亳 From Wikipedia, the free encyclopedia 亳(はく)は、古代中国の地名である。殷の都があったと伝えられる。 『史記』によれば、商はたびたび居住地を変えたが、天乙(成湯)に至ってはじめて亳に遷った[1]。湯は夏王朝を滅ぼして殷の王になり、亳がその都になった。後、帝仲丁が都を隞に移し、その後も転々としたが、帝盤庚が成湯の故地に遷ってまた都を置いた[2]。後、帝武乙のときにまた亳を去って黄河の北に都を移した[3]。 河南省の二里岡遺跡に比定する説がある。 脚注 [1]『史記』殷本紀第3。新釈漢文体系『史記』1の115頁。 [2]『史記』殷本紀第3。新釈漢文体系『史記』1の128-129頁。 [3]『史記』殷本紀第3。新釈漢文体系『史記』1の132-133頁。 参考文献 司馬遷『史記』。吉田賢抗著『史記』一(本紀)、新釈漢文大系38、明治書院、1973年。この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。表示編集 Related Articles