丹波黒

日本の黒豆のブランド From Wikipedia, the free encyclopedia

丹波黒(たんばぐろ)は、丹波地域で生産される黒大豆在来種系統のブランド品種。表記ゆれとして丹波黒大豆丹波篠山黒大豆丹波篠山黒枝豆などがある。

丹波黒

1700年代から干ばつ地における犠牲田での栽培で普及し[5]、優良種子生産方式で品種改良が重ねられたことにより、100粒当たりの重さ(百粒重)は80gから90g程度と、一般的な大豆や他地域の黒大豆と比べても重く大粒であることが最大の特徴である[6][7]

そのため、栽培方法も一般的な大豆と異なりほとんど機械化できないことから、最大産地である兵庫県丹波篠山市の栽培風土も含めて日本農業遺産に認定された[8]

特徴

丹波黒豆のえだ

一般的な黒大豆が百粒重約30グラム程度なのに比べ、丹波黒は百粒重約80グラムとが大きい[9]。通常のダイズは花が咲いてから成熟するまでにかかる栽培期間が約70日間であるのに対し、丹波黒は約1.5倍の時間をかけることで、長期間栄養が蓄積され美味しく大粒の豆に育つ[10]。粒の大きさだけをみても世界でも類を見ない大粒の豆として知られ[11]、皮が厚く、長く煮ても崩れないことから、主に煮豆用の食材として重宝される[12]

また、成熟した豆(黒大豆)としてのみでなく、未成熟な豆を枝豆として食用しても高品質の評価を得る、2種類の用途をもつ品種であることも珍しい[13]。収穫期が限定されており、丹波黒の枝豆は10月の約2週間~3週間の間しか食べることが出来ないことから「幻の枝豆」と呼ばれている[14]

豆粒の形状は球状で、表皮にブルームと称される白いろう粉がある[11]

栽培時の全形は、主茎長が75㎝以上と大きく、節数は約17節、開張型の草姿をとる[15]。一般的な大豆より大きいため、後述の通り栽培方法も大きく異なり、21世紀においてもほとんど機械化することができない[15]

歴史

江戸時代以前

丹波黒の起源は諸説あり、定かではない。古くは1685年(貞享2年)編纂と伝わる『篠山封彊誌』に丹波産の「黎豆(くろまめ)」の記録がある[16]。また、1716年(正徳6年)の『日乗上人日記』に、丹波篠山の春日神社から茨城県鹿島神社に贈られた黒大豆を、潮来長勝寺の大嶽和尚が糸引納豆にして水戸光圀公に献上し、光圀はこれを1698年(元禄11年)12月23日に西山荘で食したと記録される[17]。さらに、1730年(享保15年)刊行の庶民向けの料理本『料理網目調味抄』に丹波篠山地域の黒大豆について「黒豆 丹州笹山よし 押て汁煮染」の記述があり、広く一般的に良品と知られていたことがわかる[5][18]。この煮豆は塩辛さを残した座禅豆という料理で、酒の肴に良いとして1830年(寛政12年)刊行の『嬉遊笑覧』にも『調味抄』を引用し紹介されている[19]

江戸時代中期~後期

丹波黒の原産地である丹波篠山地域における黒大豆の栽培は、江戸時代中期から後期の年貢と自給生産のための栽培から発展した[20]

18世紀前半における丹波篠山地域こと多紀郡の平坦部である篠山盆地では、溜池の水だけで稲作が行われていたが、すべての田で水稲栽培を行う貯水量は無かった[21]。農業用水の不足を補うべく、各村々は村中で申し合わせて順番に稲作を行わない「犠牲田」を設け、犠牲田では代わりに大豆を栽培して糊口をしのいだ[22]。湿田で畑作を行うためには土を乾燥させる必要があり、畔を高くして土を掘り上げる栽培法が定着した[22]。特に水不足が深刻で、その犠牲田の規模が大きかったのが多紀郡川北村であり、多くの黒大豆が生産されていた[23]

