ピサSC
イタリアのサッカークラブ
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ピサSC(Pisa Sporting Club)は、イタリア・トスカーナ州ピサに本拠地を置くサッカークラブ。2025-26シーズンは、セリエAに登録されている。
| ピサSC | |||
|---|---|---|---|
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| 原語表記 | Pisa Sporting Club Società a responsabilità limitata | ||
| 愛称 | I Nerazzurri (黒と青) | ||
| クラブカラー |
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| 創設年 | 1909年 | ||
| 所属リーグ | セリエA | ||
| 所属ディビジョン | 1部 | ||
| ホームタウン | ピサ | ||
| ホームスタジアム |
アレーナ・ガリバルディ - スタディオ・ロメオ・アンコネターニ | ||
| 収容人数 | 12,508人[1] | ||
| 代表者 |
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| 監督 |
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| 公式サイト | 公式サイト | ||
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| ■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ | |||
歴史
黎明期
クラブの発足は1908年冬、サン・パオロ・ア・リーパ・ダルノ教会の広場で若者たちが布を丸めたボールとゴールに見立てたコートで遊び出したことから始まった。1909年4月9日、彼らは ピサSC (Pisa Sporting Club) を設立。クラブカラーは当初、市旗に倣った赤と白だったが、1909-10シーズンのスクデットを獲得したインテルへの敬意を表し、1910年に黒と青に変更された。

当時のピサには、大学生が設立したピサFC (Pisa FootBall Club) も存在していたが、ピサSCとの混同を避けるためアルフェアFC (Alfea FootBall Club) に改名した。両クラブの間には強いライバル関係が生まれ、1912年1月28日に市の代表を懸けた試合が行われた。この試合に敗れたアルフェアFCは解散したが、一部の選手はピサSCに加わった。
第一次世界大戦後の1919年10月26日にはアレーナ・ガリバルディが開場し、ハンガリー人監督のヨーゼフ・ギングを招聘したことで、ピサに高度なサッカーの知識がもたらされた。
1920年代〜1960年代
1921年、コッパ・トスカーナを制し、7月3日にボローニャで行われた中南部王者決定戦でライバルのリヴォルノに1-0で勝利し、スクデット獲得寸前まで迫った。7月24日にトリノで行われた決勝戦では、北部の強豪プロ・ヴェルチェッリ相手に善戦したが2-1で敗北。ホームアドバンテージ(ピサよりもヴェルチェッリに近いトリノを中立地としたこと)やアレッサンドロ・ランピーニのウーゴ・グネルッチに対するファウル(脛骨骨折で負傷退場)などに抗議を申し立てたがクラブの主張は却下された。
1920年代末、ピサは3部リーグにまで降格した。その間、アレーナ・ガリバルディは最大7,000人を収容できる近代的な競技場へと改装された。
1934年にセリエBに昇格。1936年にクラブ名をACピサ (Associazione Calcio Pisa) に変更した。戦後、リーグ再開時に再び旧称に戻り、セリエCに登録された。1946年にセリアBに昇格したが、1952年にセリエCに降格し、その後4部リーグにまで降格した。
1955年12月5日、遠征先のファブリアーノからの帰路で、ピサSCの選手たちを乗せたバスが事故に遭い、多くの選手が負傷した。クラブはユース世代の選手主体でリーグ戦を戦わざるを得なくなり5部に降格した。1957年6月2日、最終節で首位グロッセートに勝利し、4部リーグへ復帰した。
