ヒロミ

日本のタレント From Wikipedia, the free encyclopedia

ヒロミ1965年昭和40年〉2月13日[3] - )は、日本お笑いタレント司会者実業家レーサーYouTuber東京都八王子市出身[2]。本名は小園 浩己(こぞの ひろみ)[1]

本名 小園 浩己(こぞの ひろみ)[1]
生年月日 (1965-02-13) 1965年2月13日(61歳)
血液型 A型[3]
概要 ヒロミ, 本名 ...
ヒロミ
本名 小園 浩己(こぞの ひろみ)[1]
生年月日 (1965-02-13) 1965年2月13日(61歳)
出身地 日本の旗 日本 東京都八王子市[2]
血液型 A型[3]
身長 175 cm[3]
言語 日本語
方言 標準語首都圏方言
師匠 星セント
トリオ名 B21スペシャル
相方 デビット伊東
ミスターちん
芸風 コント
立ち位置 真ん中
事務所 ビィー・カンパニー
活動時期 1986年 -
同期 お笑い第3世代
現在の代表番組 MC/レギュラー番組
ヒューマングルメンタリー オモウマい店
過去の代表番組笑っていいとも!
ボキャブラ天国シリーズ
モグモグGOMBO
発掘!あるある大事典
ろみひー
8時だJ
火曜サプライズ
ウチのガヤがすみません!
バイキング
東大王
など
他の活動 実業家会社役員
配偶者 松本伊代1993年[4] - )
親族 小園凌央(長男)[5]
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
ザ・テレビ演芸』第4代チャンピオン
ゴールデン・アロー賞」 芸能新人賞
『第28回小学館・DIMEトレンド大賞「特別賞」』[19]
「リカベニストアワード2015」受賞
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活動期間 2019年 -
登録者数 134万人[6]
概要 Hiromi factory チャンネル, YouTube ...
Hiromi factory チャンネル
YouTube
チャンネル
活動期間 2019年 -
ジャンル お笑い 家族 DIY ライフスタイル 趣味
登録者数 134万人[6]
総再生回数 282,259,126回[6]
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年9月22日時点。
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株式会社「ビィー・カンパニー」代表取締役社長[7]プロダクション人力舎への所属を経て、ビィーカンパニーを設立。マネジメント業務は田辺エージェンシーが担当した後、2008年からはプロダクションノータイトル。トレーニングジム「スタジオ51.5」[8]代表。オンラインショップ「ハチオウジ工務店」[9]社長。「芸能文化人ガンクラブ」[10]会長。八王子会代表。お笑いトリオ「B21スペシャル」のリーダーであり、関東を代表するお笑い第三世代

妻は歌手・タレントの松本伊代[4]、長男は俳優の小園凌央[5]。八王子出身の芸能人で構成する八王子会の代表。2021年11月10日から工機ホールディングスジャパン株式会社(旧日立工機)のCCO(最高商務責任者(Chief Communication Officer))を務める[11]

来歴

実家は工務店を営んでいた[12]。少年時代は照れ屋でおとなしく優しい性格だったが、兄が不良だったこともあり、中高校生当時は暴走族「八王子スペクター」の一員となり、八王子を拠点に活動していた。しかし18歳の夏に友人2人を乗せた自動車で大事故を起こした結果、内臓破裂による一時重体で生死の境をさまよう。この時、医者から家族にも「諦めてください」と伝えられたが、内臓(脾臓)を1つ摘出する長時間の難手術の末に一命を取り留める[13]。このことから母親に「あなたは長生きできないかもしれないから、好きなことをしなさい」と言われ自身も「好きなことをしよう」と、入院中にバラエティ番組を見て、自分でもやれると確信し、お笑い芸人になることを決意。

1985年お笑い芸人になるために、都内のホストクラブに勤務していたヒロミは、同僚の中からルックスの良いアイドル志望の伊東努(デビット伊東)と、ミュージカル役者&ダンサー志望だった三宅康敏(ミスターちん)に声を掛け、必死で彼らを口説き落としてお笑いの道に引き込む。こうして1986年コントグループB21スペシャルを結成。オシャレ感のない当時の若手芸人らとの区別をするため、衣装はDCブランドにしようというのはヒロミの発案であった。