当初、篠山藩は犠牲田を干ばつ地と扱い、そこで生産する黒大豆を課税対象としていなかったが、生産量が増加し城下町の発展に伴って商品化が進んだことを受け、1748年(寛延元年)以降は犠牲田も課税対象として大豆の現物納を求めるようになったが[23]、生産高は1818年(文政元年)時点で300石程度と小規模で、年貢として納めた残りから自家用に消費する分を除くと、商品にまわせる余剰は少なかったと思われる[24]。藩は黒大豆の栽培を奨励し、1831年(天保2年)には日置村の豪農大庄屋波部六兵衛に良種を精選して品種改良に努めることを命じ、1846年(弘化3年)と1856年(安政3年)には幕府に黒大豆を献上して、特産品としての認知を広めた[25]

庶民の間では、自家用の味噌や醤油、納豆にするための大豆を、課税対象にならない田の畔で作ることが一般化した[23]

明治・大正時代

丹波黒の煮豆

明治維新後には保護奨励施策が無くなり、廃藩によって献納する必要も無くなったことから、耕作地が減少したが、黒大豆の需要は正月料理等において必需であったため、自給生産物として栽培が続いた[24]。そのような時代にあって、波部六兵衛の長男本次郎は父の遺志を継ぎ、良品の黒大豆種子から大粒のものを選別し、そこから収穫した趣旨を混合して育て、さらに選別することを数年繰り返し、1871年(明治4年)に特に優良な系統を「波部黒」と名付けて郡内の農家に配布した[26]。「波部黒」は、明治時代中頃にはその大粒なことが評価されて博覧会で入賞し、宮内省が買い求める域に到達した[24]。また、犠牲田の多かった川北村においても伝統的に黒大豆の生産が続いたため、明治期の丹波篠山には「波部黒」と「川北大豆」の2種類が黒大豆の二大系統として共存した[27]

昭和時代前期

1934年(昭和9年)、丹波篠山地域では「丹波黒大豆生産出荷組合」が発足し、農会の斡旋により「丹波黒大豆」という統一名称で流通するようになった[27]

1941年(昭和16年)、兵庫県農事試験場は丹波篠山地域で古くから栽培されていた在来種である波部黒を用いた育成試験の結果、最も優良であったものを「丹波黒」と命名した[5][24]。その後、系統選抜によって丹波篠山の在来種系統から優良3系統が選出され、さらに兵庫県丹波黒振興協議会などを中心に品種改良が努められている。1940年代の丹波黒は百粒重36~40グラムだったが、正月需要にあわせて大粒化と晩成化が図られていった[28]

用水不足のため米に替わる商品として黒大豆を生産した川北村など一部の例を除き、ほとんど自家消費にとどまる量しか栽培されていなかった希少性と、他産地と比べて高い品質が認められていたことにより、流通した丹波篠山の黒大豆は京都や大阪などで高級品として取引された[24]

昭和時代後期

第二次世界大戦後の食糧増産期、コメに比べて収益が劣る黒大豆の生産拡大は重視されず、研究もあまり行われていない[29]。1960年代にはダイズの輸入自由化によって、その地位はますます劣勢となった[29]

篠山盆地の中央には一級河川篠山川が流れるが、その流量は農業用水を賄うには少なく、ため池への依存度が高く稲作がふるわない農業生産基盤は、1960年代以降に圃場整備やダム建設などが行われたことで、大幅に改善された[27]。その一方、それまで農閑期の農家にとって重要な収入源であった酒造業(丹波杜氏)の出稼ぎ労働の多くが機械化によって失われ、都市化が進んだ時代の背景もあって急速に専業農家が減少し、兼業農家が急増した[29]

1971年(昭和46年)以降、本格的に減反政策が実施されると、丹波黒の栽培は丹波篠山地域外へも拡がった[24][30]転作作物としてダイズ生産が奨励されたことによるもので、1970年代末頃には丹波黒の生産量も増加したが[29]、生産量の急激な増加は供給過剰となったことで、1980年代には価格の急落を招いた[31]