1963年、ジュゼッペ・ドナーティが会長に就任し、ウンベルト・ピナルディを監督に迎えてチームを再編。1964-65シーズンにセリエC優勝を果たし、13年ぶりにセリエB昇格を達成した。
1967-68シーズンには上位争いを繰り広げたが、残り2節でヴェネツィア戦に敗れ、昇格の行方は最終節に持ち越された。このシーズンは21チーム編成で各クラブに休養週があり、ピサは丁度最終節が休みだった。1968年6月23日、ペルージャ対バーリの試合結果が引き分けに終わったことで、セリエA昇格が決定した。来シーズンに向けてスタジアムの改修が進められたが、セリエAに定着することはできず1シーズンで降格した。1971年、セリエCに降格し、再び苦しい時期を迎えた。
アンコネターニ時代
1970年代の多くをセリエCで過ごしたが、1978年の夏にロメオ・アンコネターニが会長に就任すると翌年にセリエBに復帰。彼の手腕により1982年6月13日、13年ぶりにセリエAまで登りついた。しかし、1990年まで昇降格を繰り返すエレベータークラブとなった。この時期、ドゥンガやディエゴ・シメオネといった選手が欧州でのキャリアをスタートさせており、育成型のクラブとして注目を集めた[2]。
1990-91シーズン終了後にセリエBに降格し、3シーズンをセリエBで過ごす。1994年6月14日、サレルノで行われたアチレアーレとの入れ替え戦でPK戦に敗れ、セリエC1に降格が決定した。予期せぬ降格の余波を受けて財政難に陥り、1994年8月にプロリーグから除外された。 破産を受け、クラブは1994年にACピサ (Associazione Calcio Pisa) として再設立され、エッチェッレンツァ(当時の6部リーグに相当)からの出発を余儀なくされた。以降、セリエBにすら所属できない低迷期が20年以上も続くことになった。
ピサ・カルチョ
1995年にピサ・カルチョ (Pisa Calcio) に改称。全国アマチュア選手権(CND)への出場権を獲得し、1996年にはセリエC2、1999年にC1に昇格を果たした。2000年4月、コッパ・イタリア・セリエCの決勝でアヴェリーノを下し初優勝を飾った。
2002年5月14日、マウリツィオ・ミアンがCEOを務める「ギュンター・リフォーム・トラスト(Gunther Reform Trust)」が経営権を取得し、ミアンの愛犬でジャーマン・シェパードの「ギュンター4世」が名誉会長に就任した。以降、ギュンター4世はアレーナ・ガリバルディでの試合中にチームを鼓舞するかのようにピッチに向かって吠える姿がしばしば見られた。 2002–03シーズンは、昇格プレーオフ決勝に進出したが、アルビーノレッフェに延長戦の末敗れ、昇格を逃した。この時期、リヴォルノのウルトラスが「ギュンターに毒入りミートボールを」と書かれた横断幕を掲げて挑発した。その後、2シーズン連続で中位に終わると、2005年にミアンはクラブを売却した。
2005–06シーズン、昇格候補の一角と目されたものの、チームは一貫して苦戦を強いられ、シーズン終盤には降格圏に沈んだ。最終的に15位に終わり残留プレーオフに回ることとなり、マッセーゼとの残留決定戦に臨んだ。アウェーでの第1戦は0-1で敗れたが、ホーム第2戦はエディ・バッジョの決勝ゴールにより2-1で勝利し、辛くもセリエC1残留を果たした。
新監督ピエロ・ブラーリアの下で再起を図った2006–07シーズンは昇格争いに加わるまでに復調。最終的に3位でシーズンを終えると、昇格プレーオフ準決勝でヴェネツィア、決勝でモンツァを破り、13年ぶりとなるセリエB昇格を果たした。
2007-08シーズンには、ジャンピエロ・ヴェントゥーラがブラーリアに代わって監督に就任した。当開幕前には中位から下位に沈むと予想されていたものの、下馬評を覆す快進撃を見せ、アレッシオ・チェルチ、ホセ・カスティージョ、ヴィタリ・クトゥザウからなる強力な攻撃陣を武器に、自動昇格圏争いに加わった。最終的にリーグ戦を6位で終え、昇格プレーオフに進出したが準決勝でレッチェに敗れ、昇格はならなかった。
2008–09シーズンはクラブ創立100周年にあたり、ローマの実業家ルカ・ポンポーニに買収されるなど転換点となった。当初、新監督としてアレッサンドロ・コスタクルタを招聘しようとしたが失敗し、結局ヴェントゥーラが続投した。さらに、チェルチ、カスティージョ、クトゥザウら主力が退団し戦力が低下したチームは、前年の成績を再現できなかった。2009年3月にヴェントゥーラが成績不振により解任された時点で中位に低迷していた。ブルーノ・ジョルダーノが後任となったが結果は振るわず、チームは順位を落とし続け、最終的に18位となりレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネへの降格が決まった。