その後、アルバイト先の新宿のショーパブの客から、ビートたけし星セントを紹介された。敢えて尊敬するビートたけしではなく星セントを選び師事。その理由は「この3人で勝負したかったから」だという。最初の新宿のショーパブから、当時最も人気が高く、事務所やテレビ関係者が訪れていた六本木のショーパブ「バナナパワー」に移籍後に評判となった。店のスタッフがグッズを製作するなど、他の出演芸人が羨むほどのバックアップを受け(浅草キッド談)、新人ライブで勝ち抜いて名を馳せて行く。本格的にテレビ界へ進出すべく、横山やすしが司会を担当していた演芸番組『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)に出演。「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」にて10週連続で勝ち抜き、第4代目チャンピオンを獲得した。最終週で披露したネタ「六本木ステーション」は、審査員を担当していた糸井重里に「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめる。結果的に、下積み時代がほとんど無く、B21スペシャルはアイドルのような見た目とテンポの良いコントで評価され、視聴者に広がった。ヒロミ自身、一度死にかけた経験からか怖いもの知らずであったことから、先輩にも毒舌を繰り出し、強気のツッコミを武器にテレビの世界で人気を博す。

さらに1988年頃から巻き起こったお笑い第三世代ブームに乗り、一躍、西のダウンタウン、東のウッチャンナンチャンと並ぶ人気お笑いグループとなった。当時、ダウンタウン・ウンナン・B21の3組の持ち回りでレギュラーの入れ替えが行われる番組が多くあった。1990年ゴールデン・アロー賞芸能新人賞を受賞した。同年、歌手としてテイチクレコードから『お世話になりました』をリリース。1991年『ふざけろ!』で映画主演デビューも果たす。

この頃、すでに多くのレギュラー番組や冠番組を抱え、飛ぶ鳥を落とす勢いのヒロミたちであったが、1991年9月放送の自身のバラエティ番組『1or8』(フジテレビ)にて、大量のロケット花火を背負って宇宙へ行こうという企画「ヒロミ宇宙へ」に挑戦した際、僅かに浮き上がるも、熱傷深度III度の大火傷を負って入院し、またも生死を彷徨うことになる。この事故の影響で、番組も打ち切りとなったが、懸命のリハビリの末に復帰した。この時に支えてくれたのが木梨憲武とんねるず)や藤井フミヤであった。

1992年、デビュー時から所属してきた人力舎から独立。ヒロミを代表取締役とした個人事務所「ビィーカンパニー」を設立。マネジメント業務は田辺エージェンシーが担当した。この頃、ヒロミがメンバーと社員の給与を払うため、これまで断ってきたピン芸人としての仕事も引き受けるようになり、番組の司会者への抜擢が多くなる。

1993年11月12日[14]、『流行笑会』で共演し、交際していた松本伊代と結婚[15]。なお、この披露宴での引き出物はまな板だった[16]1995年には第一子小園凌央が誕生した。

2004年7月24日から25日にかけて放送された『FNS27時間テレビ』のコーナー「生・笑わず嫌い王決定戦」で、10数年ぶりにB21スペシャルとして復活しコントを披露した。しかしこれと同時期にごく一部のゲスト出演などを除いて芸能界から姿を消す。この大きな理由としては親友だった吉野晃章の病死でショックを受けたことを挙げている[17][18]。芸能界から離れたヒロミは、加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営などに従事。芸能活動休止までの間は天狗になっていたが、経営者として仕事をするうちに、ヒロミは優しさや労いの気持ちを持つようになった[19]2014年以降、テレビバラエティに本格復帰[20]。前年9月に東京オリンピックの開催決定した事が転機になったと語っている[21]。また、休業中も連絡を取っていた中居正広から「いい加減にテレビ出たらどうですか?」と復帰を勧められていたことも関係しており[19]、復帰直後からの節目で共演している。

