ピイ

ミャンマーの都市 From Wikipedia, the free encyclopedia

ピイピー[1]ピィ[2]とも; Pyay, Py; ビルマ語: ပြည်(မြို့)ALA-LC翻字法: Praññʻ (mrui')、IPA: /pjì mjo̰/ ピー・ミョオ)は、ミャンマー中部バゴー地方域の都市。エーヤワディー川(旧称イラワジ川)に面し、ヤンゴン(旧称ラングーン)の北西260kmに位置する。 [3] シュエサンドーパゴダ英語版ရွှေဆံတော်ဘုရား)の街として知られている。 人口は2014年時点で約25.1万人

ピイ
人口(2014現在)
概要 ピイ ပြည်မြို့, 位置 ...
ピイ
ပြည်မြို့
ピイ
ピイ
位置
ピイの位置(ミャンマー内)
ピイ
ピイ
ピイ (ミャンマー)
ピイの位置(東南アジア内)
ピイ
ピイ
ピイ (東南アジア)
座標 : 北緯18度49分01秒 東経95度13分05秒
行政
ミャンマーの旗 ミャンマー
 地方域 バゴー地方域の旗 バゴー地方域
  ピイ
人口
人口 (2014現在)
  市域 251,145人
その他
等時帯 ミャンマー標準時 (UTC+6:30)
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旧称はプローム: Prome[1]

歴史

1910年のストランド道

640年、ビルマ人の最初の国家であるスリ・クセトゥラ王国が建国された。首都のスリ・クセトゥラはピイの近くに有った。46km2の都市を城壁が囲む、東南アジア最大の城壁都市だった。エーヤワディー川デルタの発達と、モン人・タイ人の侵攻によって王国は衰退した。 [4]

1057年パガン王朝初代王であるアノーヤターがミャンマー南部を征服し、スリ・クセトゥラ遺跡を破壊した。ピイはピュー人発祥の地と言われている。

1825年第一次英緬戦争プロームの戦いでピイは一度占領された。

1853年第二次英緬戦争によってピイはイギリス領となり、プロームと改名された。

1862年、火事で壊滅し、道路しか残らなかった。

1874年、自治体に昇格した。イギリスはイラワジ小艦隊社を設立し、上ビルマ下ビルマの水上輸送を発展させた。

1942年プロームの戦いによって日本軍が占領した。

1945年5月、イギリス軍が占領した。

画像

脚注

関連項目

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