2009年7月、財政難が露呈したため2度目の破産に至った。
ACピサ1909
2009年7月23日、クラブはACピサ1909 (Associazione Calcio Pisa 1909 Società Sportiva Dilettantistica) として再設立され、セリエDからの再出発を余儀なくされた。
2009–10シーズンにセリエDで優勝し、レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネへ昇格した。その後、マントヴァやガッリーポリの破産により生じた空席を埋めるため、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネへの参加が認められた。
2016年6月12日、ジェンナーロ・ガットゥーゾ監督率いるチームは昇格プレーオフでフォッジャ(2試合合計5-3)を破り、7年ぶりにセリエB昇格を果たしたが、1シーズンでセリエCへ降格した。
2018-19シーズンはリーグ戦3位でプレーオフ出場権を獲得した。カッラレーゼ、アレッツォ、トリエスティーナに勝利し、セリエB昇格を決めた。
2019-2020シーズンは、14勝12分け(49得点)の成績を残し、エンポリとフロジノーネと勝ち点で並んだ。しかし、直接対決の成績によりエンポリとフロジノーネが昇格プレーオフ出場権を獲得し、9位のピサはセリエBに残留した。
ピサSC
2021年の夏に設立時の名前であるピサSC (Pisa Sporting Club) に戻した。
2021-22シーズン、セリエBで3位となり昇格プレーオフで決勝まで勝ち上がるが、モンツァに延長戦の末に破れあと一歩というところでセリエA昇格を逃した[3]。
2023–24シーズンはアルベルト・アクイラーニが指揮を執ったが13位でシーズンを終え、2024年7月3日付でフィリッポ・インザーギを2年契約で監督に迎えた。
2025年5月4日、バーリ戦で敗れたものの、3位のスペツィアが16位レッジャーナに1-2で敗れたため、ピサとの勝ち点差が9に開き、2試合を残して自動昇格圏の2位が確定。これにより、34年ぶりのセリエA復帰が決定した[4]。2025-26シーズンに向けてスタジアムは改修され、収容人数は12,508席に拡張された。
ダービーマッチ
トスカーナ州内の複数のクラブとの間には、歴史的・社会的背景に根ざした激しいライバル関係が存在する。
- デルビー・デル・フォロ
- ルッケーゼとのダービーマッチ。ピサ県とルッカ県を隔てるサン・ジュリアーノ・テルメの「フォロ(広場)」に由来する名称であり、ピサの斜塔とルッカのグイニージの塔から「デルビー・デッレ・ドゥエ・トッリ(二つの塔のダービー)」とも呼ばれている。両県は地理的に非常に近いためサポーター間の交流も多くライバル意識は根強い。また、両クラブのファン層には政治的な違いも見られ、このダービーは単なるスポーツの枠を超えた感情的な激しさを帯びることが多い。
- デルビー・デッラ・メロリア
- リヴォルノとのダービーマッチ。トスカーナ州で最も激しいライバル関係のひとつである。1284年のメロリアの海戦でのピサ艦隊の敗北は、ピサ共和国の衰退の始まりとされており、この歴史的事件が両都市の対立の根幹となっている。そのため、単なるスポーツの試合を超え、都市の誇りや歴史的感情がぶつかる重要なイベントとして認識されている。1919年から2020年までに80試合以上の公式戦が行われ、1999年と2001年にはサポーター間で暴力的な衝突がが発生したこともある。また、かつてのピサのロメオ・アンコネターニ会長は両クラブを統合して「ピゾルノ」という一つのチームを作る構想を提唱したが、両都市の激しい反発により断念した。2012年には当時の首相マリオ・モンティにより地方行政再編案の一環としてピサ県とリヴォルノ県の統合案が出されたが、これも両都市で大規模な抗議や反発が巻き起こった。
- デルビー・デル・ピサーノ
- 同じピサ県に拠点を置くポンテデーラとのダービーマッチ。サポーター間に大きな対立や治安上の問題はほとんど生じないが、ポンテデーラ側は強い関心を示す一方、ピサ側の関心はやや薄い傾向にある。
タイトル
記録
2009-10シーズンにセリエD(5部リーグ:アマチュア)ながら年間チケットが3,100枚売られセリエDの歴史的快挙
