中天游
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生涯
天游は丹後に生まれる。父は儒医上田河陽、のちに母方の親戚、中家の跡継ぎとして養子に出される。
22歳の時に江戸に出て大槻玄沢の私塾・芝蘭堂に入門、のちに京都に移り住んだ芝蘭堂四天王の一人、稲村三伯を追って師事し蘭学や蘭方医学を学んだ。師の三伯が病に伏すと天游はその才を買われ三伯の娘さだと結婚。三伯の死後は、大坂に移り妻と医所を開いて町医者となった。しかし天游は医学より究理学(科学・自然哲学)などのほうを好み、医所は妻に任せきりで蘭学に熱中していた。
その後、大坂に芝蘭堂四天王橋本宗吉が開いた私塾・絲漢堂の噂を聞くとその門を叩いた。蘭学は蛮学(南蛮の学問)と蔑まれた時代、蘭学者への風当たりは酷く大坂切支丹一件、シーボルト事件を契機に弾圧が厳しくなり、師の宗吉も塾を閉鎖して一時隠棲するが、天游は大坂蘭学の灯を消さぬため公儀と対峙し続けた。
天保3年(1832年)、天保の大飢饉が発生するとその対策に尽力したが、その最中の天保6年(1835年)3月26日死去。享年53。
中夫妻の墓所は龍海寺(大阪市北区同心町)にあり、緒方洪庵夫妻の墓と並び、現代も緒方家子孫に懇ろに守られている。
功績
主な著書
- 引律(暦象新書の新訳書)
- 視学一歩(眼球のしくみ(光学)を日本で初めて記した本)
- 天学一歩
- 算学一歩
- 把爾翕湮(パルヘイン)解剖図譜下編(斎藤方策との共著)