ブリル
From Wikipedia, the free encyclopedia
特徴

1868年、馬車鉄道用客車メーカーとしてジョン・ジョージ・ブリル(John George Brill )により創業。1900年代に鉄道車両メーカー数社を買収して事業規模を拡大し、路面電車車両およびインターアーバン用電車メーカーとしては米国最大の企業に成長した。1912年にはパリに工場を新設し、米国外へ進出している。
設備投資は必要であるが量産に適した型鍛造の技術に優れ、ニ軸単台車としては史上空前のベストセラーとなって世界中でデッドコピーが生まれた「21E」や、高速電車(一般鉄道)用としてその優れた乗り心地故に長く賞揚され続けた「27MCB」シリーズなど、軸距の変更が容易という型鍛造品の特性を生かして顧客の求めに応じ、様々な寸法・仕様の同系台車を世界中に大量に供給したことで知られる。
ブリルの全盛期は路面電車が小型の二軸車からボギー車へと移り変わった時代に相当し、乗り心地や安全性に関する改良を意欲的に行った。鍛造製の一体フレームのほか、枕ばねにコイルばねと重ね板ばねを併用して耐荷重の増大と乗り心地を両立させたグラディエート・スプリング、ブレーキシューの摩耗と騒音を減らすハーフボールブレーキハンガース装置、ボルスターの一端をトランサムとピン接合のリンク装置で結合し、台車の回転を円滑にしつつ急停車時の車内の揺動を緩やかにしたトラニオンと呼ばれる現在のボルスタアンカーに相当する機構や、揺れ枕吊りリンクのがたつき防止機構を開発した[1]。
モータリゼーションの到来と廃業
1926年にアメリカン・カー・ファンドリー(en:American Car and Foundry Company )に買収されたが、引き続きJ.G.ブリルの名で鉄道車両・バスの製造を続けた。しかし、1930年代以降はモータリゼーションの進行によって鉄道車両の需要が減少し、生産数の減少に伴って各地の工場も順次閉鎖された。同年代半ばには当時米国内各地に納入されていたPCCカーに似た流線形の路面電車車両「ブリルライナー」(Brilliner )をレイモンド・ローウィの設計により独自に製造発売したが、PCCカーに比べ受注は振るわず、このブリルライナーをもって1941年に鉄道車両・路面電車車両の製造を終了し[2]、1944年に廃業した。
廃業後すぐに新会社「アメリカン・カー・ファンドリー=ブリル」(American Car and Foundry Company-Brill、ACF-Brill)が設立され、バスの製造を続けていたが、1954年にフィラデルフィアの工場が閉鎖され、会社は消滅した。
創業から廃業までに製造した車両は約45,000両に及ぶ(バスも含む)。
年表
- 1868年 - 創業。
- 1902年 ミズーリ州セントルイスにあったアメリカン・カー(en:American Car Company )を買収。
- 1904年 オハイオ州クリーブランドにあったクールマン・カーおよびニュージャージー州エリザベスにあったジョン・スチーブンソン(en:John Stevenson Company )を買収。
- 1906年 マサチューセッツ州スプリングフィールドにあったワースン(en:Wason Manufacturing Company)を買収。
- 1908年 イリノイ州ダンビルにあったダンビル・カーを買収。
- 1912年 パリに工場を新設。
- 1926年 アメリカン・カー・ファンドリーに買収される。
- 1941年 鉄道車両の製造を終了。
- 1944年 会社消滅。アメリカン・カー・ファンドリー=ブリルを設立。
- 1954年 アメリカン・カー・ファンドリー=ブリル消滅。
主な製品
- 鉄道車両
- ブリル・コンバーチブルカー(Brill Convertible Car ) - 密閉形・開放形の切り替えが可能な路面電車車両
- ブリル・セミコンバーチブルカー(Brill Semi-Convertible Car )
- バーニーカー - 小型・軽量の路面電車、子会社のアメリカン・カー・カンパニーが製造
- ブリル高速連接車(Brill High-speed Articulated Cars ) - 連接車
- ブレット(en:Brill Bullet ) - 曲面ガラスを使用した弾丸形状の車両
- ブリルライナー(Brilliner ) - PCCカーに対抗する目的で製造・開発された流線形の路面電車車両
- バス
日本への輸出
歴史
1890年(明治23年)、ブリル製の車両が上野公園の第三回内国勧業博覧会で日本初の電車として運行を行った[4]。
博覧会での運転は好評で、日本初の営業用電車となった京都電気鉄道の開業時の電車もブリル製台車(21B)を主に使用した。1900年代初頭から1930年頃にかけて日本へも多くの輸出を行なった。
製品
台車は路面電車 単車用の「21E」、路面電車ボギー車用の「76E」「77E」、電気鉄道車両用の「27MCB」などを全国各地の私鉄および公営路面電車事業者に納入し、2019年(令和元年)現在も現役のものがある。 また、鉄道車両の完成品として日本に輸出した例に九州鉄道ブリル客車(通称「或る列車」)がある。
- 代理店およびライセンス生産
明治期には機械商社の高田商会が輸入販売を行っていた[5]。1920年(大正9)9月頃から電車用モーターや制御器を製造する東洋電機製造が顧客サービスの一環としてブリル製台車の輸入販売を始め、1928年頃まで営業品目に掲げていた[6]。1927年1月には日本製鋼所が製作権と日本、台湾、朝鮮、樺太、南満洲各地における販売権の10年間の協定を締結。同社は広島工場にて製作し、三井物産を通じて1928年(昭和3年)より販売した[1]。

