中川元
日本の教育者・官僚
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経歴
信濃国飯田城下に信濃飯田藩士中川逸山の長男として生まれる。1871年藩の貢進生に選ばれ大学南校に進み、フランス語を学ぶ。文部省より出向の同校職員九鬼隆一と知遇を得る[1]。1874年文部省に出仕し、外国語学校教授に任じらた。1878年1月にフランスに留学を命じられる。師範制度の調査とともに、文部大書記官としてパリ万博に派遣された九鬼の世話係を務めた[1]。
1881年11月に帰国し、二等属として文部本省に奉職する。1885年4月には文部権少書記官に昇進する。文部省普通学務局書記官・視学官、文部大臣秘書官等をへて参事官となる。1889年の文部大臣森有礼刺殺事件の際には森の随行員として事件に遭遇[1]。1891年第四高等中学校、1893年第五高等中学校、1900年第二高等学校校長、1911年仙台高等工業学校を歴任した。
1912年11月18日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[2]。その他、師範学校条令取調委員、文部省予算説明調査委員等を務めた。