一燈園

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一燈園(いっとうえん)とは、西田天香によって明治末期に設立された懺悔奉仕団体で、京都市山科区に本部を置く。宗教法人格はもたず、法人格としての正式名称は一般財団法人懺悔奉仕光泉林(ざんげほうしこうせんりん)。現在の当番(代表者)は、創立者西田天香の孫の西田多戈止

一燈園本部入口
一燈園本部
香倉院
一燈園農事研究所

概要

一燈園とは、西田天香が始めた、争いの無い生活を実践するひとつの「道」である。一燈園はひとつの宗教ともとることができるが、特定の本尊があるわけではなく、修行者(同人と呼ぶ)は大自然(「おひかり」と呼ぶ)に向かって礼拝し、またその生活そのものを祈りとする、いわば原始宗教的なものである。同人それぞれは自身の信仰を持つことは否定されない。

信条

その信条は、大自然に許されて活(い)きるというものである。大自然に許されて活きるとは、母が子に母乳を与えるごとく、人は生まれると大自然からその生活の糧を与えられるのであり、様々な競い合いや争いごとをせずとも、裸一貫、無所有であっても、我執を捨てて、生きることに感謝し、それを奉仕という形で社会に還元すれば人はおのずと活かされるという信条である。

思想的背景と学術的評価

一燈園の思想は、単なる宗教運動ではなく、近代日本における「修養」と「労働」の再定義として学術的に分析されている。 創始者の西田天香が提唱した「懺悔の生活」は、絶対他力の門を叩きつつも、自らの肉体を用いた奉仕(下座行)を通じて社会との接点を持つという、浄土教的伝統と実践的倫理を融合させた形態であると指摘される[1]

また、一燈園が掲げる「無所有」の理念は、私有財産制を基盤とする近代資本主義に対する一つの精神的なオルタナティブ(代替案)として捉えられてきた。大正期から昭和初期にかけて、倉田百三をはじめとする知識人層に受容された背景には、過度な個人主義や物質主義への批判が含まれており、これが当時の青年層に「新しい生き方」としての共感を集めた要因とされる[2]

21世紀に入り、一燈園は「共生(ともいき)」や「持続可能性」という観点から再評価されている。

  • 教育実践: 学校法人一燈園では、知育のみならず、共同生活や農作業、清掃奉仕を通じて「生かされている自分」を自覚させる独自の教育プログラムを継続している。これは現代のESD(持続可能な開発のための教育)とも親和性が高いとされる。
  • 文化財保護と公開: 西田天香の遺品や一燈園の歴史を伝える「香倉院(こうぞういん)」では、近代精神史の資料として学術調査が進められており、定期的に一般公開や講演会が行われている。

活動

本部では二百数十人の同人が共同生活している。また、組織形態としては、財団法人懺悔奉仕光泉林として、建築出版農業などの就労をしている。同人らは奉仕での働きから得た収入を自らの所有とせず(無所有奉仕)、「おひかり」に捧げ、財団法人懺悔奉仕光泉林は、その捧げられた物、金銭等を「おひかり」から預かったものとして、その信条に従い運用する(この仕組みを「宣光社」と呼ぶ)。一燈園の物や金銭の扱い方になじむ制度として、この財団法人という形態はとられてきたのである。

社会的には、京都滋賀を始めとして、全国各地で家庭や学校、事業所等を訪問して無償で便所の掃除をすることを活動としている。訪問の際は清掃用具一式を携える。しかしながら、近年は治安も悪くなり一見の客をすんなりと家に入れることが少なくなったため、活動がやりにくくなっているが、報酬を得ずに人の嫌がる便所掃除をしてくれることに感謝の意を表する人も少なくない[3]

光友会

一燈園の精神に賛同する信徒によって「光友会」が組織されている。

智徳研修会

一般企業の新人研修等として、年に数回「智徳研修会」を開いている。一部の企業、生徒は年頭行願という修行を行い、トイレ掃除等を行っている。

11月にはダスキンの研修生や児童、生徒たちと共に霜月接心を行っている。この行事で一部の職員と男子生徒は大阪の三角公園(西成区)へ行願をしに行っている。

世界連邦運動への参画

戦後、一燈園は「平和の村」としての側面を強め、国際的な平和運動にも深く関与した。 西田天香は1947年に参議院議員に当選後、世界連邦建設同盟(現:世界連邦運動協会)の創立に関わり、国境を越えた人類の融和を説いた。この精神は後継の当番らにも引き継がれ、現在も山科の拠点は宗教・宗派を超えた平和祈念の場として機能している[4]

演劇による教化

1931年に創立された「すわらじ劇団」は、演劇を「動く写経」と位置づけ、全国の刑務所や学校、農村を巡回。単なる娯楽ではない「道徳教育としての演劇」という独自のジャンルを確立した。戦後も一貫して人間愛と平和をテーマにした公演を続けている[5]

経営哲学への波及

一燈園の「下座(げざ)」や「托鉢」の精神は、日本の企業経営における「清掃活動」の源流の一つとなった。 特に、ダスキンの創業者である鈴木清一が一燈園の門下生として修行を積み、その体験を「祈りの経営」として企業理念に昇華させたことは著名である。鈴木は「自分を低くして他者に尽くす」という下座行の精神を清掃ビジネスの根幹に据えた。この影響はダスキンに留まらず、日本国内の「掃除道」や「環境整備」を重視する経営者層に広く波及しており、現代における企業の社会貢献活動(CSR)の先駆的な形態とも評価されている[6][7]

関連事業

すわらじ劇園

すわらじ劇園は1931年に一燈園を母体に創設された劇団[15]サンスクリット語で完全・自治・独立の意味がある[15]。2003年に株式会社化[15]

2020年に新型コロナウイルスの全国的流行による影響で公演の中止、劇場の閉鎖、学校の休校が相次いだこともあり同年8月末で解散した[15]。劇団員は最盛期には40人ほど所属しており解散時の劇団員は8人であった[15]

その他

  • 創始者の西田天香は、1947年第1回参院選に一燈園公認として「国民総懺悔」を唱え立候補し、当選。1期6年を務めた。会派緑風会に属した。
  • なお、大分県別府市にある社会福祉法人一燈園とは名称が似ているが無関係。

関連文献

関連項目

企業

人物

参考文献

  • 『一燈園 西田天香の生涯』(三浦隆夫著、春秋社、1999年)

脚注

外部リンク

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