過去の成績
| シーズン | ディビジョン | コッパ・イタリア | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||
| 2000-01 | セリエC1・ジローネA | 34 | 10 | 12 | 12 | 26 | 36 | 42 | 11位 | 1回戦敗退 |
| 2001-02 | セリエC1・ジローネA | 34 | 13 | 3 | 18 | 39 | 45 | 42 | 11位 | — |
| 2002-03 | セリエC1・ジローネA | 34 | 15 | 12 | 7 | 40 | 27 | 57 | 4位 | — |
| 2003-04 | セリエC1・ジローネA | 34 | 13 | 10 | 11 | 44 | 37 | 8位 | GS敗退 | |
| 2004-05 | セリエC1・ジローネA | 36 | 11 | 14 | 11 | 35 | 31 | 47 | 9位 | — |
| 2005-06 | セリエC1・ジローネB | 34 | 11 | 6 | 17 | 31 | 43 | 39 | 15位 | 2回戦敗退 |
| 2006-07 | セリエC1・ジローネA | 34 | 15 | 13 | 6 | 32 | 20 | 58 | 3位 | — |
| 2007-08 | セリエB | 42 | 19 | 14 | 9 | 61 | 44 | 71 | 6位 | — |
| 2008-09 | セリエB | 42 | 12 | 12 | 18 | 45 | 55 | 48 | 20位[5] | 2回戦敗退 |
| 2009-10 | セリエD・ジローネD | 38 | 24 | 10 | 4 | 66 | 24 | 82 | 1位[6] | — |
| 2010-11 | レガプロ・プリマ・ジローネB | 34 | 10 | 13 | 11 | 39 | 40 | 43 | 10位 | — |
| 2011-12 | レガプロ・プリマ・ジローネA | 34 | 11 | 13 | 10 | 37 | 35 | 46 | 7位 | 2回戦敗退 |
| 2012-13 | レガプロ・プリマ・ジローネB | 30 | 15 | 7 | 8 | 43 | 33 | 52 | 5位 | 2回戦敗退 |
| 2013-14 | レガプロ・プリマ・ジローネB | 32 | 14 | 10 | 8 | 41 | 27 | 52 | 6位 | 2回戦敗退 |
| 2014-15 | レガ・プロ・ジローネB | 38 | 16 | 11 | 11 | 44 | 35 | 59 | 5位 | 3回戦敗退 |
| 2015-16 | レガ・プロ・ジローネB | 34 | 17 | 12 | 5 | 42 | 26 | 2位 | 2回戦敗退 | |
| 2016-17 | セリエB | 42 | 6 | 21 | 15 | 23 | 36 | 22位 | 4回戦敗退 | |
| 2017-18 | セリエC・ジローネA | 36 | 16 | 13 | 7 | 44 | 30 | 61 | 3位 | 2回戦敗退 |
| 2018-19 | セリエC・ジローネA | 37 | 19 | 12 | 6 | 47 | 28 | 69 | 3位 | 4回戦敗退 |
| 2019-20 | セリエB | 38 | 14 | 12 | 12 | 49 | 45 | 54 | 9位 | 3回戦敗退 |
| 2020-21 | セリエB | 38 | 11 | 15 | 12 | 54 | 59 | 48 | 14位 | 3回戦敗退 |
| 2021-22 | セリエB | 38 | 18 | 13 | 7 | 48 | 35 | 67 | 3位 | 2回戦敗退 |
| 2022-23 | セリエB | 38 | 11 | 14 | 13 | 48 | 42 | 47 | 11位 | |
| 2023-24 | セリエB | 38 | 11 | 13 | 14 | 51 | 54 | 46 | 13位 | |
| 2024-25 | セリエB | 38 | 23 | 7 | 8 | 64 | 36 | 76 | 2位 | |
現所属メンバー
- セリエA 2025-26シーズン 開幕戦フォーメーション(3-4-2-1)
