三条公美

日本の政治家 (1875-1914) From Wikipedia, the free encyclopedia

三条 公美旧字体: 三條 公󠄁、さんじょう きみよし[1] / きんよし[2]1875年明治8年〉5月8日[1] - 1914年大正3年〉1月30日[1][2])は、明治から大正期にかけての華族貴族院公爵議員麝香間祗候[3]。旧姓・東三条[4]

生年月日 1875年5月8日
出生地 日本における郵船商船規則の旗 日本東京府
没年月日 (1914-01-30) 1914年1月30日(38歳没)
概要 生年月日, 出生地 ...
三条さんじょう 公美きみよし
三條 公󠄁
1913年10月の三条公美公(「華族画報」)
生年月日 1875年5月8日
出生地 日本における郵船商船規則の旗 日本東京府
没年月日 (1914-01-30) 1914年1月30日(38歳没)
称号 従二位
勲四等旭日小綬章
公爵
大日本帝国の旗 貴族院議員
選挙区 公爵議員(終身)
在任期間 1900年4月26日 - 1914年1月30日
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経歴

三条実美、母治子(鷹司輔煕九女)の二男として生まれる[4][5]1882年(明治15年)に分家して華族に列せられ[4]1884年(明治17年)7月8日、男爵を叙爵。1886年(明治19年)8月、東三条と改姓[4]。同年10月16日、従兄弟の三条公恭が廃嫡されたことに伴い本家三条家に復籍し三条に改姓した[4]

父の死去に伴い1891年(明治24年)3月7日、公爵を襲爵[1]1900年(明治33年)4月26日、満25歳に達し貴族院公爵議員に就任し[6][7]、死去するまで在任した[2]

父の遺産は多くはなく、襲爵した時点で馬車を維持できなくなるほど家計が傾いていた。この状況を見て三条家に恩義がある尾崎三良山県有朋に掛け合い、宮内省から思召しとして5万円の公債を引き出すことに成功。公債の利子で馬車の維持が可能となった。その後、公美の倹約と宅地地価の上昇で、三条家は1907年(明治40年)頃までに資産を5倍程度まで増加させている[8]。1914年(大正3年)、歌御会始御製読師控を務めた[2]

栄典

位階
爵位
勲章等
さらに見る 受章年, 略綬 ...
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲四等旭日小綬章[13]
1912年(大正元年)8月1日 韓国併合記念章[14]
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親族

脚注

参考文献

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