リオ・ムニ

赤道ギニアの大陸部に位置する地方 From Wikipedia, the free encyclopedia

リオ・ムニスペイン語: Río Muni)は、赤道ギニアの大陸部地域(Continental Region)の名称で、中南部県キエンテム県リトラル県ウェレンザス県を含む。 現地のンドウェ語フランス語版ではンビニMbini)とも呼ばれる。2013年の国勢調査によると人口は1159468人。中心地はバタ

概要 リオ・ムニ, 公用語 ...
リオ・ムニ
Río Muni
Continental Region
リオ・ムニ県
Provincia de Río Muni
(1959年-1968年)
リオ・ムニの旗
地域の旗
地域の紋章
リオ・ムニの位置
公用語 スペイン語
主都 バタ
最大の都市 バタ
政府
大統領 テオドロ・オビアン・ンゲマ・ムバソゴ
首相 マヌエラ・ロカ・ボテイ
面積
統計 26017km2
水面積率 極僅か
人口
統計(2013年 1159468
成立
スペイン領ギニアに編入 1788年
スペイン保護領 1885年
フェルナンド・ポー島と共に海外県を結成 1959年7月30日1963年8月9日
県独自の自治権が与えられる 1964年7月1日
フェルナンド・ポー県と共に赤道ギニアとして独立 1968年10月12日
通貨 CFAフランペセタ、旧スペイン領時代)(XAF
時間帯 UTC(+1)DST:なし)
ISO 3166-1 GQ / GNQ
ccTLD .gq
国際電話番号 240
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地理

北部でカメルーン、東部と南部でガボン国境を接する。

その6割以上が熱帯雨林で覆われている。

リオ・ムニの面積はおよそ26,002km2コリスコ島大エロベイ島小エロベイ島からなるエロベイ諸島もリオ・ムニに属する。面積は15km2である。 リオ・ムニ、コリスコ島、エロベイ諸島を併せた総面積は26,017km2である。

歴史

リオ・ムニは1778年にエルパルド条約でポルトガルからスペインに割譲されフェルナンド・ポー島(後のビオコ島)とアンノボン島と共にスペイン領ギニアの一部となった。1885年にスペイン保護領にもなり、スペインはリオ・ムニを他の海外植民地での奴隷を集める場所にすることをもくろんだが、スペイン人の入植者は黄熱病のために死亡し、リオ・ムニからはスペイン人はほとんどいなくなった。再入植以降はカカオ木材が主な産品となった。

1900年フランス人によりバタの都市が建設された。1926年にスペイン領ギニアはさらにリオ・ムニ、フェルナン・ド・ポー島、アンノボン島大エロベイ島小エロベイ島コリスコ島および周辺の島々により形成された。

スペイン領ギニア時代のリオ・ムニ県の紋章

1959年にスペイン領ギニアのリオ・ムニとフェルナンド・ポー島はリオ・ムニ県とフェルナンド・ポー県の2つのスペインの海外県にさらに分割され、リオ・ムニ県はスペインの54番の県となる。1960年9月1日にリオ・ムニ県の議会がバタ市にて発足し、リオ・ムニ県の議会選挙で初代リオ・ムニ県の議会議長及び知事にジョゼ・ベルドゥ(José Vedú)が就任。1963年にリオ・ムニ県はフェルナンド・ポー県と共にフランシスコ・フランコ政権のスペイン政府から、自治権が与えられ自治政府を樹立した。1964年にフェルナンド・ポー県と共に赤道ギニア自治区となり、1968年までリオ・ムニ県とフェルナンド・ポー県の2つのスペイン海外県は自治権が与えられ、別々の地位を維持しながら、ある程度の内部自治を備えた自治組織となっていた。

1968年にリオ・ムニ県とフェルナンド・ポー県は統合したまま赤道ギニア共和国としてスペインから独立した。 しかし、独立した翌年の1969年3月から4月にリオ・ムニで深刻な政治的混乱が発生した。

産業

コーヒーが主産物。他、豊かな木材資源。

民族

人口のほとんどはファン族で、その他に少数のンドウェ人フランス語版が住む。

行政区分

リオ・ムニは4つの県と1つの行政市に分かれる。

  1. 中南部県エヴィナヨング
  2. キエンテム県エベビイン
  3. リトラル県バタ
  4. ウェレンザス県モンゴモ
  5. ジブロホ市ラパス) -首都移転先として2017年に発足

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