性が低下した。これは乾燥化が進行したことによる可能性が高い[68]。H. geravisiとH. leptorhynchusはMP26にあたるSéon Saint-Andréで発見されており、当該産地はアンフィキオン科のCynelos rugosidensやPseudocyonopsis ambiguusが産している。同産地の全ての捕食者は何らかのニッチ分割を行っていたと考えられている。H. leptorhynchusはBachitheriumやMosaicomeryxといった小型の偶蹄類を[35]、より大型の捕食者はAnthracotherium cuvieriやElomeryx borbonicusといったより大型の偶蹄類やProtaceratherium albigenseやRonzotherium romaniといった奇蹄類を狩ったと考えられている。H. geravisiとPseudocyonopsisは体サイズが互いに似通っていたため、同一の獲物を巡って競争関係にあったと考えられている。ただし、ヒエノドンは走行性の高い捕食者であったため、アンフィキオン科よりも開けた環境を好んだ可能性が高い[35]。

漸新世の末には機構の季節性が増大し、乾季と開放的環境が特徴的となった[68][81]。ただし、一部の専門家は湿潤性はプリアボニアン期ほど高くなかったとしつつも、閉鎖林や温帯 - 亜熱帯環境がヨーロッパに存在したと指摘している[82][68]。こうした矛盾は、後期漸新世のヨーロッパがモザイク状の環境を呈していたことを支持する[68]。MP28頃には反芻亜目が森林環境からより開けた環境へ移行したMicrobunodon Eventが起きており、これは後期漸新世の温暖化とアルプス造山運動による可能性が高い[83][68]。MP27からMP29にかけては多数のイヌ型亜目が出現しており、これらにはイタチ科やレッサーパンダ科および大型のアンフィキオン科が含まれる。Ysengriniaのような大型のアンフィキオン科の出現は、西ヨーロッパが樹木を伴うサバナのようなより開放的な環境であったことを示唆する[68][35]。

絶滅

始新世の中期から後期にかけてヒエノドン目は多様性を減少させ、北アメリカにおいては始新世末に数種が生き延びるのみとなった[84]。北アメリカにおける最後の種H. brevirostrusは漸新世の後期に姿を消した[85]。ヨーロッパにおける最後の種はH. exiguus と H. leptorhynchusであり、これらは漸新世後期のMP30で最後の化石記録が知られている[35][86]。東アジアにおける最も新しい時代の種であるH. weiliniは中華人民共和国に分布する下部中新統から化石が産出しており、約1700万年前に絶滅した[22]。2026年時点で最も新しいヒエノドン属の化石は、約1140万年前にあたるパキスタンの上部中新統から産出したものである[87]。

ヒエノドンの絶滅した原因は専門家により議論されている。大脳新皮質の解剖学的特徴から、環境変動に適応する能力やより大型の脳を進化させた獲物を狩る能力を欠いていたとする研究者もいる。しかし、新皮質の皺の度合いを機械的に知性に紐づけることができるわけではないため、この見解には異議が唱えられている[39]。多くの研究者はヒエノドンの絶滅がアンフィキオン科やヘスペロキオン亜科(英語版)やハイエナ科といった食肉目との競争に原因を求めている[51][84][88]。Lang et al. (2021)は、食肉目が進化史を通じて特殊化を遂げていなかったがためにヒエノドン目と比較して成功したこと、および、食肉目がその高い適応能力で以てヒエノドン目の絶滅に寄与した可能性があることを提唱した[89]。

Friscia and Valkenburgh (2019)は、北アメリカにおいて「肉歯目」が食肉目の進化を制限しなかった一方で食肉目が「肉歯目」の進化を制限した可能性があるとし、一部の「肉歯目」が持つ大型の超肉食動物としての特性は食肉目に対する最後の抵抗であったと主張した[84]。Serio et al. (2024)は北アメリカの「肉歯目」が顕著な形態的差異を示す時代が中新世中期までであり、またそれと同時期に食肉目の差異が増大していることを明らかにした。またSerio et al. (2024)は食肉目の多様性が「肉歯目」の多様性に不利に働いた可能性を主張し、食肉目が競争的にヒエノドン目に取って代わったという仮説を支持した[88]。

しかし、北アメリカにおける競争的な置き換わりは数多くの研究者によって疑問視されており、そうした研究者はヒエノドン目の絶滅が競争よりもむしろ非生物的な環境変動に対応すると主張している[48][36]。Christison (2025)は、共存した食肉目との重大な競争を経験したヒエノドン目の動物が小型の種であるH. microdonのみであることを指摘した。H. horridusやHemipsalodonといった最大級のヒエノドン目の動物はほぼ競争を経験しなかったか、あるいは競争が皆無であった。これは食肉目との競争が始新世後期における北アメリカでの絶滅の主要な原因になりえなかったことを示唆しており、ヒエノドン目の高度に特殊化した生態的地位により絶滅率が向上したと主張された。漸新世前期に起きた地球寒冷化により、生態系はより乾燥して開けたものに変化し、ブロントテリウム科といった大型のブラウザー(選択的採食者)は絶滅を迎えた。ブロントテリウム科と置き換わるように台頭したウマ科やサイ上科は開けた環境により適応したが、サイ上科は中新世に入るまで大型動物に足るまで大型化せず、そのため超肉食性の大型ヒエノドン目が食餌とするような大型植物食動物の生態的地位は空白となった。さらに、ヒエノドン目の比較的短い四肢は開放的な環境における足枷となった可能性があり、絶滅に拍車をかけた可能性が高い[36]。Castellanos (2025)は、ヒエノドン目が走行性への適応を示すにも拘わらず四肢の遠位部が短いことから、アンフィキオン科ほど開放的環境を利用できなかったとし、これがヒエノドン目の多様性低下と絶滅に帰結した可能性があると提唱した[48]。

ヨーロッパにおいても、Grand Coupure以前のヒエノドン目が食肉目よりも高い多様性を持っていたため、ヒエノドン目が食肉目により競争的に置き換えられた証拠が無い[68]。加えて、ヒエノドンとアンフィキオン科動物は互いに異なる環境を好んでいたことが推論されており、走行性の高いヒエノドンは開放的環境に、そうでないアンフィキオン科は森林環境に生息した可能性があるとされる。これにより2種類の捕食者の間での競争は制限され、気候変動がヒエノドンの絶滅の原因であることが示唆された[35][90]。MP30およびMN1の時代は乾燥化が進行する冷涼な気候下にあり[91][92]、齧歯目のTheridomorphaなおの動物が絶滅した[91]。走行性の高い捕食動物として解釈されているにも拘わらず、ヨーロッパのヒエノドンは開放的な環境が拡大したことによって資源へのアクセスが減少し絶滅を迎えた[35]。

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