人物・芸風

  • 若手時代から、MCの番組や冠番組を任されており、現在でも司会者として多くの番組を持っている。お笑い第三世代ブーム時に関東の代表的な芸人の1人。芸風は先輩芸人やタレントにもタメ口や呼び捨て、愛称、ちゃん付け[注 1]などの尊大かつ上下関係や礼儀を一切考慮しないように接する芸風が特徴[注 2]。大物にも容赦ない言動で強烈なツッコミを行うスタイルで注目を浴びた。芸能活動再開後、持ち前のトーク力と毒舌の中に優しさ、後輩たちへの男気がある芸風となっている。
  • 芸能界では、木梨憲武や藤井フミヤとは公私ともに家族ぐるみで非常に仲が良く「憲ちゃん」、「フミ」と呼ぶ程である。互い親友や親戚と語っている。
  • ジャニーズの番組もMCを担当していた事もあり、『8時だJ』(テレビ朝日)で共演した滝沢秀明(元ジャニーズアイランド社長)からは「棟梁」と慕われ、元SMAPの中居正広や松岡昌宏TOKIO)などもヒロミの喋り方やトークを真似しており、「兄貴」や「師匠」と呼び、最も憧れた存在にヒロミを挙げている。AKB48にも携わっており秋元康とも仲が良い。
  • 八王子出身者からも慕われ、八王子会を定期的に開催している。また、八王子会の公式YouTubeチャンネル[22]も後に開設され、八王子市のライバル都市である立川市に関する話題も行っている[23]
  • 非常に多趣味として有名であり、射撃、DIYやアウトドア、ゴルフ、マリンスポーツ、レーシングドライバー、バイクなど。所持ライセンスは多く、小型2級船舶、特殊船舶免許、カリフォルニア州自動車免許、銃所持許可証、大型自動二輪、スカイダイビング2級ライセンス、スノーボード検定2級、スキューバーダイビングオープンウォーター、ライフセーバーライセンスと多彩。火傷事件のリハビリのために始めたものが多いことは知られていない。
  • 子役や新人タレントなどには親切に接しており、芸能界にデビューしたてだった水野裕子は初レギュラーだった番組で世話になったことから、恩人としている。鈴木紗理奈はデビュー当時、誰も知らない自分にネタを振ってもらい、大恩人と語っている。木村卓寛天津)が仕事がないと困っていたところ、専属運転手として雇われ、番組に呼んだりもしている。
  • 暴走族(八王子スペクターに所属していた)で、本人も過去の出来事を話すなど、それをよくネタにしている。恐喝などの話をネタにすることが多かった[24]。同じ時期に活動していたブラックエンペラーの宇梶剛士が芸能界入りしたことに非常に驚いたと語っている。

事業活動

溶岩浴加圧トレーニングジムを経営している。年収は3億円とも言われ、タレント全盛期時代より稼いでいるとの話もあったが、司会者当時の月収は6000万と言われており、これには及ばない[25]。また、アパレル事業(ハチオウジ工務店)などのビジネスを展開しているほか、様々なコラボ商品も販売している。

YouTube活動

2019年12月2日に『Hiromi factory チャンネル』を開設し[6]YouTubeでの活動を開始。主に趣味、バラエティ、ライフスタイル、家族らとの交流などの動画を発信しており、中高年の男性から絶大な支持を受けている。

歌手活動

B21スペシャルとして、井上順お世話になりました」のユーロビートアレンジ(サウンドプロデューサー/アレンジは崎谷健次郎)のカバーでデビュー。また「1or8」のエンディングで、「ダウンタウンウンナンバンド」名義でザ・モップスたどり着いたらいつも雨降り」→田原俊彦哀愁でいと」→Wink愛が止まらない」をカバーしている。

受賞歴

レーシングドライバーとして

  • レーシングドライバーの経験もあり、スーパー耐久SUPER GTなど、主にツーリングカーレースを主体に活動していた。
  • 2001年ネッツカップアルテッツァシリーズに参戦した2002年脇阪寿一脇阪薫一と共にスーパー耐久にオーナー兼任で参戦している[28]
  • 2003年GC-21に参戦した[29]
  • 2004年には、保阪尚希岩城滉一らとレーシングチーム(フィールズレーシングチーム)を結成。
  • 全日本GT選手権(JGTC、現SUPER GT)には、2004年はチーム外国屋から参戦したが、予選の基準タイムを通過出来ない時もあり、本戦でのリタイアも多く、ポイントを獲得できなかった。2年後の2006年にもジムゲイナーレーシングから再び参戦したが、フル参戦しているチームとしては唯一、ノーポイント(入賞なし)でシーズンを終える。
  • 2005D1GPお台場エキシビジョンマッチにゲストとして審査員を務めた。本人もD1に興味を持って密かに練習し、レース関係者を集めたORCオールスタードリフトドリームマッチに毎年参戦していた。
  • 2007年以後はしばらくレース活動を控えていたが、2013年には哀川翔率いる「FLEX FEDERAL SHOW AIKAWA Racing」からアジアクロスカントリーラリーに参戦し、久々にレース活動を再開した。同ラリーでは途中、トラブルやガス欠によるビバークに遭いながらも、総合14位で完走した[30]

