万脩
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略歴
劉玄が皇帝(更始帝)となり王莽を降した頃、信都郡信都県の令となった。
更始2年(24年)、薊県から逃れてきた劉秀を信都太守の任光・都尉の李忠とともに迎え入れた。偏将軍を拝命し、造義侯に封ぜられた。王郎の本拠の邯鄲を破ると右将軍に任ぜられ、河北平定に功あった。
建武元年(25年)、大司馬呉漢に率いられた十一将の一人として、更始帝配下の朱鮪の守る洛陽を囲む[2]。
建武2年(26年)、造義侯に代えて槐里侯に封ぜられ、堅鐔と共に南陽平定に参加したが、宛にて周囲から孤絶し、病んで陣没した。
壬辰倭乱の時に明朝の援軍として李氏朝鮮に派兵され、朝鮮の氏族の江華万氏の始祖となった万世徳は、万修の子孫である[要出典]。