# 9
# 10
# 6
# 44
# 5
# 1
- 2025年8月31日現在[7]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
ルイジ・シモーニ 1984.7 - 1985.6
ヴィンチェンツォ・グエリーニ 1985.7 - 1986.4
ルイジ・シモーニ 1986.7 - 1987.6
ミルチェア・ルチェスク 1990.7 - 1991.3
ジョヴァンニ・シモネッリ 2002.11 - 2004.6
アントニオ・カブリーニ 2004.2 - 2004.11
マルコ・マーシ 2004.11 - 2005.1
イヴォ・イアコーニ 2005.1 - 2005.6
マヌエーレ・ドメニカリ 2005.6 - 2005.10
フェルッチョ・マリアーニ 2005.10 - 2006.4
マヌエーレ・ドメニカリ 2006.4 - 2006.5
ピエロ・ブラーリア 2006.7 - 2007.6
ジャンピエロ・ヴェントゥーラ 2007.2 - 2009.4
ブルーノ・ジョルダーノ 2009.4 - 2009.6
パオロ・インディアーニ 2009.7 - 2009.11
ステファノ・クオーギ 2009.11 - 2010.11
レオナルド・センプリチ 2010.11 - 2011.2
ディーノ・パリャーリ 2011.2 - 2012.2
アレッサンドロ・パーネ 2012.2 - 2013.3
ディーノ・パリャーリ 2013.3 - 2013.12
フランチェスコ・コッツァ 2013.12 - 2014.3
レオナルド・メニキーニ 2014.3 - 2014.6
ピエロ・ブラーリア 2014.7 - 2015.3
クリスティアン・アモローゾ 2015.3 - 2015.6
ジュゼッペ・ピロン 2015.3
クリスティアン・アモローゾ 2015.3 - 2015.6
ジャンカルロ・ファヴァリン 2015.6 - 2015.8
ジェンナーロ・ガットゥーゾ 2015.8 - 2016.7
ジャンルカ・コロンネッロ 2016.8 - 2016.9
ジェンナーロ・ガットゥーゾ 2016.9 - 2017.6
カルミネ・ガウティエリ 2017.6 - 2017.10
ミケーレ・パツィエンツァ 2017.10 - 2018.3
マリオ・ペトローネ 2018.3 - 2018.6
ルカ・ダンジェロ 2018.6 - 2022.6
ロランド・マラン 2022.7 - 2022.9
ルカ・ダンジェロ 2022.9 - 2023.6
アルベルト・アクイラーニ 2023.6 - 2024.6
フィリッポ・インザーギ 2024.7 - 2025.6
アルベルト・ジラルディーノ 2025.6 -
歴代所属選手
GK
フランチェスコ・アントニオーリ 1993 - 1994
エンリコ・アルフォンソ 2008 - 2010
サミル・ウイカニ 2016 - 2017
DF
ジャンルカ・シニョリーニ 1978 - 1979, 1995 - 1997
ステファノ・コラントゥオーノ 1985 - 1986
アレッサンドロ・カローリ 1989 - 1991
ホセ・チャモ 1991 - 1993
アンドレア・フォルトゥナート 1991 - 1992
アレッサンドロ・ビリンデッリ 2008 - 2009
レオナルド・ボヌッチ 2009
サムエーレ・ビリンデッリ 2016 - 2022
MF
マルコ・タルデッリ 1972 - 1974
クラウス・ベアグリーン 1982 - 1986
ドゥンガ 1987 - 1988
マッシミリアーノ・アッレグリ 1988 - 1989
マリオ・ベーン 1988 - 1991
ディエゴ・シメオネ 1990 - 1992
ヘンリク・ラーセン 1990 - 1995
ダニエレ・マンニーニ 2003 - 2004, 2014, 2015 - 2018
エドガル・アルバレス 2008 - 2009
ミゲル・ヴェローゾ 2023 - 2024
FW
ヴィム・キーフト 1983 - 1986
ミケーレ・パドヴァーノ 1990 - 1991
クリスティアン・ヴィエリ 1992 - 1993
ロベルト・ムッツィ 1994
フランチェスコ・タヴァーノ 1998
エディ・バッジョ 2005 - 2008
ヴィタリ・クトゥザウ 2007 - 2008
アレッシオ・チェルチ 2007 - 2008
ダヴィデ・モスカルデッリ 2018 - 2020
ロレンツォ・ルッカ 2021 - 2024
ナジ・アーダーム 2021 - 2024