丹波篠山では兼業農家の丹波黒栽培が増加するとともに、農協と町が特産品販売拠点を整備し、正月用煮豆としての販路拡大が図られ、同時に高級品としての地位は保ったまま庶民の食卓への参入が図られた[32]。1978年(昭和53年)12月27日付の朝日新聞全国版に土井勝が考案した「黒豆の煮方 調味料は量って先に」という記事が掲載され、家庭で失敗せずにふっくらつやつやとした黒豆をつくる方法として話題となった[33]。1980年(昭和55年)、神戸市の企業フジッコがレトルト殺菌技術によって「丹波黒黒豆」の袋詰め煮豆を発売し、これが共働き世代が増加していた社会的背景にマッチして年間を通じてのヒット商品となり、丹波黒の消費の周年化が進んだ[33]

丹波篠山における丹波黒の作付面積は1979年(昭和54年)時点で推定130ヘクタールだったところ、1998年(平成10年)には508ヘクタールまで急増している[32]

昭和50年代、丹波黒を栽培する地域が増え、栽培技術も一般化するにつれ、大粒なものほど高値がつくようになり、特に粒径1cm以上の丹波黒が高級品とされた[30]。伝統産地である丹波篠山地域では他産地との差別化を図るべく、農家も農協も競って大粒系統の選抜栽培を重ねたため、形質が安定化した[34]。1989年(平成元年)、兵庫県によって大粒の優良品種「兵系3号」が多紀郡の在来品種から純系分離によって生み出され、普及していった[34]。1992年(平成4年)には、多紀郡4町2農協が共同で「丹波黒大豆優良種子生産組合協議会」を結成し、農家に優良種子を生産・配布する組織的体制が整えられた[34]

知名度の向上によって1990年代後半に拡大した丹波黒の需要は、2000年代前半がピークとなった[35]。この需要拡大時期は、丹波地域すなわち兵庫県・京都府以外の滋賀県、岡山県、香川県などにおいてそれぞれの地域に適合した丹波黒の品種改良が進み、新興産地が形成された時期と重なっている[35][36]。2004年(平成16年)には台風被害によって本州の黒大豆は軒並み凶作となり、北海道で育成された他の黒大豆系統の「光黒」の市場参入を招くなど、産地間競争が激化した[36]

平成・令和時代

2008年(平成20年)11月、兵庫県は産地間競争を勝ち抜くために丹波黒のブランド化をより推進するべく、「兵庫県丹波黒振興協議会」を発足させた[15]。県庁農産園芸課を中心に、学識経験者や生産者、生産団体、加工流通団体や企業、研究機関らが一体となって栽培対策や高品質化や品種改良に取り組み、2021年(令和3年)2月には丹波篠山地域一帯が日本農業遺産に認定されることとなった[15]

兵庫県立農林水産技術総合センターは2012年(平成24年)以降、丹波黒の系統から特に優良な特性を持つ系統選抜育種を進め、2022年(令和4年)には兵系6号を育成した[15]

病害防除に向けた品種改良

主な生産地である兵庫県の丹波地方(丹波篠山市)近郊は、昼夜の寒暖差が大きく、適度な雨量があり、粘土質の黒土の地質という栽培環境で、黒大豆の生産に適した自然条件とされる[10]。しかし在来品種は、気象の変化で結実性が低下したり、1980年(昭和55年)代から流行しはじめたダイズモザイクウイルス(SMV)や2001年(平成13年)頃から多発するようになった大豆茎疫病に感染しやすいなどの減収原因があり、これらの病害防除が大きな課題となっている[15]

兵庫県立農林水産技術総合センターは、2002年(平成14年)度から兵系黒3号にSMV抵抗性を持つ品種(東山黒175号)を交配する研究を重ね、2014年(平成26年)にSMV抵抗性を持つ「兵系黒4号(ひかり姫)」を誕生させた[15]。この品種は兵系黒3号と同等の優良品質を持ち、2019年(令和元年)度から枝豆専用品種ひかり姫として兵庫県内で栽培されている[15]

また、大豆茎疫病に対して抵抗性のある品種(ゲデンシラズ1号)と兵系3号との交配研究も同時に進められ、兵系3号とほぼ同等の生育や品質特性に茎疫病抵抗性を持つ新品種「兵系5号」も2014年(平成26年)度に育成した[15]

