伯楽
中国の春秋時代の人物
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概要
秦の穆公に仕えた。馬の育成に功労があったため、星宿の一つで天馬を管理する神仙であるという「伯楽」にちなんで「伯楽将軍」の名を与えられた。著書に『伯楽相馬経』などがある。
馬が良馬か否かを見抜く技術(相馬眼、相馬術、目利き術)に優れていた。また、調教師や獣医としての技術ももっていた。
後世の東アジアにおいては、これらの技術の達人の代名詞として「伯楽」の名前が用いられる。例えば、『韓非子』などの諸子百家では、主に喩え話における喩えとして伯楽の名前や逸話が頻繁に言及される[1]。または、唐代の韓愈『雑説』に由来することわざ「世に伯楽あり、しかる後に千里の馬あり(世有伯楽,然後有千里馬)」「千里の馬は常にあれども伯楽は常にはあらず」などでも知られる。現代のスポーツ、コーチング、教育全般において、後進の育成に優れた指導者のことを「名伯楽」と呼ぶこともある。
