信
一般的には、真実で偽りのないこと。儒教においては、五常(仁義礼智信)の一徳目であり、友情に厚く、人をあざむかないこと、誠実なこと。仏教においては、仏陀の教えを信ずることに
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儒教における「信」
仏教における「信」
仏教においては、サンスクリット語のシュラッダーŚraddhā もしくプラサーダPrasada の訳語で、開祖仏陀(ゴータマ・シッダールタ)の教えを信ずることによって、心が清らかに澄みわたることをさしている[1]。
- 五根 (三十七道品)のひとつ
- 解脱への道において、最初の段階。象跡喩小経などで示される[4]。
- 世親は『倶舎論(阿毘達磨倶舎論)』において「信とは心をして澄浄ならしむ」と記し、世親の学統を継ぐ倶舎宗にあっては万象を75種の実体に分別し、それを5つに大別した分類法(五位法)のひとつ「心所法」において、その一部としている[1]。
カーラーマ経において釈迦は、聖なる権威、伝統などであったり、または自分の師匠だからといった理由での盲目的な「信」に反対している[5]。そして何が諦(saccaṃ)であるかを自ら判断するための、10つの判断基準を述べている[5]。
Etha tumhe kālāmā mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garū'ti.
カーラーマたちよ、あなたがたは、風説(anussavena)によるなかれ。伝承(paramparāya)によるなかれ。伝聞(itikirāya)によるなかれ。聖典(piṭaka)記載によるなかれ。推論(takka)によるなかれ。公理(naya)によるなかれ。類比(ākāra)によるなかれ。見解(diṭṭhi)からの推論に対する受容によるなかれ。有能な外見(rūpatāya)によるなかれ。自分の師(garū'ti)である沙門という理由によるなかれ。