品種・系統

丹波黒大豆(丹波黒、丹波黒豆)

丹波黒の品種的な最大の特徴は、その粒の大きさにあり、それは、江戸時代から現代にいたるまで大粒化を主な育種目標として多様な在来品種の選抜が行われてきた結果である[15]。1953年(昭和28年)には100粒41.8グラムだったところ、1976年(昭和51年)に60グラム以上、1985年(昭和60年)に75グラム以上を記録し、2020年(令和2年)代には80グラム以上を記録している[11][15]。丹波篠山の代表的な在来種に「川北黒大豆(川北大豆)」と「波部黒」があり、のちに「兵系3号」が育成され、21世紀初頭現在、丹波ささやま農協はこの3系統を主要系統としてそれぞれ原種圃と採種圃を設置し、計画的な生産と種子の普及を行っている[37]。このうち、厳密に「丹波黒」という品種名に相当するのは「波部黒」と「兵系黒3号」であり、丹波黒の系統品種の多くはこの流れを汲む[38]

川北黒大豆
多紀郡内でも干ばつに見舞われやすく水不足が深刻だった川北村の犠牲田で栽培されてきた黒大豆の系統で[39]、栽培農家によって大粒化を目標とする選抜育種を繰り返してきた在来種[11]
波部黒
日置村(現:丹波篠山市日置地区)の豪農波部本次郎が1831年(天保元年)から黒大豆の中から大粒のものを選び日置村にて栽培、育成した。その後、その中から優秀なものを「波部黒」と命名した[11][40]。粒が大きく収量が多いことから多くの農家が栽培しており、より優良な種が選別されてきて現在に至る[11]
波部黒から1981年(昭和56年)に「新丹波黒」、1988年(昭和63年)に「兵系黒3号」が育成された[38]
兵系黒3号
1983年(昭和58年)、兵庫県農事試験場が旧多紀郡内から川北黒大豆、波部黒など多様な在来種を集め、粒の巨大化と茎の太さを目標に選んだ結果、1987年(昭和62年)に誕生した系統である[11]。兵系黒3号からは黒大豆品質では「玉大黒」「さとっこ姫」「兵系黒5号」などが、枝豆品質では「黒っこ姫」「茶っころ姫」「兵系黒4号」などが育成されている[38]
その他派生の黒大豆
兵庫県には「兵系黒3号」のほかにも50種類以上の丹波黒在来種系統がある。また、岡山県には「作州黒」「岡山SYB1号」「岡山系統1号」などが、京都府では「新丹波黒」などの系統が主に栽培されている[11]。「新丹波黒」は黒大豆品質では「クロダマル」が、黄大豆品質では「タマフクラ」や「京白丹波」が、枝豆品質では「紫ずきん」系統が育成された[38]

丹波黒を源流とする黒大豆の品種改良は、北海道から九州まで全国で試みられており、それぞれの地域で新しい品種が生まれている。都道府県別に見た主なものに「いわいくろ北海道)」、「ヒカリグロ青森県)」、「新丹波黒京都)」、「紫ずきん(枝豆品種/京都府)」、「香川黒1号香川県)」、「クロダマル大分県福岡県熊本県)」などがある[41]

栽培方法

丹波黒豆の天日干し

正月での需要にあわせて品種改良されてきた丹波黒は、極晩性品種に分類される[11]。6月上~中旬に種をまき、約2か月後の8月上~中旬に開花、収穫期は11月末~12月中旬と遅く、開花から成熟まで約100日要する生育期間は一般的な大豆と比べると非常に長い[11]。この生育期間の長さゆえに、平均的な大豆の2倍以上の粒重量となり、黒大豆としては世界最大の品種である[11]