エピソード

  • B21スペシャルでデビュー当時、横山やすし司会の『ザ・テレビ演芸』にてコントを披露し、関西弁を少しバカにするようなツッコミを入れた際、横山からネタ中に乱入され「なめとんか!」と蹴られたものの、ヒロミは「この人、何なんだろう」と当惑。アドリブで「おじさん、ちょっとそっち座ってな」と言ってコントを続行しようとしたところ、「お前いい根性しとる」「お前、おもろい」と気に入られた。そこから10週勝ち抜き、審査員が選ぶ前にその前にやすしが『お前の勝ちや』と言い、それで勝利が決まっていた。その後も、やすしから気に入られ、食事を奢られる程。
  • 八王子出身者から慕われており、八王子会の代表を務めている。メンバーはフワちゃんROLAND児嶋一哉アンジャッシュ)、菊地英昭英二兄弟(THE YELLOW MONKEY)、ファンキー加藤FUNKY MONKEY BΛBY'S)、マキシマム ザ ホルモンの4人、高橋みなみなどがいる。基本的に芸能界に八王子出身者なら誰でも入れるので、正確な入会者は不明だが、この他にもメンバーはまだまだいるとの事。しかし、渡部建(アンジャッシュ)は入会拒否されており、その後に渡部の不倫騒動が発覚し、予言していたのではないかと噂が広まった。またヒロミの妹が渡部の相方・児嶋一哉と同級生である縁でヒロミに弟子入りを頼んだが、弟子は取っていなかったため、当時ヒロミが所属していた人力舎の養成所が設立されるとの事で、養成所を勧め紹介した。
  • 20代前半から木梨憲武藤井フミヤとは、家族ぐるみで非常に仲が良く、「親友」「親戚」と語っており、3人の番組もやっていた。
  • 父親は鹿児島県出身であり、浜田雅功(ダウンタウン)の父親と同級生であった[31]。鹿児島で父親同士が同窓会のために帰郷した際、その会合の席で家族の話題を出したときに互いの息子が芸能界で活動していることが判明したという[31]
  • 同じ第三世代としてダウンタウンやウッチャンナンチャンなど、不仲説など囁かれたが、実際には浜田雅功や内村光良などと一緒にゴルフや食事などよく行っていた。一方デビット伊東ミスターちんには『ダウンタウン、ウンナンとは絶対喋るな』と話していたらしく、後に共演した際に明かされた。[32]。浜田とは2人で司会の番組などもある。誕生日が出川哲朗南原清隆と同じ2月13日である。
  • TOKIOの松岡昌宏は自身のラジオ番組で、最も影響を受け、師匠と呼べる人はにヒロミを挙げている。『~なのよ』など、喋り方はヒロミに影響を受けている。10代の頃になりたいポジションの芸能人を考えた時、一番なりたかったポジションがヒロミであり、ヒロミの様な人になりたかったと語っている。中居正広もバラエティ番組で憧れの存在にヒロミを挙げている[33]
  • 当時、司会を務めていた『パラダイスGoGo!!』(フジテレビ)のコーナー「わくわくパンクカラオケ選手権」では、素人ゲストが観客席に飛び込み乱闘騒ぎになった際、これ以上は危ないと察知し、司会自らが乱入し、乱闘を止めた。
  • B21の冠番組『1or8』内の企画「ヒロミ宇宙に行く」で背中に背負った大量のロケット花火の火花が下半身に当たって大火傷し、生死を彷徨い退院後の初めてのコメントは『地球は青かった』である。
  • 芸能・文化人射撃愛好会『芸能文化人ガンクラブ』3代目会長。森繁久彌三橋達也三船敏郎が立ち上げ、初代会長は森繁久彌。2009年からは高木ブーが2代目会長を引き継いだが2019年に退任し顧問となり、2020年以降はヒロミが引き継いでいる。
  • 12年ぶりにトーク場組徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した際、過去に黒柳徹子に向けた毒舌を謝罪した。当時、クイズ番組の本番中にヒロミは「うるせえなババア」と発言し、黒柳は「私ね、テレビに出て初めて、クイズの隣にいらした方から、私は何も言わないのに『うるせえなババア』と言われてね。本当のババアにババアって言ってどうするって思った」と今では冗談混じりに語っている。
  • 東大王の林輝幸の愛称「ジャスコ林」の名付け親でもある[34]
  • 八王子出身の政治家である萩生田光一とは懇意にしており、2020年にはテレビ番組にて萩生田の内閣入りを熱望した[35][36]
  • 2025年11月に番組で31年前の妻の松本伊代との披露宴には1000人以上の招待客がいたことを明らかにした。その中には、明石家さんま・ビートたけし・タモリなど錚々たる芸能人もいたと明かした[37]

