三枝守輝
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生涯
承応3年(1654年)、8歳の時に初めて徳川家綱に御目見した[1]。
延宝4年(1676年)、家督を相続して6500石を賜り、500石を弟の三枝守仍に分知した[1]。延宝8年(1680年)に定火消となり、同年のうちに布衣の着用を許された[1]。貞享元年(1684年)に小姓番頭となり、従五位下能登守に叙された。貞享2年(1685年)に稲葉正往が京都所司代を解任されると、この旨を本人へ伝えに赴いた[1]。貞享3年(1686年)に御書院番頭に就任し、元禄5年(1692年)には大番頭に昇進した[1]。元禄8年(1695年)に守輝の家臣である河村甚右衛門が死罪に処せられ、これを受けて叱責されるがその約1ヵ月後に赦免された[1]。元禄10年(1697年)に領地を改められ、陸奥国岩瀬郡と伊豆国加茂郡に合計6500石を賜った[1]。
宝永元年[3](1704年)に死去した[1]。享年58[1]。跡を嫡男守英が継いだ[1]。
参考
- 「寛政重脩諸家譜. 第6輯」(1923年)