栽培方法も一般的な大豆では畝幅60㎝程度のところ、丹波黒は条間を40~50㎝、畝幅を120~160㎝と広くとる[11][42]。栽培密度が低く作業を機械化しにくいため、 栽培から収穫天日干しに至るまで栽培工程のほとんどすべてを手作業で行う[11]。多くの手と時間がかかることから、丹波黒は「苦労豆」とも呼ばれる[9]。同じ作付面積でも一般的な黒豆の半分程度しか収穫できないことから、稀少価値が高い品種となっている[10]

乾田高畝栽培技術

丹波篠山では、黒大豆の栽培を用水不足のために稲作を行わない「犠牲田」を利用して始められた[43]。丹波篠山の多くの水田は過湿・重粘土な湿田で、これを乾田化することが困難なため、溝を掘り、を20㎝~40㎝以上の高畝にして、黒大豆を栽培可能にした技術である[43][44][45][42]

この乾田高畝栽培を丹波篠山では伝統的には「堀作(ほりさく)」と称した[42]

灰小屋

土壌改良や肥料には、伝統的には木・落ち葉・わら・土を重ねて焼いた灰肥料が用いられ、これを製造・保管するための「灰小屋(はんや、はいごや)」が丹波篠山市内には2021年(令和3年)時点で259ヵ所現存している[38]。全国的にも貴重な農村風景の現存事例と評価されている[38]

生産と流通

丹波黒大豆

丹波黒の作付面積は昭和後期以降に急増し、全国的には1978年(昭和53年)時点で572ヘクタールから2021年(令和3年)には3080ヘクタールと約5倍に増加し、主な産地に兵庫県他地域のほか、岡山県、滋賀県、京都府がある[46]。兵庫県全体での丹波黒の栽培面積は、2020年(令和2年)時点で1326ヘクタールで全国の栽培地の43.5パーセントを占め、次いで岡山県が1166ヘクタールで38.3パーセント、滋賀県319ヘクタールで10.5パーセント、京都府196へクタールで6.4パーセントだった[11]

丹波篠山市では1979年(昭和54年)に推定130ヘクタールだったところ2021年(令和3年)は573ヘクタールと約5倍に増加した[46]。 『丹波篠山の黒大豆栽培 ~ムラが支える優良種子と家族農業~ 』によると、旧篠山町農協では、1978年(昭和53年)に45トンだった「丹波黒」の集荷量が1996年(平成8年)には250トンを超え、平均精算単価も1978年(昭和53年)頃の665円/kgから、1990年(平成2年)以降は毎年2000円/kgを超えるようになっている[5]

需要は年内出荷の正月用と、年明け出荷の周年用に分かれ、市場価格は年内が圧倒的に高く、年を明けると下落する[46]。2008年(平成20年)頃の年間流通量では約3割に相当する600トンほどが正月用に乾物で流通していた[46]。なかでも丹波篠山では正月需要に特化して出荷時期を7段階に区分し、早期に出荷するものほど高値がつくように農協が調整を行っている[47]

一方、丹波黒需要全体としては、正月用市場は21世紀には下降傾向にあり、周年用の加工煮豆や菓子や飲料などの需要が伸びているが、価格の点から丹波篠山以外の産地のものが利用されている[47]

利用方法

丹波黒を使った甘納豆
丹波黒の煮豆とコーヒー
黒豆ごはん

黒大豆

丹波黒は粒が大きいため煮やすく、また、皮が厚く煮崩れしないため、御節料理縁起物である祝い肴三種の内の煮豆に重宝されている[12]。原産地である丹波篠山市では、煮豆にするほか、乾燥黒豆を戻す水で豆とともに炊き込む「黒豆ごはん」や[48]、黒豆茶、コーヒー[49]など様々な調理法がある。

新聞記事を分析した調査では、1980年代前半までの黒大豆に関する記事は年末時期に、煮豆に言及したものだけであったが、1980年代後半から周年化し、菓子やスイーツ、総菜などへの活用や、薬理学効果が確認されていることから健康食品など加工食品への活用も増えた[35][11]。丹波篠山の農家では、味噌、納豆、豆腐、きな粉などの一般的なダイズと同様の加工食材にも使用されるほか、ポン菓子や黒豆茶にも加工される[35]