出演

テレビ番組

現在の出演番組

レギュラー出演
不定期出演

過去の出演番組

レギュラー・準レギュラー番組
特番
現在
過去

ラジオ番組

Web番組

  • ヒロミの“ヒロはまだ50だから〜”(2015年7月18日、ニコニコ生放送) - MC
  • ヒロミのバイク解体SHOW(2016年3月16日・4月20日・5月20日、ニコニコ生放送) - MC
  • いつでも!どこでも!地上波で出来ない!(2019年1月25日、AbemaTV) - MC
  • 和田アキ子 史上初の誕生会生中継(2019年4月10日、AbemaTV) - ディレクション[44]
  • 芸人代理戦争(2019年4月29日、AbemaTV) - オーガナイザー[45]
  • ヒロミ・指原の“恋のお世話始めました”(2020年10月30日 - 2023年9月29日、AbemaTV) - MC
  • ガチバトGOLF(2022年1月4日・2月4日・3月4日、YouTube[46][47][48]U-NEXT

ドラマ

映画

  • ふざけろ!(1991年、松竹) - 主演・村上薫 役(主演・B21スペシャル)
  • 中指姫 俺たちゃどうなる?(1993年、松竹
  • 30 - thirty -(1997年、パル企画) - レストランのスタッフ 役
  • 調布空港(2006年、ネオ・インデックス)
  • シャーロットのおくりもの(2006年、UIP) - ガチョウのゴリー 役(吹き替え)

オリジナルビデオ

CM

ディスコグラフィ

DVD

  • 163 channel 時遊人 DVD「ReSTART vol.1」(2010年8月30日、ビィーカンパニー)

CD

The Flying Oysters featuring HIROMI
  • シングル「振り向け」(1996年8月7日、東芝EMI TODT-3807)
  1. 振り向け (作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童
  2. 青春すきま風 (作詞・作曲:宇崎竜童) - ダウン・タウン・ブギウギ・バンドのカバー
THE ヒロミと茶番
  • シングル「ビンテージ」(2001年2月8日、J-1・REC/PIONEER LDC JOCL-0006)
  1. ビンテージ
  2. 人間バカ
  • シングル「イッテコイノチャラ」(2001年7月18日、J-1・REC/PIONEER LDC JOCL-0008)
  1. イッテコイノチャラ
  2. 奇跡の起し方
ヒロミ

配信

藤井フミヤ&憲武とヒロミ
木梨憲武&ヒロミ&所ジョージ
  • 「空を見上げた」(2023年12月6日、YVS Records)
  • 「いちにちごとに」(2024年2月6日、YVS Records)
ヒロミ
  • 「多摩地域南部の唄」(2024年2月6日、YVS Records)

未発売曲

ヒロミ

著書

レース戦績

全日本GT選手権/SUPER GT

さらに見る 年, チーム ...
チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
2004年 TEAM GAIKOKUYA ポルシェ・911 GT3 GT300 TAI
Ret
SUG
23
SEP
20
TOK TRM
18
AUT
23
SUZ
24
NC 0
2006年 JIM GAINER フェラーリ・360モデナ GT300 SUZ
19
OKA
16
FSW
Ret
SEP
14
SUG
Ret
SUZ
Ret
TRM
19
AUT FSW
22
NC 0
閉じる

脚注

関連項目

外部リンク

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