任岐 From Wikipedia, the free encyclopedia 任 岐(じん き)は、中国後漢末期の人物。益州蜀郡の出身[1]。 初平2年(191年)[2]、犍為太守の官にあり、漢朝からの独立を図った益州牧の劉焉を攻撃したが、返り討ちに遭い、殺害された。 『三国志』劉焉伝によると、独立を目論む劉焉が州内の豪族十数人を殺害したがために、元々は劉焉を迎え入れた賈龍と共に行動を起こした[3]。一方でその注に引く『英雄記』によると、任岐は自らを将軍と号し、従事の陳超と共に劉焉に背いたとされる[4]。 出典 陳寿撰、裴松之注『三国志』巻31 蜀書 劉焉伝及びその注に引く『英雄記』(中国語版ウィキソース) 脚注 [1]英雄記「岐、龍等皆蜀郡人」 [2]司馬光『資治通鑑』巻60 漢紀52 [3]劉焉伝「犍為太守任岐及賈龍由此反攻焉,焉擊殺岐、龍」 [4]英雄記「犍為太守任岐自稱將軍,與從事陳超舉兵擊焉,焉擊破之」 Related Articles