商品としては、煮豆や胡麻豆腐やきな粉といった加工食品、味噌や醤油やドレッシングのような調味料の他、おかき、ケーキ、甘納豆、プリン、ゼリー、せんべい、飴などの菓子類や、黒豆茶のティーバッグやペットボトル、コーヒー、ココアなど様々な飲料や焼酎など酒にも用いられ、農協の取り扱う加工食品だけでも30品目以上となっている[31]

黒豆の田舎煮
原産地である丹波篠山市の郷土料理で、醬油、砂糖をベースに塩少々で煮る。柔らかくふっくらと煮るのが主流であるが、正月には「しわがよるまでまめに(元気に)働けるように」と願掛け、歯応えを残して煮る伝統があった[50]

黒枝豆

黒枝豆は熟成途中の丹波黒を枝豆として食べる利用法で[51]、1980年代中頃のグルメ漫画『美味しんぼ』(1983年~)連載やテレビ番組「料理の鉄人」(1993年~)放送などにより沸き起こったグルメブームを背景に商品化され、躍進した[52]

黒枝豆は粒が大きく、独特の甘みと香りがある[52]。丹波篠山市はこの丹波黒の枝豆の販売時期を統制しており、10月上~中旬の約2週間と短いため、「幻の枝豆」と呼ばれるが[14][52]、黒枝豆として出荷される作付面積は年々増加傾向にあり、1987年時点の2ヘクタールから、2020年(令和2年)には202ヘクタールに達し、黒大豆栽培農家2800戸のうち1900戸が黒枝豆を出荷している[52]

栄養価

豆全般の特徴として、グリシニンに代表されるたんぱく質が特に多く、アミノ酸組成が非常に優れていることから「畑の牛肉」と称される[12]イソフラボンアントシアニン、トコフェロールEを多く含む[11]

黒大豆特有のポリフェノール類を豊富に含み、ビタミンE含量が一般的な大豆に比べ多いことから、強い抗酸化作用があるとされる[9]。また、「飲酒前に黒大豆の煮汁を飲むと悪酔いを防ぐ」というが、これはポリフェノール類がアセトアルデヒドを無毒化する作用を高めるためである[53]

評価

地域団体商標「丹波篠山黒豆」

2006年(平成18年)4月1日に地域団体商標制度が導入されると、京都府のJA全農京都が「丹波黒大豆」として申請し、JA全農京都に反発した兵庫県丹波市JA丹波ひかみも同じ「丹波黒大豆」で申請した[54]。さらに兵庫県篠山市のJA丹波ささやまは「丹波篠山黒豆」で申請したが、特許庁は地域の範囲が曖昧であるなどとして、3者の申請をすべて却下した[54]

その後、JA全農京都とJA丹波ひかみは登録を断念していたが、JA丹波ささやまは2008年(平成20年)に二度目の申請を、2011年(平成23年)に3度目の申請を行い、2011年(平成23年)7月にはJA丹波ささやまによる「丹波篠山黒豆」が地域団体商標(商標登録第5428768号[4])に認定された[54]。JA丹波ささやまが販売する篠山市(後の丹波篠山市)産黒豆がこの商標を用いることができる[54]。2010年(平成22年)のJA丹波ささやまは約230トンの黒豆を集荷しており、これは篠山市全体の約7割を占めていた[54]

日本農業遺産認定

2021年(令和3年)2月に「丹波篠山の黒大豆栽培~ムラが支える優良種子と家族農業~」として日本農業遺産に認定された[14]。江戸時代から300年以上独自の伝統技術が培われ継承されてきた農業システムを評価し、その栽培技術のほか集落での相互扶助や農村景観、ため池や水路における生物多様性も評価対象となった[8]

文学作品での言及

  • グルメ漫画『美味しんぼ』14巻(1987年、アニメでは30話)「ビールと黒豆」の回で「最高の枝豆」として取り上げられた[55][11]
  • 池井戸潤著『半沢直樹アルルカンと道化師』において、半沢直樹が丹波篠山の黒枝豆について「うまいぞ」と言及した[56]

脚注

参考文献

外部リンク

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