五女子
名古屋市中川区の地名
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地理
歴史
町名の由来
江戸期の愛知郡五女子村の名による。由来としては、愛知郡片端の里なる場所を治めていた領主に7人の娘がおり、その娘をそれぞれ嫁がせた場所に「一女子村」から「七女子村」の村名が生じたという伝説が残されている[2]。
地名自体は室町期から確認でき、1511年(永正8年)付の石山寺所蔵礼札に「尾張州愛智郡則武郷五女子」とあるのが古い[3]。中世には則武郷の一部であった。
江戸期の五女子村の村域は、五女子町・荒江町・小山町・畑代町・八熊通・柳川町・長町・八幡町・八幡本通・石場町・八島町・尾頭橋通・八神町の範囲に対応するとしている[4]。五女子村自体は1878年(明治11年)に二女子村と合併し、八熊村となり消滅している[4]。
関連する「女子」を含む地名は以下の通り。
- 一女子→『明治十五年愛知県郡町村字名調』によれば、名古屋区正木町の小字名に「一女子」がある。また、『尾張国地名考』では五女子村に「一女子」という畔名が残っているとしている。
- 二女子→二女子町
- 三女子→愛知郡小塚村絵図には西生寺(現在の中川区小本本町)の北側に「三女子 畑」と書かれている。『尾張国地名考』では闇之森八幡社と佐屋街道の間に「三女子」という地名があるとしている。
- 四女子→四女子町
- 六女子→中川区篠原町(江戸期の丸米野村)の小字名に「六女子」が存在した。現在の中川区宮脇町付近。
- 七女子→江戸期まで愛知郡七女子村が存在し、小塚村の支配地となっていた。現在の中川区松ノ木町。近接する荒子町には昭和期まで「七女子」という小字が残っていた。
行政区画の変遷
世帯数と人口
学区
市立小・中学校に通う場合、学校等は以下の通りとなる[WEB 6]。また、公立高等学校に通う場合の学区は以下の通りとなる[WEB 7]。
| 町丁・丁目 | 番・番地等 | 小学校 | 中学校 | 高等学校 |
|---|---|---|---|---|
| 五女子町 | 全域 | 名古屋市立八幡小学校 | 名古屋市立八幡中学校 | 尾張学区 |
| 五女子一丁目 | 全域 | |||
| 五女子二丁目 | 全域 |