備北
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概要
地理・歴史
かつての吉備国から分立した備前国・備中国・備後国の中で、北部が美作国として独立した備前国に比べ、備中・備後の2カ国は南北に長く広域となった。そのため、便宜的に南北に分けて表現する事があった。また南北で風習などが違う面もあり、それも南北に分けて表現するようになった理由の一つと思われる。
備中北部と備後北部が合わせて備北と呼ばれたのは、両地域の間で文化・経済的な交流が盛んであったことが理由として挙げられる。かつては東城街道などの街道が走っており、国境を越えて繋がりの深い地域であった。現在も新見市や高梁市と庄原市東部・神石郡などは民間レベルでの繋がりは深い。
明治になり廃藩置県が行われ都道府県の再編が進んでいくと備中は岡山県、備後は広島県となり、県の管轄が分かれた。そのため岡山県側では備中国北部・県北西部、広島県側では備後国北部・県北東部を指して備北を呼ぶようにもなった。
現在では、前述のように新見市・高梁市と庄原市東部・神石郡などの民間レベルでの交流はいまだにあるため、これらの地域を「備北」と称することもある。